福島 行進 曲。 古関裕而 福島行進曲

野村俊夫の立志伝

福島 行進 曲

希穂子(入山法子)に見限られたと泥酔する鉄男(中村蒼)の姿で幕を閉じた『エール』(NHK総合)第43話。 第44話では、裕一(窪田正孝)がついに初めてのレコードを完成させる。 「椿姫」のヴィオレッタ役に向け、恋愛の機微を勉強するためカフェー・パピヨンに入店した音(二階堂ふみ)も、いよいよ出勤最終日。 トラブルが後を絶たなかったが、男を喜ばせる天性の素質で指名もひっきりなし。 カフェーのママ(黒沢あすか)からも「鍛えれば一流に」とお墨付きをもらうほどだ。 開店前のパピヨンに響く激しい口論。 「お話することはありません」と希穂子に突き返された鉄男が諦めきれずに再び店にやってきたのだ。 「彼女といっとねじくれた気持ちがすっと消えて素直になれる」と裕一に話していた鉄男の思いは、希穂子と一緒になって福島に連れて帰りたい。 「福島を離れたのはあなたが重荷になったからです。 勘違いされて困ってたの。 お帰りください」と希穂子の態度は変わらない。 雨の中、とぼとぼとパピヨンを去る鉄男。 学生時代の思い出話に華が咲く。 そこで鉄男が2人に見せるのが、福島を思い描いた恋の歌「福島行進曲」の歌詞。 「大将、一緒に曲作んないか? 君もそろそろ夢に向かって進む時期だ」と誘ってくれた裕一の情熱に、鉄男はしっかりと応えたのだ。 歌詞に深く共感し、「こういうのをずっと待ってた!」と喜ぶ裕一は、「もう一度ちゃんと福島と向かい合いたい」と五線譜に福島への思いを乗せていく。 こうして出来上がった「福島行進曲」は、あの廿日市(古田新太)をも認めさせ、東北の地方小唄として初めてのレコード化。 残念ながら、久志が歌うことは叶わなかったが、上京して2年、ついに裕一はプロの作曲家デビューを果たした。 オンエアで歌われていた「恋し福ビル引き眉毛」の福ビルとは、昭和2年に完成し当時の福島市のシンボルだった建物(現在は「AXC」として、飲食店が軒を連ねる)、さらに歌詞には福島駅前通りにあった柳並木も登場する。 完成した赤色レーベルの円盤レコードを見て微笑む、裕一と音。 番組の最後に紹介されるコーナー「福をここから」が、福島市の名物・円盤餃子の写真だったのも、2人を祝福する粋な演出だった。 渡辺彰浩.

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野村俊夫の立志伝

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野村俊夫さん 福島市出身の作詞家で本名は「鈴木喜八さん」。 古関裕而さんの5歳年上で、近所に住んでいました。 コロムビアに入社した古関裕而さん、野村さん・歌手の伊藤久男さんは、 「コロムビア三羽がらす」と呼ばれていたそうです! ふくしま小唄 作詞:野村俊夫さん(年代は不明です!) 福島市の北裡(きたうら)商店街の 割烹・待合・芸妓でつくる三業組合が依頼して作られました。 歌詞に 福島の名所【吾妻山・競馬・飯坂温泉・弁天山など】や、 名物【さくらんぼ・萱場梨】が盛り込まれていて、当時の宴会の席では欠かせない歌だったそうです。 福島音頭 作詞:野村俊夫さん(昭和29年) ラジオ福島・福島民報社が制定した新民謡です。 昭和41年に、福島市の板倉神社にある阿武隈川畔に歌碑が建立されるのを記念して、古関裕而さんが作曲しました。 」と述べています。 日本歌謡界黎明期の重鎮作曲家・佐々紅華(さっさ こうか)さんや、「蝶々夫人」が代名詞の三浦環(みうら たまき)さんなども大絶賛した曲です! 露営の歌 作詞:藪内喜一郎さん(昭和12年) 昭和12年春、古関裕而さんは夫婦で満州旅行へ。 日本に戻ってから目にした新聞に 「進軍の歌」歌詞募集の結果が掲載されていました。 古関裕而さんは東京へ向かう特急の中で、その第2席の歌詞に、満州で見たままの光景が浮かぶなど共感するものがあり、自然と作曲します。 東京に到着しコロムビアの担当者から、その「進軍の歌」第2席の作曲依頼をされ、古関裕而さんは驚きました!この曲は 「露営の歌」として レコード化して、大ヒット! この明るく健康的なホームソングは、中学校の音楽の教科書にも取り上げられ、当時遠足のために乗っていた中学生が「高原列車は行く」を歌っていました。 あのメロディーも、古関裕而さんだったんだねと思う方もいるのでは? ラジオ・映画・舞台音楽は・・・ とんがり帽子 作詞:菊田一夫さん(昭和22年) 戦災で父母を失った子供たちが巷にあふれ、上野の地下道の凍死者はあとを絶たず、誰も食べるのに精一杯の時代・・・ CIE(連合国総司令部の民間情報教育部)により、 戦災孤児救済のキャンペーンとしてNHKラジオ・ドラマ 「鐘の鳴る丘」がスタートしました。 主題歌として作曲された曲です。 その昔、NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の舞台となったところだ、 今こうして立ってるが元あった場所ではない — 黒い点 Sunspots832 この作品で、古関裕而さんは 「ハモンド・オルガン」と出会います。 2億数千万種の音色が出せ、幽玄な境地さえ表現できるので、このラジオ・ドラマにその機能が十分に発揮されました。 古関裕而さんは自伝で・・・「派手で劇的な効果に男性的な豪快さがあり、男性なら一度は歌ってみたくなる曲。 リズムが 十六分音符と八分音符の二拍子系なのに、メロディには 三連音符が多く現れる 二対三の変則的なリズムをいかに歌いこなすかが問題で、作曲にその面白みをねらってある。 」と述べています。 レコード会社は「こんな難しい歌は売れっこありませんよ」と見捨てて、ポスターを一枚も作成しませんでした!しかし、のど自慢で男性のほとんどがこの曲を歌うなど、 レコードはヒット盤となりました。 さくらんぼ大将 作詞:菊田一夫さん(昭和26年) 「とんがり帽子」に続くNHKラジオ・ドラマ 「さくらんぼ大将」の主題歌です。 前作に続き、脚本を菊田一夫さん、音楽を古関裕而さんが担当しました。 1939年「戦ふ兵隊」(亀井文夫監督)• 1944年「桃太郎 海の神兵」(瀬尾光世演出)• 1952年「安宅家の人々」(久松静児監督)• 1953年「ひめゆりの塔」(今井正監督)• 1953年「太平洋の鷲」(本多猪四郎監督・小田基義応援監督・円谷英二特撮監督)1953年-1954年「君の名は」3部作(大庭秀雄監督)• 1955年「赤いカンナの花咲けば」(小田基義監督)• 1957年「永すぎた春」(田中重雄監督)• 1957年「大学の侍たち」(青柳信雄監督)• 1958年「共犯者」(田中重雄監督)• 1959年「鉄腕投手 稲尾物語」(本多猪四郎監督) スポーツ音楽は・・・ 栄冠は君に輝く 作詞:加賀大介さん(昭和24年) 昭和23年の学制改革に伴い、 「全国中等学校野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に変わったことを受け、作曲されたものです。 歌詞は全国から公募されました。 スポーツ・ショー行進曲(昭和24年) 昭和22年、NHKのスポーツ放送のテーマ曲として作曲されたもので、昭和24年にコロムビアからレコード化されました。 番組のテーマ音楽にN響が使われたのはこれが最初です。 放送が始まると、「誰の作曲?」「外国人が作曲?」など問い合わせがたくさんありました。 オリンピック・マーチ(昭和39年) 昭和39年に開催された アジア 初の東京オリンピックで 選手入場の行進曲として使用された曲です。 オリンピック東京大会組織委員会とNHKから作曲依頼があり、古関裕而さんは東京オリンピックにふさわしいマーチがどんどん浮かんできました。 アジアで初めて開かれるオリンピックに世界の多くの若人が集まる瞬間を、妻・金子さんと2人でイメージして作ったと言われています。 戦後復興を象徴付ける国家イベントであると同時に、国際社会に復帰する意味合いも!東京オリンピックの選手入場行進曲の作曲を依頼されたということは、名誉あることですよね! 六甲おろし 作詞:佐藤惣之助さん(昭和11年) 現在では 「阪神タイガースの歌」が正式名称ですが、一般的には 「六甲おろし」として今もなお、阪神ファンに親しまれています。 作曲した当時は、「大阪タイガースの歌」でしたが、現存するプロ野球球団のなかでも、最も古い球団歌です。 作詞を担当した佐藤惣之助さんは、神奈川県川崎市の出身!生家跡地の現在は、川崎信用金庫本店となっていて、敷地内に 「佐藤惣之助生誕の地碑」が建っています。 阪神タイガースがリーグ優勝した平成15年には同碑の上に同曲の歌碑が設置されました。 現在では、 「闘魂込めて」という通称で親しまれています。 巨人軍の球団歌として3代目となります。 3曲のうち2曲が古関裕而さんの作曲で、1代目の球団歌が、昭和14年に作詞:西條八十さん、作曲:古関裕而さん、歌唱:伊藤久男さんにより、 「巨人軍の歌-野球の王者-」として発表されました。 北海道・・・7校• 東北地方・・・10校• 関東地方・・・72校• 中部地方・・・34校• 近畿地方・・・14校• 中国地方・・・19校• 四国地方・・・2校• 九州沖縄地方・・・19校• 古関裕而さんの地元:福島県・・・107校 と、古関裕而さんはたくさんの学校の校歌を作曲しています! 作曲の依頼を受け、その場(約1時間)で作曲をしたというエピソードが 笑 紺碧の空 作詞:住治男さん(昭和6年) 古関裕而さんは、福島県本宮市出身の伊藤久男さんと懇意になり、伊藤さんの従兄弟が早稲田大学の応援部に属していたことから、 第六応援歌として作曲依頼を受けたものです。 歌詞は早大全学生から募集しました。 応援歌の作曲はあまり経験がなく、歌詞に合う旋律が浮かばず苦労し・・・その後、歌い継がれる応援歌(現在では第一応援歌)として完成しました! 我ぞ覇者 作詞:杉浦洸(昭和45年) 昭和21年、戦争によって中断されていた 東京六大学野球リーグ戦が再開されました。 慶応大学応援団は、「打倒早稲田」を意識!「紺碧の空」があまりにも良い曲であったので、新しい応援歌に古関裕而さんに依頼します。 古関裕而さんは、早稲田大学の了解を得ることを条件に承諾し、作曲されました。 「早稲田を倒せ」という歌詞がありますが、歌詞に特定の相手方の名前を入れるのは今までに無かったことでした。 ライバル同士の作曲に同じ作曲者を双方が選ぶというのは、 古関メロディがそれだけ応援歌として優れているという事実なのでしょうね。 その他・・・ 別れのワルツ スコットランド民謡(昭和24年) スコットランド民謡 「Auld Lang Syne」(オールド・ラング・サイン。 日本では「蛍の光」として有名。 )が、昭和24年公開のアメリカ映画 「哀愁」で効果的にアレンジされていました。 これがロング・セラーとなり、現在でも デパートやレストランなどの店舗閉店時のBGMとして使われています。 モスラの歌 作詞:由紀こうじ(昭和36年) 昭和36年に東宝により公開された映画 「モスラ」で劇中に使われた曲です。 1950年 NHK「今週の明星」テーマ曲(作詞:藤浦洸さん)• 1956年 NHKテレビ「歌の広場」テーマ曲(作詞:丘灯至夫さん)• 1970年 NHK「日曜名作座」テーマ曲(演奏:コロムビア・オーケストラ)• 1970年 NHKラジオ「ひるのいこい」テーマ曲(演奏:コロムビア・オーケストラ)• 1970年 NHKラジオ「早起き鳥」テーマ曲(作詞:佐藤竜太さん、歌:三鷹淳さん・真理ヨシコさん)•

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<エール>(第45話・5月29日金曜放送) 鉄男作詞、裕一作曲「福島行進曲」のレコード化が決まった!そのお祝いパーティーに誘っても希穂子は「彼とは会わない約束だ」という: J

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希穂子(入山法子)に見限られたと泥酔する鉄男(中村蒼)の姿で幕を閉じた『エール』(NHK総合)第43話。 第44話では、裕一(窪田正孝)がついに初めてのレコードを完成させる。 「椿姫」のヴィオレッタ役に向け、恋愛の機微を勉強するためカフェー・パピヨンに入店した音(二階堂ふみ)も、いよいよ出勤最終日。 トラブルが後を絶たなかったが、男を喜ばせる天性の素質で指名もひっきりなし。 カフェーのママ(黒沢あすか)からも「鍛えれば一流に」とお墨付きをもらうほどだ。 開店前のパピヨンに響く激しい口論。 「お話することはありません」と希穂子に突き返された鉄男が諦めきれずに再び店にやってきたのだ。 「彼女といっとねじくれた気持ちがすっと消えて素直になれる」と裕一に話していた鉄男の思いは、希穂子と一緒になって福島に連れて帰りたい。 「福島を離れたのはあなたが重荷になったからです。 勘違いされて困ってたの。 お帰りください」と希穂子の態度は変わらない。 雨の中、とぼとぼとパピヨンを去る鉄男。 学生時代の思い出話に華が咲く。 そこで鉄男が2人に見せるのが、福島を思い描いた恋の歌「福島行進曲」の歌詞。 「大将、一緒に曲作んないか? 君もそろそろ夢に向かって進む時期だ」と誘ってくれた裕一の情熱に、鉄男はしっかりと応えたのだ。 歌詞に深く共感し、「こういうのをずっと待ってた!」と喜ぶ裕一は、「もう一度ちゃんと福島と向かい合いたい」と五線譜に福島への思いを乗せていく。 こうして出来上がった「福島行進曲」は、あの廿日市(古田新太)をも認めさせ、東北の地方小唄として初めてのレコード化。 残念ながら、久志が歌うことは叶わなかったが、上京して2年、ついに裕一はプロの作曲家デビューを果たした。 オンエアで歌われていた「恋し福ビル引き眉毛」の福ビルとは、昭和2年に完成し当時の福島市のシンボルだった建物(現在は「AXC」として、飲食店が軒を連ねる)、さらに歌詞には福島駅前通りにあった柳並木も登場する。 完成した赤色レーベルの円盤レコードを見て微笑む、裕一と音。 番組の最後に紹介されるコーナー「福をここから」が、福島市の名物・円盤餃子の写真だったのも、2人を祝福する粋な演出だった。 ライター/編集。 2017年1月より、リアルサウンド編集部を経て独立。 パンが好き。

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