こうべ を たれ て つくば え 意味。 垂れる(たれる)の意味

<タコ>童謡・叙情歌・演歌・音頭 (27Page)

こうべ を たれ て つくば え 意味

日は 午 ( ご )なり。 あらら 木 ( ぎ )のたらたら 坂 ( ざか )に樹の蔭もなし。 寺の門、植木屋の庭、花屋の店など、坂下を 挟 ( さしはさ )みて町の入口にはあたれど、のぼるに従いて、ただ 畑 ( はた )ばかりとなれり。 番小屋めきたるもの小だかき処に見ゆ。 谷には菜の花残りたり。 路の右左、 躑躅 ( つつじ )の花の 紅 ( くれない )なるが、見渡す 方 ( かた )、見返る方、いまを 盛 ( さかり )なりき。 ありくにつれて汗少しいでぬ。 空よく晴れて一点の雲もなく、風あたたかに 野面 ( のづら )を吹けり。 一人にては 行 ( ゆ )くことなかれと、優しき姉上のいいたりしを、 肯 ( き )かで、しのびて来つ。 おもしろきながめかな。 山の上の 方 ( かた )より一束の 薪 ( たきぎ )をかつぎたる 漢 ( おのこ )おり 来 ( きた )れり。 眉太く、眼の細きが、 向 ( むこう )ざまに 顱巻 ( はちまき )したる、額のあたり汗になりて、のしのしと近づきつつ、細き道をかたよけてわれを通せしが、ふりかえり、 「危ないぞ危ないぞ。 」 といいずてに 眦 ( まなじり )に 皺 ( しわ )を寄せてさっさっと 行過 ( ゆきす )ぎぬ。 見返ればハヤたらたらさがりに、その肩躑躅の花にかくれて、髪結いたる 天窓 ( あたま )のみ、やがて山蔭に見えずなりぬ。 草がくれの 径 ( こみち )遠く、小川流るる 谷間 ( たにあい )の 畦道 ( あぜみち )を、 菅笠 ( すげがさ ) 冠 ( かむ )りたる 婦人 ( おんな )の、 跣足 ( はだし )にて 鋤 ( すき )をば肩にし、小さき 女 ( むすめ )の 児 ( こ )の手をひきて 彼方 ( あなた )にゆく 背姿 ( うしろすがた )ありしが、それも杉の 樹立 ( こだち )に 入 ( い )りたり。 行 ( ゆ )く 方 ( かた )も躑躅なり。 来 ( こ )し方も躑躅なり。 山土のいろもあかく見えたる、あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思う時、わが居たる一株の躑躅のなかより、羽音たかく、虫のつと立ちて頬を 掠 ( かす )めしが、かなたに飛びて、およそ五六尺隔てたる処に 礫 ( つぶて )のありたるそのわきにとどまりぬ。 羽をふるうさまも見えたり。 手をあげて走りかかれば、ぱっとまた立ちあがりて、おなじ距離五六尺ばかりのところにとまりたり。 そのまま小石を拾いあげて 狙 ( ねら )いうちし、石はそれぬ。 虫はくるりと一ツまわりて、また 旧 ( もと )のようにぞ 居 ( お )る。 追いかくれば 迅 ( はや )くもまた 遁 ( に )げぬ。 遁ぐるが遠くには去らず、いつもおなじほどのあわいを置きてはキラキラとささやかなる羽ばたきして、 鷹揚 ( おうよう )にその二すじの細き 髯 ( ひげ )を 上下 ( うえした )にわづくりておし動かすぞいと憎さげなりける。 われは 足踏 ( あしぶみ )して心いらてり。 その居たるあとを踏みにじりて、 「畜生、畜生。 」 と 呟 ( つぶや )きざま、躍りかかりてハタと打ちし、 拳 ( こぶし )はいたずらに土によごれぬ。 渠 ( かれ )は一足先なる 方 ( かた )に悠々と 羽 ( は )づくろいす。 憎しと思う心を 籠 ( こ )めて 瞻 ( みまも )りたれば、虫は動かずなりたり。 つくづく見れば 羽蟻 ( はあり )の形して、それよりもやや 大 ( おおい )なる、身はただ五彩の色を帯びて青みがちにかがやきたる、うつくしさいわむ方なし。 色彩あり光沢ある虫は毒なりと、姉上の教えたるをふと思い出でたれば、打置きてすごすごと 引返 ( ひっかえ )せしが、 足許 ( あしもと )にさきの石の二ツに砕けて落ちたるより 俄 ( にわか )に心動き、拾いあげて取って返し、きと毒虫をねらいたり。 このたびはあやまたず、したたかうって殺しぬ。 嬉しく走りつきて石をあわせ、ひたと 打 ( うち )ひしぎて 蹴飛 ( けと )ばしたる、石は躑躅のなかをくぐりて小砂利をさそい、ばらばらと谷深くおちゆく音しき。 袂 ( たもと )のちり 打 ( うち )はらいて空を仰げば、日脚やや 斜 ( ななめ )になりぬ。 ほかほかとかおあつき 日向 ( ひなた )に唇かわきて、眼のふちより頬のあたりむず 痒 ( がゆ )きこと限りなかりき。 心着けば 旧 ( もと ) 来 ( き )し 方 ( かた )にはあらじと思う坂道の異なる方にわれはいつかおりかけいたり。 丘ひとつ越えたりけむ、戻る路はまたさきとおなじのぼりになりぬ。 見渡せば、見まわせば、赤土の道幅せまく、うねりうねり 果 ( はて )しなきに、両側つづきの躑躅の花、遠き 方 ( かた )は前後を 塞 ( ふさ )ぎて、日かげあかく咲込めたる空のいろの 真蒼 ( まさお )き下に、 彳 ( たたず )むはわれのみなり。 坂は急ならず長くもあらねど、一つ 尽 ( つく )ればまたあらたに 顕 ( あらわ )る。 起伏あたかも大波のごとく打続きて、いつ 坦 ( たん )ならむとも見えざりき。 あまり 倦 ( う )みたれば、一ツおりてのぼる坂の 窪 ( くぼみ )に 踞 ( つくば )いし、手のあきたるまま何ならむ指もて土にかきはじめぬ。 さという字も出来たり。 くという字も書きたり。 曲りたるもの、 直 ( すぐ )なるもの、心の趣くままに落書したり。 しかなせるあいだにも、頬のあたり 先刻 ( さき )に毒虫の触れたらむと覚ゆるが、しきりにかゆければ、袖もてひまなく 擦 ( こす )りぬ。 擦りてはまたもの書きなどせる、なかにむつかしき字のひとつ形よく出来たるを、姉に見せばやと思うに、 俄 ( にわか )にその顔の見とうぞなりたる。 立 ( たち )あがりてゆくてを見れば、左右より小枝を組みてあわいも 透 ( す )かで躑躅咲きたり。 日影ひとしお赤うなりまさりたるに、手を見たれば 掌 ( たなそこ )に照りそいぬ。 一文字にかけのぼりて、と見ればおなじ躑躅のだらだらおりなり。 走りおりて走りのぼりつ。 いつまでかかくてあらむ、こたびこそと思うに 違 ( たが )いて、道はまた 蜿 ( うね )れる坂なり。 踏心地柔かく小石ひとつあらずなりぬ。 いまだ家には遠しとみゆるに、忍びがたくも姉の顔なつかしく、しばらくも 得 ( え )堪えずなりたり。 再びかけのぼり、またかけりおりたる時、われしらず泣きていつ。 泣きながらひたばしりに走りたれど、なお家ある処に至らず、坂も躑躅も少しもさきに 異 ( ことな )らずして、日の傾くぞ心細き。 肩、背のあたり寒うなりぬ。 ゆう日あざやかにぱっと 茜 ( あかね )さして、眼もあやに躑躅の花、ただ 紅 ( くれない )の雪の降積めるかと疑わる。 われは涙の声たかく、あるほど声を絞りて姉をもとめぬ。 一たび二たび三たびして、こたえやすると耳を 澄 ( すま )せば、 遥 ( はるか )に滝の音聞えたり。 どうどうと響くなかに、いと高く 冴 ( さ )えたる声の 幽 ( かすか )に、 「もういいよ、もういいよ。 」 と呼びたる聞えき。 こはいとけなき我がなかまの隠れ遊びというものするあい図なることを認め得たる、一声くりかえすと、ハヤきこえずなりしが、ようよう心たしかにその声したる 方 ( かた )にたどりて、また坂ひとつおりて一つのぼり、こだかき所に立ちて 瞰 ( み )おろせば、あまり雑作なしや、堂の 瓦屋根 ( かわらやね )、杉の 樹立 ( こだち )のなかより見えぬ。 かくてわれ踏迷いたる 紅 ( くれない )の雪のなかをばのがれつ。 背後 ( うしろ )には躑躅の花飛び飛びに咲きて、青き草まばらに、やがて堂のうらに達せし時は一株も花のあかきはなくて、たそがれの色、境内の 手洗水 ( みたらし )のあたりを 籠 ( こ )めたり。 柵結いたる井戸ひとつ、 銀杏 ( いちょう )の 古 ( ふ )りたる樹あり、そがうしろに人の家の土塀あり。 此方 ( こなた )は裏木戸のあき地にて、むかいに小さき 稲荷 ( いなり )の堂あり。 石の鳥居あり。 木の鳥居あり。 この木の鳥居の左の柱には割れめありて太き鉄の輪を 嵌 ( は )めたるさえ、心たしかに覚えある、ここよりはハヤ家に近しと思うに、さきの恐しさは全く忘れ果てつ。 ただひとえにゆう日照りそいたるつつじの花の、わが丈よりも高き処、前後左右を 咲埋 ( さきうず )めたるあかき色のあかきがなかに、緑と、 紅 ( くれない )と、紫と、 青白 ( せいはく )の光を 羽色 ( はいろ )に帯びたる毒虫のキラキラと飛びたるさまの広き景色のみぞ、 画 ( え )のごとく小さき胸にえがかれける。 さきにわれ泣きいだして 救 ( すくい )を姉にもとめしを、 渠 ( かれ )に認められしぞ 幸 ( さいわい )なる。 いうことを 肯 ( き )かで一人いで来しを、弱りて泣きたりと知られむには、さもこそとて笑われなむ。 優しき人のなつかしけれど、顔をあわせて 謂 ( い )いまけむは口惜しきに。 嬉しく喜ばしき思い胸にみちては、また急に家に帰らむとはおもわず。 ひとり境内に 彳 ( たたず )みしに、わッという声、笑う声、木の蔭、井戸の裏、堂の奥、廻廊の下よりして、五ツより八ツまでなる 児 ( こ )の五六人 前後 ( あとさき )に走り出でたり、こはかくれ遊びの一 人 ( にん )が見いだされたるものぞとよ。 二人 ( ふたり ) 三人 ( みたり )走り来て、わがそこに立てるを見つ。 皆瞳を集めしが、 「お遊びな、一所にお遊びな。 」とせまりて勧めぬ。 小家 ( こいえ )あちこち、このあたりに住むは、かたいというものなりとぞ。 風俗少しく異なれり。 児 ( こ )どもが親達の家富みたるも 好 ( よ )き 衣 ( きぬ )着たるはあらず、大抵 跣足 ( はだし )なり。 三味線 ( さみせん )弾きて折々わが 門 ( かど )に 来 ( きた )るもの、溝川に 鰌 ( どじょう )を捕うるもの、 附木 ( つけぎ )、草履など 鬻 ( ひさ )ぎに来るものだちは、皆この児どもが母なり、父なり、祖母などなり。 さるものとはともに遊ぶな、とわが友は常に 戒 ( いまし )めつ。 さるに町方の者としいえば、かたいなる児ども尊び敬いて、しばらくもともに遊ばんことを 希 ( こいねが )うや、親しく、優しく勉めてすなれど、不断は 此方 ( こなた )より遠ざかりしが、その時は先にあまり淋しくて、友欲しき念の堪えがたかりしその心のまだ 失 ( う )せざると、恐しかりしあとの楽しきとに、われは拒まずして 頷 ( うなず )きぬ。 児どもはさざめき喜びたりき。 さてまたかくれあそびを繰返すとて、 拳 ( けん )してさがすものを定めしに、われその任にあたりたり。 面 ( おもて )を 蔽 ( おお )えというままにしつ。 ひッそとなりて、堂の裏 崖 ( がけ )をさかさに落つる滝の音どうどうと松杉の 梢 ( こずえ )ゆう風に鳴り渡る。 かすかに、 「もう 可 ( い )いよ、もう可いよ。 」 と呼ぶ声、 谺 ( こだま )に響けり。 眼をあくればあたり静まり返りて、たそがれの色また 一際 ( ひときわ )襲い 来 ( きた )れり。 大 ( おおい )なる樹のすくすくとならべるが 朦朧 ( もうろう )としてうすぐらきなかに隠れむとす。 声したる 方 ( かた )をと思う処には誰も 居 ( お )らず。 ここかしこさがしたれど人らしきものあらざりき。 また 旧 ( もと )の境内の中央に立ちて、もの淋しく 瞶 ( みまわ )しぬ。 山の奥にも響くべく 凄 ( すさま )じき音して堂の扉を 鎖 ( とざ )す音しつ、 闃 ( げき )としてものも聞えずなりぬ。 親しき友にはあらず。 常にうとましき児どもなれば、かかる 機会 ( おり )を得てわれをば 苦 ( くるし )めむとや 企 ( たく )みけむ。 身を隠したるまま 密 ( ひそか )に 遁 ( に )げ去りたらむには、探せばとて獲らるべき。 益 ( やく )もなきことをとふと思いうかぶに、うちすてて 踵 ( くびす )をかえしつ。 さるにても 万一 ( もし )わがみいだすを待ちてあらばいつまでも出でくることを得ざるべし、それもまたはかり難しと、心迷いて、とつ、おいつ、 徒 ( いたずら )に立ちて 困 ( こう )ずる折しも、いずくより 来 ( きた )りしとも見えず、暗うなりたる境内の、うつくしく掃いたる土のひろびろと灰色なせるに際立ちて、顔の色白く、うつくしき人、いつかわが 傍 ( かたわら )に居て、うつむきざまにわれをば見き。 極めて丈高き女なりし、その手を懐にして肩を垂れたり。 優しきこえにて、 「こちらへおいで。 こちら。 」 といいて 前 ( さき )に立ちて導きたり。 見知りたる 女 ( ひと )にあらねど、うつくしき顔の 笑 ( えみ )をば含みたる、よき人と思いたれば、怪しまで、隠れたる児のありかを教うるとさとりたれば、いそいそと従いぬ。 わが思う処に 違 ( たが )わず、堂の前を左にめぐりて少しゆきたる 突 ( つき )あたりに小さき 稲荷 ( いなり )の 社 ( やしろ )あり。 青き旗、白き旗、二三本その前に立ちて、うしろはただちに山の 裾 ( すそ )なる雑樹斜めに 生 ( お )いて、社の上を 蔽 ( おお )いたる、その下のおぐらき処、 孔 ( あな )のごとき 空地 ( くうち )なるをソとめくばせしき。 瞳は水のしたたるばかり 斜 ( ななめ )にわが顔を見て動けるほどに、あきらかにその心ぞ読まれたる。 さればいささかもためらわで、つかつかと社の裏をのぞき込む、鼻うつばかり冷たき風あり。 落葉、朽葉 堆 ( うずたか )く水くさき土のにおいしたるのみ、人の 気勢 ( けはい )もせで、 頸 ( えり )もとの 冷 ( ひやや )かなるに、と胸をつきて見返りたる、またたくまと思うかの 女 ( ひと )はハヤ見えざりき。 いずかたにか去りけむ、暗くなりたり。 身の毛よだちて、思わず 呀 ( あなや )と叫びぬ。 人顔のさだかならぬ時、暗き隅に 行 ( ゆ )くべからず、たそがれの片隅には、怪しきもの居て人を惑わすと、姉上の教えしことあり。 われは 茫然 ( ぼうぜん )として 眼 ( まなこ )を ( みは )りぬ。 足ふるいたれば動きもならず、固くなりて立ちすくみたる、 左手 ( ゆんで )に坂あり。 穴のごとく、その底よりは風の吹き出づると思う 黒闇々 ( こくあんあん )たる坂下より、ものののぼるようなれば、ここにあらば捕えられむと恐しく、とこうの思慮もなさで社の裏の狭きなかににげ入りつ。 眼を 塞 ( ふさ )ぎ、 呼吸 ( いき )をころしてひそみたるに、 四足 ( よつあし )のものの歩むけはいして、社の前を横ぎりたり。 われは人心地もあらで見られじとのみひたすら手足を縮めつ。 さるにてもさきの 女 ( ひと )のうつくしかりし顔、 優 ( やさし )かりし眼を忘れず。 ここをわれに教えしを、今にして思えばかくれたる 児 ( こ )どものありかにあらで、何等か恐しきもののわれを捕えむとするを、ここに潜め、助かるべしとて、導きしにはあらずやなど、はかなきことを考えぬ。 しばらくして 小提灯 ( こぢょうちん )の 火影 ( ほかげ )あかきが坂下より急ぎのぼりて 彼方 ( かなた )に走るを見つ。 ほどなく 引返 ( ひっかえ )してわがひそみたる社の前に近づきし時は、一人ならず二人 三人 ( みたり )連立ちて 来 ( きた )りし感あり。 あたかもその 立留 ( たちどま )りし折から、別なる 跫音 ( あしおと )、また坂をのぼりてさきのものと落合いたり。 「おいおい分らないか。 」 「ふしぎだな、なんでもこの辺で見たというものがあるんだが。 」 とあとよりいいたるはわが家につかいたる下男の声に似たるに、あわや出でむとせしが、恐しきもののさはたばかりて、おびき 出 ( いだ )すにやあらむと恐しさは一しお増しぬ。 「もう一度念のためだ、 田圃 ( たんぼ )の方でも廻って見よう、お前も頼む。 」 「それでは。 」といいて 上下 ( うえした )にばらばらと分れて 行 ( ゆ )く。 再び 寂 ( せき )としたれば、ソと身うごきして、足をのべ、板めに手をかけて眼ばかりと思う顔少し差出だして、 外 ( と )の 方 ( かた )をうかがうに、何ごともあらざりければ、やや落着きたり。 怪しきものども、何とてやはわれをみいだし得む、 愚 ( おろか )なる、と 冷 ( ひやや )かに笑いしに、思いがけず、誰ならむたまぎる声して、あわてふためき 遁 ( に )ぐるがありき。 驚きてまたひそみぬ。 「ちさとや、ちさとや。 」と坂下あたり、かなしげにわれを呼ぶは、姉上の声なりき。 「居ないッて私あどうしよう、 爺 ( じい )や。 」 「根ッから居さっしゃらぬことはござりますまいが、日は暮れまする。 何せい、御心配なこんでござります。 お前様遊びに出します時、帯の 結 ( むすび )めをとんとたたいてやらっしゃれば 好 ( よ )いに。 」 「ああ、いつもはそうして出してやるのだけれど、きょうはお前私にかくれてそッと出て行ったろうではないかねえ。 」 「それはハヤ 不念 ( ぶねん )なこんだ。 帯の結めさえ叩いときゃ、何がそれで 姉様 ( あねさま )なり、 母様 ( おふくろさま )なりの魂が入るもんだで 魔 ( エテ )めはどうすることもしえないでごす。 」 「そうねえ。 」とものかなしげに語らいつつ、 社 ( やしろ )の前をよこぎりたまえり。 走りいでしが、あまりおそかりき。 いかなればわれ姉上をまで 怪 ( あやし )みたる。 悔ゆれど及ばず、かなたなる境内の鳥居のあたりまで追いかけたれど、早やその姿は見えざりき。 涙ぐみて 彳 ( たたず )む時、ふと見る 銀杏 ( いちょう )の木のくらき夜の空に、 大 ( おおい )なる円き影して茂れる下に、女の後姿ありてわが 眼 ( まなこ )を遮りたり。 あまりよく似たれば、姉上と呼ばむとせしが、よしなきものに声かけて、なまじいにわがここにあるを知られむは、 拙 ( つたな )きわざなればと思いてやみぬ。 とばかりありて、その姿またかくれ去りつ。 見えずなればなおなつかしく、たとえ恐しきものなればとて、かりにもわが優しき姉上の姿に 化 ( け )したる上は、われを捕えてむごからむや。 さきなるはさもなくて、いま幻に見えたるがまことその人なりけむもわかざるを、何とて 言 ( ことば )はかけざりしと、打泣きしが、かいもあらず。 あわれさまざまのものの怪しきは、すべてわが 眼 ( まなこ )のいかにかせし作用なるべし、さらずば涙にくもりしや、 術 ( すべ )こそありけれ、かなたなる 御手洗 ( みたらし )にて清めてみばやと寄りぬ。 煤 ( すす )けたる 行燈 ( あんどう )の横長きが一つ上にかかりて、ほととぎすの 画 ( え )と句など書いたり、灯をともしたるに、水はよく澄みて、青き 苔 ( こけ )むしたる石鉢の底もあきらかなり。 手に 掬 ( むす )ばむとしてうつむく時、思いかけず見たるわが顔はそもそもいかなるものぞ。 覚えず叫びしが心を 籠 ( こ )めて、気を鎮めて、両の 眼 ( まなこ )を 拭 ( ぬぐ )い拭い、水に臨む。 われにもあらでまたとは見るに忍びぬを、いかでわれかかるべき、必ず心の迷えるならむ、今こそ、今こそとわななきながら見直したる、肩をとらえて声ふるわし、 「お、お、千里。 ええも、お前は。 」と姉上ののたまうに、 縋 ( すが )りつかまくみかえりたる、わが顔を見たまいしが、 「あれ!」 といいて一足すさりて、 「違ってたよ、坊や。 」とのみいいずてに 衝 ( つ )と 馳 ( は )せ去りたまえり。 怪しき神のさまざまのことしてなぶるわと、あまりのことに腹立たしく、あしずりして泣きに泣きつつ、ひたばしりに追いかけぬ。 捕えて何をかなさむとせし、そはわれ知らず。 ひたすらものの口惜しければ、とにかくもならばとてなむ。 坂もおりたり、のぼりたり、 大路 ( おおみち )と覚しき町にも出でたり、暗き 径 ( こみち )も 辿 ( たど )りたり、野もよこぎりぬ。 畦 ( あぜ )も越えぬ。 あとをも見ずて 駈 ( か )けたりし。 道いかばかりなりけむ、漫々たる水面やみのなかに銀河のごとく 横 ( よこた )わりて、黒き、恐しき森四方をかこめる、大沼とも覚しきが、 前途 ( ゆくて )を 塞 ( ふさ )ぐと覚ゆる 蘆 ( あし )の葉の繁きがなかにわが 身体 ( からだ )倒れたる、あとは知らず。 眼のふち 清々 ( すがすが )しく、涼しき 薫 ( かおり )つよく薫ると心着く、身は柔かき 蒲団 ( ふとん )の上に 臥 ( ふ )したり。 やや枕をもたげて見る、 竹縁 ( ちくえん )の障子あけ放して、庭つづきに向いなる 山懐 ( やまふところ )に、緑の草の、ぬれ色青く 生茂 ( おいしげ )りつ。 その半腹にかかりある 巌角 ( いわかど )の 苔 ( こけ )のなめらかなるに、一 挺 ( ちょう )はだか 蝋 ( ろう )に灯ともしたる 灯影 ( ほかげ )すずしく、 筧 ( かけひ )の水むくむくと 湧 ( わ )きて玉ちるあたりに 盥 ( たらい )を据えて、うつくしく髪結うたる 女 ( ひと )の、身に一糸もかけで、むこうざまにひたりていたり。 筧の水はそのたらいに落ちて、 溢 ( あふ )れにあふれて、地の 窪 ( くぼ )みに流るる音しつ。 蝋の灯は吹くとなき山おろしにあかくなり、くろうなりて、ちらちらと眼に映ずる雪なす 膚 ( はだえ )白かりき。 わが寝返る音に、ふと 此方 ( こなた )を見返り、それと 頷 ( うなず )く 状 ( さま )にて、片手をふちにかけつつ片足を立てて盥のそとにいだせる時、 颯 ( さ )と音して、烏よりは小さき鳥の真白きがひらひらと舞いおりて、うつくしき人の 脛 ( はぎ )のあたりをかすめつ。 そのままおそれげものう翼を休めたるに、ざぶりと水をあびせざま 莞爾 ( にっこ )とあでやかに笑うてたちぬ。 手早く 衣 ( きぬ )もてその胸をば 蔽 ( おお )えり。 鳥はおどろきてはたはたと飛去りぬ。 夜の色は極めてくらし、蝋を取りたるうつくしき人の姿さやかに、庭下駄重く引く音しつ。 ゆるやかに縁の端に腰をおろすとともに、手をつきそらして 捩向 ( ねじむ )きざま、わがかおをば見つ。 「気分は 癒 ( なお )ったかい、坊や。 」 といいて 頭 ( こうべ )を傾けぬ。 ちかまさりせる 面 ( おもて )けだかく、眉あざやかに、瞳すずしく、鼻やや高く、唇の 紅 ( くれない )なる、額つき頬のあたり ( ろう )たけたり。 こはかねてわがよしと思い 詰 ( つめ )たる 雛 ( ひな )のおもかげによく似たれば貴き人ぞと見き。 年は姉上よりたけたまえり。 知人 ( しりびと )にはあらざれど、はじめて逢いし方とは思わず、さりや、誰にかあるらむとつくづくみまもりぬ。 またほほえみたまいて、 「お前あれは 斑猫 ( はんみょう )といって大変な毒虫なの。 もう 可 ( い )いね、まるでかわったようにうつくしくなった、あれでは 姉様 ( ねえさん )が見違えるのも無理はないのだもの。 」 われもさあらむと思わざりしにもあらざりき。 いまはたしかにそれよと疑わずなりて、のたまうままに頷きつ。 あたりのめずらしければ起きむとする夜着の肩、ながく柔かにおさえたまえり。 「じっとしておいで、あんばいがわるいのだから、落着いて、ね、気をしずめるのだよ、 可 ( い )いかい。 」 われはさからわで、ただ眼をもて答えぬ。 「どれ。 」といいて立ったる折、のしのしと道芝を踏む音して、つづれをまとうたる 老夫 ( おやじ )の、顔の色いと赤きが縁近う入り来つ。 「はい、これはお 児 ( こ )さまがござらっせえたの、可愛いお児じゃ、お前様も嬉しかろ。 ははは、どりゃ、またいつものを頂きましょか。 」 腰をななめにうつむきて、ひったりとかの筧に顔をあて、口をおしつけてごっごっごっとたてつづけにのみたるが、ふッといきを吹きて空を仰ぎぬ。 「やれやれ 甘 ( うま )いことかな。 はい、参ります。 」 と 踵 ( くびす )を返すを、 此方 ( こなた )より呼びたまいぬ。 「じいや、御苦労だが。 また来ておくれ、この児を返さねばならぬから。 」 「あいあい。 」 と答えて去る。 山風 颯 ( さっ )とおろして、かの白き鳥また 翔 ( た )ちおりつ。 黒き盥のうちに乗りて 羽 ( は )づくろいして静まりぬ。 「もう、風邪を引かないように寝させてあげよう、どれそんなら私も。 」とて 静 ( しずか )に雨戸をひきたまいき。 やがて 添臥 ( そいぶし )したまいし、さきに水を浴びたまいし故にや、わが 膚 ( はだ )おりおり 慄然 ( りつぜん )たりしが何の心ものうひしと 取縋 ( とりすが )りまいらせぬ。 あとをあとをというに、おさな物語二ツ三ツ聞かせたまいつ。 やがて、 「一ツ 谺 ( こだま )、坊や、二ツ谺といえるかい。 」 「二ツ谺。 」 「三ツ谺、四ツ谺といって御覧。 」 「四ツ谺。 」 「五ツ谺。 そのあとは。 」 「六ツ谺。 」 「そうそう七ツ谺。 」 「八ツ谺。 さあもうおとなにして寝るんです。 」 背に手をかけ引寄せて、玉のごときその乳房をふくませたまいぬ。 露 ( あらわ )に白き襟、肩のあたり 鬢 ( びん )のおくれ毛はらはらとぞみだれたる、かかるさまは、わが姉上とは 太 ( いた )く違えり。 乳をのまむというを姉上は許したまわず。 ふところをかいさぐれば常に叱りたまうなり。 母上みまかりたまいてよりこのかた 三年 ( みとせ )を経つ。 乳 ( ち )の味は忘れざりしかど、いまふくめられたるはそれには似ざりき。 垂玉 ( すいぎょく )の乳房ただ淡雪のごとく含むと舌にきえて触るるものなく、すずしき 唾 ( つば )のみぞあふれいでたる。 軽く 背 ( せな )をさすられて、われ 現 ( うつつ )になる時、屋の棟、天井の上と覚し、 凄 ( すさ )まじき音してしばらくは鳴りも 止 ( や )まず。 ここにつむじ風吹くと柱動く恐しさに、わななき 取 ( とり )つくを抱きしめつつ、 「あれ、お客があるんだから、もう今夜は堪忍しておくれよ、いけません。 」 とキとのたまえば、やがてぞ静まりける。 「 恐 ( こわ )くはないよ。 鼠だもの。 」 とある、さりげなきも、われはなおその 響 ( ひびき )のうちにものの叫びたる声せしが耳に残りてふるえたり。 うつくしき人はなかばのりいでたまいて、とある 蒔絵 ( まきえ )ものの手箱のなかより、 一口 ( ひとふり )の 守刀 ( まもりがたな )を取出しつつ 鞘 ( さや )ながら 引 ( ひき )そばめ、 雄々 ( おお )しき声にて、 「何が来てももう恐くはない、安心してお寝よ。 」とのたまう、たのもしき 状 ( さま )よと思いてひたとその胸にわが顔をつけたるが、ふと眼をさましぬ。 残燈 ( ありあけ )暗く床柱の黒うつややかにひかるあたり薄き紫の色 籠 ( こ )めて、 香 ( こう )の 薫 ( かおり )残りたり。 枕をはずして顔をあげつ。 顔に顔をもたせてゆるく 閉 ( とじ )たまいたる眼の 睫毛 ( まつげ )かぞうるばかり、すやすやと寝入りていたまいぬ。 ものいわむとおもう心おくれて、しばし 瞻 ( みまも )りしが、淋しさにたえねばひそかにその唇に指さきをふれてみぬ。 指はそれて唇には届かでなむ、あまりよくねむりたまえり。 鼻をやつままむ眼をやおさむとまたつくづくと 打 ( うち )まもりぬ。 ふとその 鼻頭 ( はなさき )をねらいて手をふれしに 空 ( くう )を 捻 ( ひね )りて、うつくしき人は 雛 ( ひな )のごとく顔の筋ひとつゆるみもせざりき。 またその眼のふちをおしたれど水晶のなかなるものの形を取らむとするよう、わが顔はそのおくれげのはしに頬をなでらるるまで近々とありながら、いかにしても指さきはその顔に届かざるに、はては心いれて、 乳 ( ち )の下に 面 ( おもて )をふせて、強く額もて 圧 ( お )したるに、顔にはただあたたかき霞のまとうとばかり、のどかにふわふわとさわりしが、 薄葉 ( うすよう ) 一重 ( ひとえ )の支うるなく着けたる額はつと下に落ち沈むを、心着けば、うつくしき人の胸は、もとのごとく 傍 ( かたわら )にあおむきいて、わが鼻は、いたずらにおのが 膚 ( はだ )にぬくまりたる、柔き蒲団に 埋 ( うも )れて、おかし。 夢幻 ( ゆめまぼろし )ともわかぬに、心をしずめ、眼をさだめて見たる、片手はわれに枕させたまいし元のまま柔かに力なげに蒲団のうえに垂れたまえり。 片手をば胸にあてて、いと白くたおやかなる五指をひらきて黄金の 目貫 ( めぬき )キラキラとうつくしき 鞘 ( さや )の 塗 ( ぬり )の輝きたる小さき守刀をしかと持つともなく 乳 ( ち )のあたりに落して据えたる、鼻たかき顔のあおむきたる、唇のものいうごとき、閉じたる眼のほほ笑むごとき、髪のさらさらしたる、枕にみだれかかりたる、それも 違 ( たが )わぬに、胸に 剣 ( つるぎ )をさえのせたまいたれば、亡き母上のその時のさまに 紛 ( まが )うべくも見えずなむ、コハこの君もみまかりしよとおもういまわしさに、はや 取除 ( とりの )けなむと、胸なるその守刀に手をかけて、つと引く、せっぱゆるみて、青き光 眼 ( まなこ )を射たるほどこそあれ、いかなるはずみにか 血汐 ( ちしお )さとほとばしりぬ。 眼もくれたり。 したしたとながれにじむをあなやと両の 拳 ( こぶし )もてしかとおさえたれど、 留 ( とど )まらで、とうとうと音するばかりぞ 淋漓 ( りんり )としてながれつたえる、血汐のくれない 衣 ( きぬ )をそめつ。 うつくしき人は 寂 ( せき )として石像のごとく 静 ( しずか )なる 鳩尾 ( みずおち )のしたよりしてやがて半身をひたし尽しぬ。 おさえたるわが手には血の色つかぬに、 燈 ( ともしび )にすかす指のなかの 紅 ( くれない )なるは、人の血の 染 ( そ )みたる色にはあらず、 訝 ( いぶか )しく 撫 ( な )で試むる 掌 ( たなそこ )のその血汐にはぬれもこそせね、こころづきて見定むれば、かいやりし夜のものあらわになりて、すずしの絹をすきて見ゆるその 膚 ( はだ )にまといたまいし紅の色なりける。 いまはわれにもあらで声高に、母上、母上と呼びたれど、叫びたれど、ゆり動かし、おしうごかししたりしが、 効 ( かい )なくてなむ、ひた泣きに泣く泣くいつのまにか寝たりと 覚 ( おぼ )し。 顔あたたかに胸をおさるる心地に眼覚めぬ。 空青く晴れて日影まばゆく、木も草もてらてらと暑きほどなり。 われはハヤゆうべ見し顔のあかき 老夫 ( おじ )の 背 ( せな )に負われて、とある山路を 行 ( ゆ )くなりけり。 うしろよりはかのうつくしき人したがい来ましぬ。 さてはあつらえたまいしごとく家に送りたまうならむと 推 ( おし )はかるのみ、わが胸の 中 ( うち )はすべて見すかすばかり知りたまうようなれば、わかれの惜しきも、ことのいぶかしきも、取出でていわむは 益 ( やく )なし。 教うべきことならむには、 彼方 ( かなた )より先んじてうちいでこそしたまうべけれ。 家に帰るべきわが運ならば、強いて 止 ( とど )まらむと乞いたりとて何かせん、さるべきいわれあればこそ、と大人しゅう、ものもいわでぞ 行 ( ゆ )く。 断崖 ( だんがい )の左右に 聳 ( そび )えて、点滴声する処ありき。 雑草高き 径 ( こみち )ありき。 松柏 ( まつかしわ )のなかを 行 ( ゆ )く処もありき。 きき知らぬ鳥うたえり。 褐色なる獣ありて、おりおり 叢 ( くさむら )に躍り入りたり。 ふみわくる道とにもあらざりしかど、 去年 ( こぞ )の落葉道を 埋 ( うず )みて、人多く通う所としも見えざりき。 おじは一 挺 ( ちょう )の 斧 ( おの )を腰にしたり。 れいによりてのしのしとあゆみながら、 茨 ( いばら )など生いしげりて、 衣 ( きぬ )の袖をさえぎるにあえば、すかすかと切って払いて、うつくしき人を通し参らす。 されば 山路 ( やまみち )のなやみなく、高き 塗下駄 ( ぬりげた )の見えがくれに長き 裾 ( すそ )さばきながら来たまいつ。 かくて大沼の岸に臨みたり。 水は漫々として 藍 ( らん )を 湛 ( たた )え、まばゆき日のかげもここの森にはささで、水面をわたる風寒く、 颯々 ( さっさつ )として声あり。 おじはここに来てソとわれをおろしつ。 はしり寄れば手を取りて立ちながら肩を 抱 ( いだ )きたまう、 衣 ( きぬ )の袖左右より長くわが肩にかかりぬ。 蘆間 ( あしま )の 小舟 ( おぶね )の 纜 ( ともづな )を解きて、 老夫 ( おじ )はわれをかかえて乗せたり。 一緒ならではと、しばしむずかりたれど、めまいのすればとて乗りたまわず、さらばとのたまうはしに 棹 ( さお )を立てぬ。 船は出でつ。 わッと泣きて立上りしがよろめきてしりいに倒れぬ。 舟というものにははじめて乗りたり。 水を切るごとに眼くるめくや、 背後 ( うしろ )に居たまえりとおもう人の 大 ( おおい )なる 環 ( わ )にまわりて 前途 ( ゆくて )なる 汀 ( みぎわ )に居たまいき。 いかにして渡し越したまいつらむと思うときハヤ 左手 ( ゆんで )なる汀に見えき。 見る見る 右手 ( めて )なる汀にまわりて、やがて 旧 ( もと )のうしろに立ちたまいつ。 箕 ( み )の形したる 大 ( おおい )なる沼は、汀の蘆と、松の木と、建札と、その 傍 ( かたわら )なるうつくしき人ともろともに緩き環を描いて廻転し、はじめは 徐 ( おもむ )ろにまわりしが、あとあと急になり、 疾 ( はや )くなりつ、くるくるくると次第にこまかくまわるまわる、わが顔と一尺ばかりへだたりたる、まぢかき処に松の木にすがりて見えたまえる、とばかりありて眼の 前 ( さき )にうつくしき顔の ( ろう )たけたるが 莞爾 ( にっこ )とあでやかに笑みたまいしが、そののちは見えざりき。 蘆は繁く丈よりも高き汀に、船はとんとつきあたりぬ。 おじはわれを 扶 ( たす )けて船より出だしつ。 またその 背 ( せな )を向けたり。 「泣くでねえ泣くでねえ。 もうじきに坊ッさまの 家 ( うち )じゃ。 」と慰めぬ。 かなしさはそれにはあらねど、いうもかいなくてただ泣きたりしが、しだいに身のつかれを感じて、手も足も綿のごとくうちかけらるるよう肩に負われて、顔を垂れてぞともなわれし。 見覚えある板塀のあたりに来て、日のややくれかかる時、 老夫 ( おじ )はわれを 抱 ( いだ )き 下 ( おろ )して、溝のふちに立たせ、ほくほく 打 ( うち )えみつつ、 慇懃 ( いんぎん )に会釈したり。 「おとなにしさっしゃりませ。 」 といいずてに 何地 ( いずち )ゆくらむ。 別れはそれにも惜しかりしが、あと追うべき力もなくて見おくり果てつ。 指す 方 ( かた )もあらでありくともなく歩をうつすに、 頭 ( かしら )ふらふらと足の重たくて 行 ( ゆき )悩む、前に 行 ( ゆ )くも、後ろに帰るも皆 見知越 ( みしりごし )のものなれど、誰も取りあわむとはせで 往 ( ゆ )きつ 来 ( きた )りつす。 さるにてもなおものありげにわが顔をみつつ 行 ( ゆ )くが、 冷 ( ひやや )かに 嘲 ( あざけ )るがごとく憎さげなるぞ 腹立 ( はらだた )しき。 おもしろからぬ町ぞとばかり、足はわれ知らず向直りて、とぼとぼとまた山ある 方 ( かた )にあるき 出 ( いだ )しぬ。 けたたましき 跫音 ( あしおと )して 鷲掴 ( わしづかみ )に襟を 掴 ( つか )むものあり。 あなやと振返ればわが家の 後見 ( うしろみ )せる奈四郎といえる力 逞 ( たく )ましき叔父の、 凄 ( すさ )まじき 気色 ( けしき )して、 「つままれめ、どこをほッつく。 」と 喚 ( わめ )きざま、 引立 ( ひった )てたり。 また庭に 引出 ( ひきいだ )して水をやあびせられむかと、泣叫びてふりもぎるに、おさえたる手をゆるべず、 「しっかりしろ。 」 とめくるめくばかり背を 拍 ( う )ちて宙につるしながら、走りて家に帰りつ。 立騒ぐ召つかいどもを叱りつも 細引 ( ほそびき )を 持 ( も )て来さして、しかと両手をゆわえあえず奥まりたる三畳の暗き 一室 ( ひとま )に 引立 ( ひった )てゆきてそのまま柱に 縛 ( いまし )めたり。 近く寄れ、 喰 ( くい )さきなむと思うのみ、歯がみして 睨 ( にら )まえたる、眼の色こそ怪しくなりたれ、 逆 ( さか )つりたる 眦 ( まなじり )は 憑 ( つ )きもののわざよとて、寄りたかりて口々にののしるぞ無念なりける。 おもての 方 ( かた )さざめきて、いずくにか 行 ( ゆ )きおれる姉上帰りましつと 覚 ( おぼ )し、 襖 ( ふすま )いくつかぱたぱたと音してハヤここに来たまいつ。 叔父は室の外にさえぎり迎えて、 「ま、やっと取返したが、縄を解いてはならんぞ。 もう眼が血走っていて、すきがあると 駈 ( か )け出すじゃ。 魔 ( エテ )どのがそれしょびくでの。 」 と 戒 ( いまし )めたり。 いうことよくわが心を得たるよ、しかり、 隙 ( ひま )だにあらむにはいかでかここにとどまるべき。 」とばかりにいらえて姉上はまろび入りて、ひしと取着きたまいぬ。 ものはいわでさめざめとぞ泣きたまえる、おん 情 ( なさけ )手にこもりて 抱 ( いだ )かれたるわが胸絞らるるようなりき。 姉上の膝に 臥 ( ふ )したるあいだに、医師 来 ( きた )りてわが脈をうかがいなどしつ。 叔父は医師とともに 彼方 ( あなた )に去りぬ。 「ちさや、どうぞ気をたしかにもっておくれ。 もう 姉様 ( ねえさん )はどうしようね。 お前、私だよ。 姉さんだよ。 ね、わかるだろう、私だよ。 」 といきつくづくじっとわが顔をみまもりたまう、 涙痕 ( るいこん )したたるばかりなり。 その心の安んずるよう、強いて顔つくりてニッコと笑うて見せぬ。 「おお、薄気味が悪いねえ。 」 と 傍 ( かたわら )にありたる奈四郎の妻なる人 呟 ( つぶや )きて身ぶるいしき。 やがてまた人々われを取巻きてありしことども責むるがごとくに問いぬ。 くわしく語りて 疑 ( うたがい )を解かむとおもうに、おさなき口の順序正しく語るを得むや、根問い、葉問いするに一々 説明 ( ときあ )かさむに、しかもわれあまりに疲れたり。 うつつ心に何をかいいたる。 ようやくいましめはゆるされたれど、なお心の狂いたるものとしてわれをあしらいぬ。 いうこと信ぜられず、すること皆人の 疑 ( うたがい )を増すをいかにせむ。 ひしと 取籠 ( とりこ )めて庭にも 出 ( いだ )さで日を過しぬ。 血色わるくなりて 痩 ( や )せもしつとて、姉上のきづかいたまい、 後見 ( うしろみ )の叔父夫婦にはいとせめて 秘 ( かく )しつつ、そとゆうぐれを忍びて、おもての景色見せたまいしに、 門辺 ( かどべ )にありたる多くの 児 ( こ )ども我が姿を見ると、一斉に、アレさらわれものの、 気狂 ( きちがい )の、狐つきを見よやといういう、砂利、小砂利をつかみて投げつくるは不断親しかりし 朋達 ( ともだち )なり。 姉上は袖もてわれを 庇 ( かば )いながら顔を赤うして 遁 ( に )げ入りたまいつ。 人目なき処にわれを引据えつと見るまに取って伏せて、打ちたまいぬ。 悲しくなりて泣出せしに、あわただしく 背 ( せな )をばさすりて、 「堪忍しておくれよ、よ、こんなかわいそうなものを。 」 といいかけて、 「私あもう気でも違いたいよ。 」としみじみと 掻口説 ( かきくど )きたまいたり。 いつのわれにはかわらじを、何とてさはあやまるや、世にただ一人なつかしき姉上までわが顔を見るごとに、気を 確 ( たしか )に、心を鎮めよ、と涙ながらいわるるにぞ、さてはいかにしてか、心の狂いしにはあらずやとわれとわが身を危ぶむようそのたびになりまさりて、 果 ( はて )はまことにものくるわしくもなりもてゆくなる。 たとえば怪しき糸の 十重二十重 ( とえはたえ )にわが身をまとう心地しつ。 しだいしだいに暗きなかに奥深くおちいりてゆく 思 ( おもい )あり。 それをば刈払い、 遁出 ( のがれい )でむとするにその 術 ( すべ )なく、すること、なすこと、人見て必ず、眉を 顰 ( ひそ )め、 嘲 ( あざけ )り、笑い、 卑 ( いやし )め、 罵 ( ののし )り、はた 悲 ( かなし )み憂いなどするにぞ、気あがり、心激し、ただじれにじれて、すべてのもの皆われをはらだたしむ。 口惜しく腹立たしきまま身の 周囲 ( まわり )はことごとく 敵 ( かたき )ぞと思わるる。 町も、家も、樹も、 鳥籠 ( とりかご )も、はたそれ何等のものぞ、姉とてまことの姉なりや、さきには一たびわれを見てその弟を忘れしことあり。 塵 ( ちり )一つとしてわが眼に 入 ( い )るは、すべてものの 化 ( け )したるにて、恐しきあやしき神のわれを悩まさむとて現じたるものならむ。 さればぞ姉がわが快復を祈る 言 ( ことば )もわれに心を狂わすよう、わざとさはいうならむと、一たびおもいては堪うべからず、力あらば 恣 ( ほしいまま )にともかくもせばやせよかし、近づかば喰いさきくれむ、蹴飛ばしやらむ、 掻 ( かき )むしらむ、 透 ( すき )あらばとびいでて、九ツ 谺 ( こだま )とおしえたる、とうときうつくしきかのひとの 許 ( もと )に遁げ去らむと、胸の 湧 ( わ )きたつほどこそあれ、ふたたび暗室にいましめられぬ。 毒ありと疑えばものも食わず、薬もいかでか飲まむ、うつくしき顔したりとて、優しきことをいいたりとて、いつわりの姉にはわれことばもかけじ。 眼にふれて見ゆるものとしいえば、たけりくるい、 罵 ( ののし )り叫びてあれたりしが、ついには声も出でず、身も動かず、われ人をわきまえず心地死ぬべくなれりしを、うつらうつら 舁 ( か )きあげられて高き石壇をのぼり、 大 ( おおい )なる門を 入 ( い )りて、赤土の色きれいに掃きたる 一条 ( ひとすじ )の道長き、右左、 石燈籠 ( いしどうろう )と 石榴 ( ざくろ )の樹の小さきと、おなじほどの距離にかわるがわる続きたるを 行 ( ゆ )きて、 香 ( こう )の 薫 ( かおり )しみつきたる太き 円柱 ( まるばしら )の際に寺の本堂に据えられつ、ト思う耳のはたに竹を 破 ( わ )る 響 ( ひびき )きこえて、僧ども五三人一斉に声を揃え、高らかに 誦 ( じゅ )する声耳を 聾 ( ろう )するばかり 喧 ( かし )ましさ堪うべからず、 禿顱 ( とくろ )ならび居る木のはしの法師ばら、何をかすると、 拳 ( こぶし )をあげて一 人 ( にん )の 天窓 ( あたま )をうたんとせしに、 一幅 ( ひとはば )の青き光 颯 ( さっ )と窓を射て、水晶の念珠瞳をかすめ、ハッシと胸をうちたるに、ひるみて 踞 ( うずく )まる時、 若僧 ( じゃくそう )円柱をいざり出でつつ、つい居て、サラサラと 金襴 ( きんらん )の 帳 ( とばり )を絞る、 燦爛 ( さんらん )たる 御廚子 ( みずし )のなかに尊き 像 ( すがた )こそ拝まれたれ。 一段高まる経の声、トタンにはたたがみ天地に鳴りぬ。 端厳微妙 ( たんげんみみょう )のおんかおばせ、雲の袖、霞の 袴 ( はかま )ちらちらと 瓔珞 ( ようらく )をかけたまいたる、玉なす胸に 繊手 ( せんしゅ )を添えて、ひたと、おさなごを 抱 ( いだ )きたまえるが、仰ぐ仰ぐ瞳うごきて、ほほえみたまうと、見たる時、やさしき手のさき肩にかかりて、姉上は念じたまえり。 滝やこの堂にかかるかと、折しも雨の降りしきりつ。 渦 ( うづま )いて寄する風の音、遠き 方 ( かた )より 呻 ( うな )り来て、どっと満山に 打 ( うち )あたる。 本堂 青光 ( あおびかり )して、はたたがみ堂の空をまろびゆくに、たまぎりつつ、今は姉上を頼までやは、あなやと膝にはいあがりて、ひしとその胸を 抱 ( いだ )きたれば、かかるものをふりすてむとはしたまわで、あたたかき 腕 ( かいな )はわが 背 ( せな )にて組合わされたり。 さるにや気も心もよわよわとなりもてゆく、ものを見る明かに、耳の鳴るがやみて、恐しき吹降りのなかに 陀羅尼 ( だらに )を 呪 ( じゅ )する 聖 ( ひじり )の声々さわやかに聞きとられつ。 あわれに心細くもの 凄 ( すご )きに、身の 置処 ( おきどころ )あらずなりぬ。 からだひとつ消えよかしと両手を肩に 縋 ( すが )りながら顔もてその胸を押しわけたれば、襟をば掻きひらきたまいつつ、 乳 ( ち )の下にわがつむり押入れて、両袖を 打 ( うち )かさねて深くわが 背 ( せな )を 蔽 ( おお )いたまえり。 御仏 ( みほとけ )のそのおさなごを 抱 ( いだ )きたまえるもかくこそと嬉しきに、おちいて、心地すがすがしく胸のうち安く平らになりぬ。 やがてぞ呪もはてたる。 雷 ( らい )の音も遠ざかる。 わが背をしかと 抱 ( いだ )きたまえる姉上の 腕 ( かいな )もゆるみたれば、ソとその懐より顔をいだしてこわごわその顔をば見上げつ。 うつくしさはそれにもかわらでなむ、いたくもやつれたまえりけり。 雨風のなおはげしく 外 ( おもて )をうかがうことだにならざる、静まるを待てば夜もすがら 暴 ( あれ )通しつ。 家に帰るべくもあらねば姉上は通夜したまいぬ。 その一夜の風雨にて、くるま山の山中、俗に九ツ谺といいたる谷、あけがたに 杣 ( そま )のみいだしたるが、たちまち 淵 ( ふち )になりぬという。 里の者、町の人皆 挙 ( こぞ )りて見にゆく。 日を経てわれも姉上とともに 来 ( きた )り見き。 その日一天うららかに空の色も水の色も青く澄みて、軟風おもむろに 小波 ( ささなみ )わたる淵の上には、 塵一葉 ( ちりひとは )の 浮 ( うか )べるあらで、白き鳥の翼広きがゆたかに 藍碧 ( らんぺき )なる水面を横ぎりて舞えり。 すさまじき 暴風雨 ( あらし )なりしかな。 この谷もと 薬研 ( やげん )のごとき形したりきとぞ。 幾株となき 松柏 ( まつかしわ )の根こそぎになりて谷間に吹倒されしに山腹の土落ちたまりて、底をながるる谷川をせきとめたる、おのずからなる堤防をなして、 凄 ( すさ )まじき水をば 湛 ( たた )えつ。 一たびこのところ 決潰 ( けっかい )せむか、 城 ( じょう )の 端 ( はな )の町は 水底 ( みなそこ )の都となるべしと、人々の恐れまどいて、怠らず土を 装 ( も )り石を伏せて堅き堤防を築きしが、あたかも今の関屋少将の夫人姉上十七の時なれば、年つもりて、 嫩 ( ふたば )なりし 常磐木 ( ときわぎ )もハヤ丈のびつ。 草 生 ( お )い、 苔 ( こけ )むして、いにしえよりかかりけむと思い 紛 ( まが )うばかりなり。 あわれ 礫 ( つぶて )を投ずる事なかれ、うつくしき人の夢や驚かさむと、血気なる友のいたずらを叱り 留 ( とど )めつ。 年若く 面 ( おもて )清き海軍の少尉候補生は、薄暮暗碧を湛えたる淵に臨みて粛然とせり。

次の

<タコ>童謡・叙情歌・演歌・音頭 (27Page)

こうべ を たれ て つくば え 意味

躑躅 ( つつじ )か 丘 ( おか ) 日は 午 ( ご )なり。 あらら 木 ( ぎ )のたらたら坂に 樹 ( き )の蔭もなし。 寺の 門 ( もん )、植木屋の庭、花屋の店など、坂下を 挟 ( さしはさ )みて町の入口にはあたれど、のぼるに従ひて、ただ 畑 ( はた )ばかりとなれり。 番小屋めきたるもの小だかき 処 ( ところ )に見ゆ。 谷には 菜 ( な )の 花 ( はな )残りたり。 路 ( みち )の右左、 躑躅 ( つつじ )の花の 紅 ( くれない )なるが、見渡す 方 ( かた )、見返る 方 ( かた )、いまを 盛 ( さかり )なりき。 ありくにつれて 汗 ( あせ )少しいでぬ。 空よく晴れて一点の雲もなく、風あたたかに 野面 ( のづら )を吹けり。 一人にては 行 ( ゆ )くことなかれと、 優 ( やさ )しき姉上のいひたりしを、 肯 ( き )かで、しのびて来つ。 おもしろきながめかな。 山の上の 方 ( かた )より 一束 ( ひとたば )の 薪 ( たきぎ )をかつぎたる 漢 ( おのこ )おり 来 ( きた )れり。 眉 ( まゆ )太く、 眼 ( め )の細きが、 向 ( むこう )ざまに 顱巻 ( はちまき )したる、 額 ( ひたい )のあたり汗になりて、のしのしと近づきつつ、細き道をかたよけてわれを通せしが、ふりかへり、 「危ないぞ危ないぞ。 」 といひずてに 眦 ( まなじり )に 皺 ( しわ )を寄せてさつさつと 行過 ( ゆきす )ぎぬ。 見返ればハヤたらたらさがりに、その 肩 ( かた ) 躑躅 ( つつじ )の花にかくれて、 髪 ( かみ ) 結 ( ゆ )ひたる 天窓 ( あたま )のみ、やがて 山蔭 ( やまかげ )に見えずなりぬ。 草がくれの 径 ( こみち )遠く、小川流るる 谷間 ( たにあい )の 畦道 ( あぜみち )を、 菅笠 ( すげがさ ) 冠 ( かむ )りたる 婦人 ( おんな )の、 跣足 ( はだし )にて 鋤 ( すき )をば肩にし、小さき 女 ( むすめ )の 児 ( こ )の手をひきて 彼方 ( あなた )にゆく 背姿 ( うしろすがた )ありしが、それも杉の 樹立 ( こだち )に入りたり。 行 ( ゆ )く 方 ( かた )も躑躅なり。 来 ( こ )し 方 ( かた )も躑躅なり。 山土 ( やまつち )のいろもあかく見えたる。 あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思ふ時、わがゐたる 一株 ( ひとかぶ )の躑躅のなかより、 羽音 ( はおと )たかく、虫のつと立ちて頬を 掠 ( かす )めしが、かなたに飛びて、およそ五、六尺 隔 ( へだ )てたる 処 ( ところ )に 礫 ( つぶて )のありたるそのわきにとどまりぬ。 羽をふるふさまも見えたり。 手をあげて走りかかれば、ぱつとまた立ちあがりて、おなじ距離五、六尺ばかりのところにとまりたり。 そのまま小石を拾ひあげて 狙 ( ねら )ひうちし、石はそれぬ。 虫はくるりと一ツまはりて、また 旧 ( もと )のやうにぞをる。 追ひかくれば 迅 ( はや )くもまた 遁 ( に )げぬ。 遁ぐるが遠くには去らず、いつもおなじほどのあはひを置きてはキラキラとささやかなる 羽 ( は )ばたきして、 鷹揚 ( おうよう )にその 二 ( ふた )すぢの細き 髯 ( ひげ )を 上下 ( うえした )にわづくりておし動かすぞいと 憎 ( にく )さげなりける。 われは 足踏 ( あしぶみ )して 心 ( こころ )いらてり。 そのゐたるあとを踏みにじりて、 「畜生、畜生。 」 と 呟 ( つぶや )きざま、 躍 ( おど )りかかりてハタと打ちし、 拳 ( こぶし )はいたづらに土によごれぬ。 渠 ( かれ )は 一足 ( ひとあし )先なる 方 ( かた )に 悠々 ( ゆうゆう )と 羽 ( は )づくろひす。 憎しと思ふ心を 籠 ( こ )めて 瞻 ( みまも )りたれば、虫は動かずなりたり。 つくづく見れば 羽蟻 ( はあり )の形して、それよりもやや 大 ( おおい )なる、身はただ 五彩 ( ごさい )の色を帯びて青みがちにかがやきたる、うつくしさいはむ 方 ( かた )なし。 色彩あり 光沢 ( こうたく )ある虫は毒なりと、姉上の教へたるをふと思ひ 出 ( い )でたれば、 打置 ( うちお )きてすごすごと 引返 ( ひつかえ )せしが、 足許 ( あしもと )にさきの石の 二 ( ふた )ツに 砕 ( くだ )けて落ちたるより 俄 ( にわか )に心動き、拾ひあげて取つて返し、きと毒虫をねらひたり。 このたびはあやまたず、したたかうつて殺しぬ。 嬉 ( うれ )しく走りつきて石をあはせ、ひたと 打 ( うち )ひしぎて 蹴飛 ( けと )ばしたる、石は 躑躅 ( つつじ )のなかをくぐりて 小砂利 ( こじやり )をさそひ、ばらばらと谷深くおちゆく音しき。 袂 ( たもと )のちり 打 ( うち )はらひて空を 仰 ( あお )げば、 日脚 ( ひあし )やや 斜 ( ななめ )になりぬ。 ほかほかとかほあつき 日向 ( ひなた )に唇かわきて、眼のふちより頬のあたりむず 痒 ( がゆ )きこと限りなかりき。 心着 ( こころづ )けば 旧来 ( もとき )し 方 ( かた )にはあらじと思ふ坂道の 異 ( こと )なる 方 ( かた )にわれはいつかおりかけゐたり。 丘ひとつ越えたりけむ、戻る 路 ( みち )はまたさきとおなじのぼりになりぬ。 見渡せば、見まはせば、赤土の道幅せまく、うねりうねり 果 ( はて )しなきに、両側つづきの 躑躅 ( つつじ )の花、遠き 方 ( かた )は前後を 塞 ( ふさ )ぎて、日かげあかく 咲込 ( さきこ )めたる空のいろの 真蒼 ( まさお )き下に、 彳 ( たたず )むはわれのみなり。 鎮守 ( ちんじゆ )の 社 ( やしろ ) 坂は急ならず長くもあらねど、一つ 尽 ( つく )ればまたあらたに 顕 ( あらわ )る。 起伏あたかも大波の如く 打続 ( うちつづ )きて、いつ 坦 ( たん )ならむとも見えざりき。 あまり 倦 ( う )みたれば、一ツおりてのぼる坂の 窪 ( くぼみ )に 踞 ( つくば )ひし、手のあきたるまま 何 ( なに )ならむ指もて土にかきはじめぬ。 さといふ字も出来たり。 くといふ字も書きたり。 曲りたるもの、 直 ( すぐ )なるもの、心の趣くままに 落書 ( らくがき )したり。 しかなせるあひだにも、頬のあたり 先刻 ( さき )に毒虫の触れたらむと覚ゆるが、しきりにかゆければ、 袖 ( そで )もてひまなく 擦 ( こす )りぬ。 擦りてはまたもの書きなどせる、なかにむつかしき字のひとつ形よく出来たるを、姉に見せばやと思ふに、 俄 ( にわか )にその顔の見たうぞなりたる。 立 ( たち )あがりてゆくてを見れば、左右より小枝を組みてあはひも 透 ( す )かで 躑躅 ( つつじ )咲きたり。 日影ひとしほ 赤 ( あこ )うなりまさりたるに、手を見たれば 掌 ( たなそこ )に照りそひぬ。 一文字にかけのぼりて、 唯 ( と )見ればおなじ躑躅のだらだらおりなり。 走りおりて走りのぼりつ。 いつまでかかくてあらむ、こたびこそと思ふに 違 ( たが )ひて、道はまた 蜿 ( うね )れる坂なり。 踏心地 ( ふみごこち ) 柔 ( やわら )かく小石ひとつあらずなりぬ。 いまだ家には遠しとみゆるに、忍びがたくも姉の顔なつかしく、しばらくも 得 ( え ) 堪 ( た )へずなりたり。 再びかけのぼり、またかけりおりたる時、われしらず泣きてゐつ。 泣きながらひたばしりに走りたれど、なほ家ある 処 ( ところ )に至らず、坂も躑躅も少しもさきに異らずして、日の傾くぞ心細き。 肩、背のあたり寒うなりぬ。 ゆふ日あざやかにぱつと 茜 ( あかね )さして、眼もあやに躑躅の花、ただ 紅 ( くれない )の雪の 降積 ( ふりつ )めるかと疑はる。 われは涙の声たかく、あるほど声を 絞 ( しぼ )りて姉をもとめぬ。 一 ( ひと )たび 二 ( ふた )たび 三 ( み )たびして、こたへやすると耳を 澄 ( すま )せば、 遥 ( はるか )に滝の音聞えたり。 どうどうと響くなかに、いと高く 冴 ( さ )えたる声の 幽 ( かすか )に、 「もういいよ、もういいよ。 」 と呼びたる聞えき。 こはいとけなき我がなかまの隠れ遊びといふものするあひ図なることを認め得たる、 一声 ( ひとこえ )くりかへすと、ハヤきこえずなりしが、やうやう心たしかにその声したる 方 ( かた )にたどりて、また坂ひとつおりて一つのぼり、こだかき所に立ちて 瞰 ( み )おろせば、あまり 雑作 ( ぞうさ )なしや、堂の 瓦屋根 ( かわらやね )、杉の 樹立 ( こだち )のなかより見えぬ。 かくてわれ 踏迷 ( ふみまよ )ひたる 紅 ( くれない )の雪のなかをばのがれつ。 背後 ( うしろ )には 躑躅 ( つつじ )の花飛び飛びに咲きて、青き草まばらに、やがて堂のうらに達せし時は 一株 ( ひとかぶ )も花のあかきはなくて、たそがれの色、 境内 ( けいだい )の 手洗水 ( みたらし )のあたりを 籠 ( こ )めたり。 柵 ( さく ) 結 ( ゆ )ひたる井戸ひとつ、 銀杏 ( いちよう )の 古 ( ふ )りたる樹あり、そがうしろに人の家の 土塀 ( どべい )あり。 こなたは裏木戸のあき地にて、むかひに小さき 稲荷 ( いなり )の堂あり。 石の 鳥居 ( とりい )あり。 木の鳥居あり。 この木の鳥居の左の柱には割れめありて太き鉄の輪を 嵌 ( は )めたるさへ、心たしかに覚えある、ここよりはハヤ家に近しと思ふに、さきの恐しさは全く忘れ果てつ。 ただひとへにゆふ日照りそひたるつつじの花の、わが 丈 ( たけ )よりも高き 処 ( ところ )、前後左右を 咲埋 ( さきうず )めたるあかき色のあかきがなかに、緑と、 紅 ( くれない )と、紫と、 青白 ( せいはく )の光を 羽色 ( はいろ )に帯びたる毒虫のキラキラと飛びたるさまの広き景色のみぞ、 画 ( え )の如く小さき胸にゑがかれける。 かくれあそび さきにわれ泣きいだして 救 ( すくい )を姉にもとめしを、 渠 ( かれ )に認められしぞ 幸 ( さいわい )なる。 いふことを 肯 ( き )かで一人いで 来 ( き )しを、弱りて泣きたりと知られむには、さもこそとて笑はれなむ。 優 ( やさ )しき人のなつかしけれど、顔をあはせていひまけむは 口惜 ( くちお )しきに。 嬉 ( うれ )しく喜ばしき思ひ胸にみちては、また急に家に帰らむとはおもはず。 ひとり 境内 ( けいだい )に 彳 ( たたず )みしに、わツといふ声、笑ふ声、木の蔭、井戸の裏、堂の奥、廻廊の下よりして、五ツより 八 ( や )ツまでなる 児 ( こ )の五、六人 前後 ( あとさき )に走り 出 ( い )でたり、こはかくれ遊びの 一人 ( いちにん )が見いだされたるものぞとよ。 二人三人 ( ふたりみたり )走り来て、わが 其処 ( そこ )に立てるを見つ。 皆 瞳 ( ひとみ )を集めしが、 「お遊びな、 一所 ( いつしよ )にお遊びな。 」とせまりて勧めぬ。 小家 ( こいえ )あちこち、このあたりに住むは、かたゐといふものなりとぞ。 風俗少しく異なれり。 児 ( こ )どもが親たちの家 富 ( と )みたるも 好 ( よ )き 衣 ( きぬ )着たるはあらず、 大抵 ( たいてい ) 跣足 ( はだし )なり。 三味線 ( さみせん ) 弾 ( ひ )きて 折々 ( おりおり )わが 門 ( かど )に 来 ( きた )るもの、 溝川 ( みぞかわ )に 鰌 ( どじよう )を捕ふるもの、 附木 ( つけぎ )、 草履 ( ぞうり )など 鬻 ( ひさ )ぎに来るものだちは、皆この 児 ( こ )どもが母なり、父なり、祖母などなり。 さるものとはともに遊ぶな、とわが友は常に 戒 ( いまし )めつ。 さるに 町方 ( まちかた )の者としいへば、かたゐなる 児 ( こ )ども 尊 ( とうと )び敬ひて、 頃刻 ( しばらく )もともに遊ばんことを 希 ( こいねが )ふや、親しく、優しく勉めてすなれど、不断はこなたより遠ざかりしが、その時は先にあまり 淋 ( さび )しくて、友 欲 ( ほ )しき念の 堪 ( た )へがたかりしその心のまだ失せざると、恐しかりしあとの楽しきとに、われは 拒 ( こば )まずして 頷 ( うなず )きぬ。 児 ( こ )どもはさざめき喜びたりき。 さてまたかくれあそびを繰返すとて、 拳 ( けん )してさがすものを定めしに、われその任にあたりたり。 面 ( おもて )を 蔽 ( おお )へといふままにしつ。 ひツそとなりて、堂の 裏崖 ( うらがけ )をさかさに落つる滝の音どうどうと 松杉 ( まつすぎ )の 梢 ( こずえ )ゆふ風に鳴り渡る。 かすかに、 「もう 可 ( い )いよ、もう可いよ。 」 と呼ぶ声、 谺 ( こだま )に響けり。 眼をあくればあたり静まり返りて、たそがれの色また 一際 ( ひときわ )襲ひ 来 ( きた )れり。 大 ( おおい )なる樹のすくすくとならべるが 朦朧 ( もうろう )としてうすぐらきなかに隠れむとす。 声したる 方 ( かた )をと思ふ 処 ( ところ )には 誰 ( たれ )もをらず。 ここかしこさがしたれど人らしきものあらざりき。 また 旧 ( もと )の 境内 ( けいだい )の中央に立ちて、もの淋しく 瞶 ( みまわ )しぬ。 山の奥にも響くべく 凄 ( すさま )じき音して堂の扉を 鎖 ( とざ )す音しつ、 闃 ( げき )としてものも聞えずなりぬ。 親しき友にはあらず。 常にうとましき児どもなれば、かかる 機会 ( おり )を得てわれをば苦めむとや 企 ( たく )みけむ。 身を隠したるまま 密 ( ひそか )に 遁 ( に )げ去りたらむには、探せばとて 獲 ( え )らるべき。 益 ( やく )もなきことをとふと思ひうかぶに、うちすてて 踵 ( くびす )をかへしつ。 さるにても 万一 ( もし )わがみいだすを待ちてあらばいつまでも 出 ( い )でくることを得ざるべし、それもまたはかりがたしと、 心 ( こころ ) 迷 ( まよ )ひて、とつ、おいつ、 徒 ( いたずら )に立ちて 困 ( こう )ずる折しも、 何処 ( いずく )より 来 ( きた )りしとも見えず、暗うなりたる境内の、うつくしく 掃 ( は )いたる土のひろびろと灰色なせるに 際立 ( きわだ )ちて、顔の色白く、うつくしき人、いつかわが 傍 ( かたわら )にゐて、うつむきざまにわれをば見き。 極めて 丈高 ( たけたか )き女なりし、その手を 懐 ( ふところ )にして肩を垂れたり。 優 ( やさ )しきこゑにて、 「こちらへおいで。 こちら。 」 といひて 前 ( さき )に立ちて導きたり。 見知りたる 女 ( ひと )にあらねど、うつくしき顔の 笑 ( えみ )をば含みたる、よき人と思ひたれば、 怪 ( あや )しまで、隠れたる 児 ( こ )のありかを教ふるとさとりたれば、いそいそと従ひぬ。 あふ 魔 ( ま )が 時 ( とき ) わが思ふ 処 ( ところ )に 違 ( たが )はず、堂の前を左にめぐりて少しゆきたる 突 ( つき )あたりに小さき 稲荷 ( いなり )の 社 ( やしろ )あり。 青き旗、白き旗、二、三本その前に立ちて、うしろはただちに山の 裾 ( すそ )なる 雑樹 ( ぞうき )斜めに 生 ( お )ひて、社の上を 蔽 ( おお )ひたる、その下のをぐらき 処 ( ところ )、 孔 ( あな )の如き 空地 ( くうち )なるをソとめくばせしき。 瞳 ( ひとみ )は水のしたたるばかり 斜 ( ななめ )にわが顔を見て動けるほどに、あきらかにその心ぞ読まれたる。 さればいささかもためらはで、つかつかと 社 ( やしろ )の裏をのぞき込む、鼻うつばかり冷たき風あり。 落葉、 朽葉 ( くちば ) 堆 ( うずたか )く水くさき土のにほひしたるのみ、人の 気勢 ( けはい )もせで、 頸 ( えり )もとの 冷 ( ひやや )かなるに、と胸をつきて見返りたる、またたくまと思ふ 彼 ( か )の 女 ( ひと )はハヤ見えざりき。 何方 ( いずかた )にか去りけむ、暗くなりたり。 身の毛よだちて、思はず 呀 ( あなや )と叫びぬ。 人顔 ( ひとがお )のさだかならぬ時、暗き 隅 ( すみ )に 行 ( ゆ )くべからず、たそがれの片隅には、怪しきものゐて人を 惑 ( まど )はすと、姉上の教へしことあり。 われは 茫然 ( ぼうぜん )として 眼 ( まなこ )を ( みは )りぬ。 足ふるひたれば動きもならず、固くなりて立ちすくみたる、 左手 ( ゆんで )に坂あり。 穴の如く、その底よりは風の吹き 出 ( い )づると思ふ 黒 ( こく ) 闇々 ( あんあん )たる坂下より、ものののぼるやうなれば、ここにあらば捕へられむと恐しく、とかうの思慮もなさで 社 ( やしろ )の裏の狭きなかににげ入りつ。 眼を 塞 ( ふさ )ぎ、 呼吸 ( いき )をころしてひそみたるに、 四足 ( よつあし )のものの歩むけはひして、社の前を横ぎりたり。 われは 人心地 ( ひとごこち )もあらで見られじとのみひたすら手足を縮めつ。 さるにてもさきの 女 ( ひと )のうつくしかりし顔、 優 ( やさし )かりし眼を忘れず。 ここをわれに教へしを、今にして思へばかくれたる 児 ( こ )どものありかにあらで、何らか恐しきもののわれを捕へむとするを、ここに 潜 ( ひそ )め、助かるべしとて、導きしにはあらずやなど、はかなきことを考へぬ。 しばらくして 小提灯 ( こぢようちん )の 火影 ( ほかげ )あかきが坂下より急ぎのぼりて 彼方 ( かなた )に走るを見つ。 ほどなく 引返 ( ひつかえ )してわがひそみたる 社 ( やしろ )の前に近づきし時は、一人ならず 二人三人 ( ふたりみたり ) 連立 ( つれだ )ちて 来 ( きた )りし感あり。 あたかもその 立留 ( たちどま )りし折から、別なる 跫音 ( あしおと )、また坂をのぼりてさきのものと 落合 ( おちあ )ひたり。 「おいおい分らないか。 」 「ふしぎだな、なんでもこの辺で見たといふものがあるんだが。 」 とあとよりいひたるはわが 家 ( いえ )につかひたる下男の声に似たるに、あはや 出 ( い )でむとせしが、恐しきものの 然 ( さ )はたばかりて、おびき 出 ( いだ )すにやあらむと恐しさは 一 ( ひと )しほ増しぬ。 「もう一度念のためだ、 田圃 ( たんぼ )の方でも廻つて見よう、お前も頼む。 」 「それでは。 」といひて 上下 ( うえした )にばらばらと分れて 行 ( ゆ )く。 再び 寂 ( せき )としたれば、ソと身うごきして、足をのべ、板めに手をかけて眼ばかりと思ふ顔少し 差出 ( さしい )だして、 外 ( と )の 方 ( かた )をうかがふに、何ごともあらざりければ、やや 落着 ( おちつ )きたり。 怪 ( あや )しきものども、何とてやはわれをみいだし得む、 愚 ( おろか )なる、と 冷 ( ひやや )かに笑ひしに、思ひがけず、 誰 ( たれ )ならむたまぎる声して、あわてふためき 遁 ( に )ぐるがありき。 驚きてまたひそみぬ。 「ちさとや、ちさとや。 」と坂下あたり、かなしげにわれを呼ぶは、姉上の声なりき。 大沼 ( おおぬま ) 「ゐないツて 私 ( わたし )あどうしよう、 爺 ( じい )や。 」 「根ツからゐさつしやらぬことはござりますまいが、日は暮れまする。 何せい、御心配なこんでござります。 お 前様 ( まえさま )遊びに出します時、帯の 結 ( むすび )めを 丁 ( とん )とたたいてやらつしやれば 好 ( よ )いに。 」 「ああ、いつもはさうして出してやるのだけれど、けふはお前私にかくれてそツと出て行つたろうではないかねえ。 」 「それはハヤ 不念 ( ぶねん )なこんだ。 帯の 結 ( むすび )めさへ 叩 ( たた )いときや、何がそれで姉様なり、 母様 ( おふくろさま )なりの 魂 ( たましい )が入るもんだで 魔 ( エテ )めはどうすることもしえないでごす。 」 「さうねえ。 」とものかなしげに語らひつつ、 社 ( やしろ )の前をよこぎりたまへり。 走りいでしが、あまりおそかりき。 いかなればわれ姉上をまで 怪 ( あやし )みたる。 悔 ( く )ゆれど及ばず、かなたなる 境内 ( けいだい )の鳥居のあたりまで追ひかけたれど、早やその姿は見えざりき。 涙ぐみて 彳 ( たたず )む時、ふと見る 銀杏 ( いちよう )の木のくらき夜の空に、 大 ( おおい )なる 円 ( まる )き影して茂れる下に、女の 後姿 ( うしろすがた )ありてわが 眼 ( まなこ )を 遮 ( さえぎ )りたり。 あまりよく似たれば、姉上と呼ばむとせしが、よしなきものに声かけて、なまじひにわが 此処 ( ここ )にあるを知られむは、 拙 ( つたな )きわざなればと思ひてやみぬ。 とばかりありて、その姿またかくれ去りつ。 見えずなればなほなつかしく、たとへ恐しきものなればとて、かりにもわが 優 ( やさ )しき姉上の姿に 化 ( け )したる上は、われを捕へてむごからむや。 さきなるはさもなくて、いま幻に見えたるがまことその人なりけむもわかざるを、何とて 言 ( ことば )はかけざりしと、 打泣 ( うちな )きしが、かひもあらず。 あはれさまざまのものの 怪 ( あや )しきは、すべてわが 眼 ( まなこ )のいかにかせし作用なるべし、さらずば涙にくもりしや、 術 ( すべ )こそありけれ、かなたなる 御手洗 ( みたらし )にて清めてみばやと寄りぬ。 煤 ( すす )けたる 行燈 ( あんどう )の横長きが一つ上にかかりて、ほととぎすの 画 ( え )と句など書いたり。 灯 ( ひ )をともしたるに、水はよく 澄 ( す )みて、青き 苔 ( こけ )むしたる 石鉢 ( いしばち )の底もあきらかなり。 手に 掬 ( むす )ばむとしてうつむく時、思ひかけず見たるわが顔はそもそもいかなるものぞ。 覚えず叫びしが心を 籠 ( こ )めて、気を 鎮 ( しず )めて、両の 眼 ( まなこ )を 拭 ( ぬぐ )ひ拭ひ、水に 臨 ( のぞ )む。 われにもあらでまたとは見るに忍びぬを、いかでわれかかるべき、必ず心の迷へるならむ、今こそ、今こそとわななきながら見直したる、肩をとらへて声ふるはし、 「お、お、 千里 ( ちさと )。 ええも、お前は。 」と姉上ののたまふに、 縋 ( すが )りつかまくみかへりたる、わが顔を見たまひしが、 「あれ!」 といひて一足すさりて、 「違つてたよ、坊や。 」とのみいひずてに 衝 ( つ )と 馳 ( は )せ去りたまへり。 怪 ( あや )しき神のさまざまのことしてなぶるわと、あまりのことに腹立たしく、あしずりして泣きに泣きつつ、ひたばしりに追いかけぬ。 捕へて何をかなさむとせし、そはわれ知らず。 ひたすらものの 口惜 ( くちお )しければ、とにかくもならばとてなむ。 坂もおりたり、のぼりたり、 大路 ( おおみち )と覚しき町にも 出 ( い )でたり、暗き 径 ( こみち )も 辿 ( たど )りたり、野もよこぎりぬ。 畦 ( あぜ )も越えぬ。 あとをも見ずて駈けたりし。 道いかばかりなりけむ、漫々たる水面やみのなかに銀河の如く 横 ( よこた )はりて、黒き、恐しき森四方をかこめる、 大沼 ( おおぬま )とも覚しきが、 前途 ( ゆくて )を 塞 ( ふさ )ぐと覚ゆる 蘆 ( あし )の葉の繁きがなかにわが 身体 ( からだ )倒れたる、あとは知らず。 五位鷺 ( ごいさぎ ) 眼のふち 清々 ( すがすが )しく、涼しき 薫 ( かおり )つよく薫ると 心着 ( こころづ )く、身は 柔 ( やわら )かき 蒲団 ( ふとん )の上に臥したり。 やや枕をもたげて見る、 竹縁 ( ちくえん )の 障子 ( しようじ )あけ 放 ( はな )して、庭つづきに向ひなる 山懐 ( やまふところ )に、緑の草の、ぬれ色青く 生茂 ( おいしげ )りつ。 その 半腹 ( はんぷく )にかかりある 厳角 ( いわかど )の 苔 ( こけ )のなめらかなるに、 一挺 ( いつちよう )はだか 蝋 ( ろう )に 灯 ( ひ )ともしたる 灯影 ( ほかげ )すずしく、 筧 ( かけい )の水むくむくと 湧 ( わ )きて 玉 ( たま )ちるあたりに 盥 ( たらい )を据ゑて、うつくしく 髪 ( かみ ) 結 ( ゆ )うたる 女 ( ひと )の、身に一糸もかけで、むかうざまにひたりてゐたり。 筧 ( かけい )の水はそのたらひに落ちて、 溢 ( あふ )れにあふれて、地の 窪 ( くぼ )みに流るる音しつ。 蝋 ( ろう )の 灯 ( ひ )は吹くとなき山おろしにあかくなり、くらうなりて、ちらちらと眼に映ずる雪なす 膚 ( はだえ )白かりき。 わが 寝返 ( ねがえ )る音に、ふとこなたを見返り、それと 頷 ( うなず )く 状 ( さま )にて、片手をふちにかけつつ片足を立てて 盥 ( たらい )のそとにいだせる時、 颯 ( さ )と音して、 烏 ( からす )よりは小さき鳥の 真白 ( ましろ )きがひらひらと舞ひおりて、うつくしき人の 脛 ( はぎ )のあたりをかすめつ。 そのままおそれげもなう翼を休めたるに、ざぶりと水をあびせざま 莞爾 ( につこ )とあでやかに笑うてたちぬ。 手早く 衣 ( きぬ )もてその胸をば 蔽 ( おお )へり。 鳥はおどろきてはたはたと 飛去 ( とびさ )りぬ。 夜の色は極めてくらし、 蝋 ( ろう )を取りたるうつくしき人の姿さやかに、 庭下駄 ( にわげた )重く引く音しつ。 ゆるやかに 縁 ( えん )の端に腰をおろすとともに、手をつきそらして 捩向 ( ねじむ )きざま、わがかほをば見つ。 「気分は 癒 ( なお )つたかい、坊や。 」 といひて 頭 ( こうべ )を傾けぬ。 ちかまさりせる 面 ( おもて )けだかく、眉あざやかに、 瞳 ( ひとみ )すずしく、鼻やや高く、唇の 紅 ( くれない )なる、 額 ( ひたい )つき頬のあたり ( ろう )たけたり。 こは 予 ( かね )てわがよしと思ひ 詰 ( つめ )たる 雛 ( ひな )のおもかげによく似たれば 貴 ( とうと )き人ぞと見き。 年は姉上よりたけたまへり。 知人 ( しりびと )にはあらざれど、はじめて逢ひし 方 ( かた )とは思はず、さりや、 誰 ( たれ )にかあるらむとつくづくみまもりぬ。 またほほゑみたまひて、 「お前あれは 斑猫 ( はんみよう )といつて大変な毒虫なの。 もう 可 ( い )いね、まるでかはつたやうにうつくしくなつた、あれでは 姉様 ( ねえさん )が見違へるのも無理はないのだもの。 」 われもさあらむと思はざりしにもあらざりき。 いまはたしかにそれよと疑はずなりて、のたまふままに 頷 ( うなず )きつ。 あたりのめづらしければ起きむとする 夜着 ( よぎ )の肩、ながく 柔 ( やわら )かにおさへたまへり。 「ぢつとしておいで、あんばいがわるいのだから、 落着 ( おちつ )いて、ね、気をしづめるのだよ、 可 ( い )いかい。 」 われはさからはで、ただ 眼 ( め )をもて答へぬ。 「どれ。 」といひて立つたる折、のしのしと 道芝 ( みちしば )を踏む音して、つづれをまとうたる 老夫 ( おやじ )の、顔の色いと赤きが 縁 ( えん ) 近 ( ちこ )う 入 ( はい )り来つ。 「はい、これはお 児 ( こ )さまがござらつせえたの、 可愛 ( かわい )いお児じや、お前様も 嬉 ( うれ )しかろ。 ははは、どりや、またいつものを頂きましよか。 」 腰をななめにうつむきて、ひつたりとかの 筧 ( かけい )に顔をあて、口をおしつけてごつごつごつとたてつづけにのみたるが、ふツといきを吹きて空を 仰 ( あお )ぎぬ。 「やれやれ甘いことかな。 はい、参ります。 」 と 踵 ( くびす )を返すを、こなたより呼びたまひぬ。 「ぢいや、御苦労だが。 また来ておくれ、この 児 ( こ )を返さねばならぬから。 」 「あいあい。 」 と答へて去る。 山風 ( やまかぜ ) 颯 ( さつ )とおろして、 彼 ( か )の白き鳥また 翔 ( た )ちおりつ。 黒き 盥 ( たらい )のふちに乗りて 羽 ( は )づくろひして静まりぬ。 「もう、風邪を引かないやうに寝させてあげよう、どれそんなら私も。 」とて 静 ( しずか )に雨戸をひきたまひき。 九 ( ここの )ツ 谺 ( こだま ) やがて 添臥 ( そいぶし )したまひし、さきに水を浴びたまひし 故 ( ゆえ )にや、わが 膚 ( はだ )をりをり 慄然 ( りつぜん )たりしが何の心もなうひしと 取縋 ( とりすが )りまゐらせぬ。 あとをあとをといふに、をさな物語 二 ( ふた )ツ 三 ( み )ツ聞かせ 給 ( たま )ひつ。 やがて、 「 一 ( ひと )ツ 谺 ( こだま )、坊や、 二 ( ふた )ツ 谺 ( こだま )といへるかい。 」 「二ツ谺。 」 「 三 ( み )ツ 谺 ( こだま )、 四 ( よ )ツ 谺 ( こだま )といつて御覧。 」 「四ツ谺。 」 「 五 ( いつ )ツ 谺 ( こだま )。 そのあとは。 」 「 六 ( む )ツ 谺 ( こだま )。 」 「さうさう 七 ( なな )ツ 谺 ( こだま )。 」 「 八 ( や )ツ 谺 ( こだま )。 さあもうおとなにして寝るんです。 」 背に手をかけ 引寄 ( ひきよ )せて、 玉 ( たま )の如きその 乳房 ( ちぶさ )をふくませたまひぬ。 露 ( あらわ )に白き 襟 ( えり )、肩のあたり 鬢 ( びん )のおくれ毛はらはらとぞみだれたる、かかるさまは、わが姉上とは 太 ( いた )く違へり。 乳 ( ちち )をのまむといふを姉上は許したまはず。 ふところをかいさぐれば常に 叱 ( しか )りたまふなり。 母上みまかりたまひてよりこのかた 三年 ( みとせ )を 経 ( へ )つ。 乳 ( ち )の味は忘れざりしかど、いまふくめられたるはそれには似ざりき。 垂玉 ( すいぎよく )の 乳房 ( ちぶさ )ただ 淡雪 ( あわゆき )の如く含むと舌にきえて触るるものなく、すずしき 唾 ( つば )のみぞあふれいでたる。 軽く 背 ( せな )をさすられて、われ 現 ( うつつ )になる時、 屋 ( や )の 棟 ( むね )、天井の上と 覚 ( おぼ )し、 凄 ( すさ )まじき音してしばらくは鳴りも 止 ( や )まず。 ここにつむじ風吹くと 柱 ( はしら )動く恐しさに、わななき 取 ( とり )つくを 抱 ( だ )きしめつつ、 「あれ、お客があるんだから、もう今夜は 堪忍 ( かんにん )しておくれよ、いけません。 」 とキとのたまへば、やがてぞ静まりける。 「 恐 ( こわ )くはないよ。 鼠 ( ねずみ )だもの。 」 とある、さりげなきも、われはなほその 響 ( ひびき )のうちにものの叫びたる声せしが耳に残りてふるへたり。 うつくしき人はなかばのりいでたまひて、とある 蒔絵 ( まきえ )ものの手箱のなかより、 一口 ( ひとふり )の 守刀 ( まもりがたな )を 取出 ( とりだ )しつつ 鞘 ( さや )ながら 引 ( ひき )そばめ、 雄々 ( おお )しき声にて、 「何が来てももう恐くはない。 安心してお寝よ。 」とのたまふ、たのもしき 状 ( さま )よと思ひてひたとその胸にわが顔をつけたるが、ふと眼をさましぬ。 残燈 ( ありあけ )暗く 床柱 ( とこばしら )の黒うつややかにひかるあたり薄き紫の 色 ( いろ ) 籠 ( こ )めて、 香 ( こう )の 薫 ( かおり )残りたり。 枕をはづして顔をあげつ。 顔に顔をもたせてゆるく 閉 ( とじ )たまひたる 眼 ( め )の 睫毛 ( まつげ )かぞふるばかり、すやすやと寝入りてゐたまひぬ。 ものいはむとおもふ心おくれて、しばし 瞻 ( みまも )りしが、 淋 ( さび )しさにたへねばひそかにその唇に指さきをふれて見ぬ。 指はそれて唇には届かでなむ、あまりよくねむりたまへり。 鼻をやつままむ眼をやおさむとまたつくづくと 打 ( うち )まもりぬ。 ふとその 鼻頭 ( はなさき )をねらひて手をふれしに 空 ( くう )を 捻 ( ひね )りて、うつくしき人は 雛 ( ひな )の如く顔の 筋 ( すじ )ひとつゆるみもせざりき。 またその眼のふちをおしたれど水晶のなかなるものの形を取らむとするやう、わが顔はそのおくれげのはしに頬をなでらるるまで 近々 ( ちかぢか )とありながら、いかにしても指さきはその顔に届かざるに、はては心いれて、 乳 ( ち )の下に 面 ( おもて )をふせて、強く 額 ( ひたい )もて 圧 ( お )したるに、顔にはただあたたかき 霞 ( かすみ )のまとふとばかり、のどかにふはふはとさはりしが、 薄葉 ( うすよう ) 一重 ( ひとえ )の 支 ( ささ )ふるなく着けたる 額 ( ひたい )はつと下に落ち沈むを、 心着 ( こころづ )けば、うつくしき人の胸は、もとの如く 傍 ( かたわら )にあをむきゐて、わが鼻は、いたづらにおのが 膚 ( はだ )にぬくまりたる、 柔 ( やわらか )き 蒲団 ( ふとん )に 埋 ( うも )れて、をかし。 渡船 ( わたしぶね ) 夢幻 ( ゆめまぼろし )ともわかぬに、心をしづめ、眼をさだめて見たる、片手はわれに枕させたまひし元のまま 柔 ( やわら )かに力なげに 蒲団 ( ふとん )のうへに垂れたまへり。 片手をば胸にあてて、いと白くたをやかなる 五指 ( ごし )をひらきて 黄金 ( おうごん )の 目貫 ( めぬき )キラキラとうつくしき 鞘 ( さや )の 塗 ( ぬり )の輝きたる小さき 守刀 ( まもりがたな )をしかと持つともなく 乳 ( ち )のあたりに落して 据 ( す )ゑたる、鼻たかき顔のあをむきたる、唇のものいふ如き、閉ぢたる 眼 ( め )のほほ笑む如き、髪のさらさらしたる、枕にみだれかかりたる、それも 違 ( たが )はぬに、胸に 剣 ( つるぎ )をさへのせたまひたれば、 亡 ( な )き母上のその時のさまに 紛 ( まが )ふべくも見えずなむ、コハこの 君 ( きみ )もみまかりしよとおもふいまはしさに、はや 取除 ( とりの )けなむと、胸なるその 守刀 ( まもりがたな )に手をかけて、つと引く、せつぱゆるみて、青き光 眼 ( まなこ )を 射 ( い )たるほどこそあれ、いかなるはずみにか 血汐 ( ちしお )さとほとばしりぬ。 眼もくれたり。 したしたとながれにじむをあなやと両の 拳 ( こぶし )もてしかとおさへたれど、 留 ( とど )まらで、たふたふと音するばかりぞ 淋漓 ( りんり )としてながれつたへる、 血汐 ( ちしお )のくれなゐ 衣 ( きぬ )をそめつ。 うつくしき人は 寂 ( せき )として石像の如く 静 ( しずか )なる 鳩尾 ( みずおち )のしたよりしてやがて半身をひたし 尽 ( つく )しぬ。 おさへたるわが手には血の色つかぬに、 燈 ( ともしび )にすかす指のなかの 紅 ( くれない )なるは、人の血の 染 ( そ )みたる色にはあらず、 訝 ( いぶか )しく 撫 ( な )で 試 ( こころ )むる 掌 ( たなそこ )のその血汐にはぬれもこそせね、こころづきて見定むれば、かいやりし夜のものあらはになりて、すずしの絹をすきて見ゆるその 膚 ( はだ )にまとひたまひし 紅 ( くれない )の色なりける。 いまはわれにもあらで 声高 ( こわだか )に、母上、母上と呼びたれど、叫びたれど、ゆり動かし、おしうごかししたりしが、 効 ( かい )なくてなむ、ひた泣きに泣く泣くいつのまにか寝たりと 覚 ( おぼ )し。 顔あたたかに胸をおさるる 心地 ( ここち )に眼覚めぬ。 空青く晴れて日影まばゆく、木も草もてらてらと暑きほどなり。 われはハヤゆうべ見し顔のあかき 老夫 ( おじ )の 背 ( せな )に負はれて、とある 山路 ( やまじ )を 行 ( ゆ )くなりけり。 うしろよりは 彼 ( か )のうつくしき人したがひ来ましぬ。 さてはあつらへたまひし如く家に送りたまふならむと 推 ( おし )はかるのみ、わが胸の 中 ( うち )はすべて見すかすばかり知りたまふやうなれば、わかれの 惜 ( お )しきも、ことのいぶかしきも、 取出 ( とりい )でていはむは 益 ( やく )なし。 教ふべきことならむには、 彼方 ( かなた )より先んじてうちいでこそしたまふべけれ。 家に帰るべきわが 運 ( うん )ならば、強ひて 止 ( とど )まらむと 乞 ( こ )ひたりとて何かせん、さるべきいはれあればこそ、と 大人 ( おとな )しう、ものもいはでぞ 行 ( ゆ )く。 断崖の左右に 聳 ( そび )えて、 点滴 ( てんてき ) 声 ( こえ )する 処 ( ところ )ありき。 雑草 ( ざつそう )高き 径 ( こみち )ありき。 松柏 ( まつかしわ )のなかを 行 ( ゆ )く 処 ( ところ )もありき。 きき知らぬ鳥うたへり。 褐色なる 獣 ( けもの )ありて、をりをり 叢 ( くさむら )に 躍 ( おど )り入りたり。 ふみわくる道とにもあらざりしかど、 去年 ( こぞ )の 落葉 ( おちば )道を 埋 ( うず )みて、人多く 通 ( かよ )ふ所としも見えざりき。 をぢは 一挺 ( いつちよう )の 斧 ( おの )を腰にしたり。 れいによりてのしのしとあゆみながら、 茨 ( いばら )など 生 ( お )ひしげりて、 衣 ( きぬ )の 袖 ( そで )をさへぎるにあへば、すかすかと切つて払ひて、うつくしき人を通し参らす。 されば山路のなやみなく、高き 塗下駄 ( ぬりげた )の見えがくれに長き 裾 ( すそ )さばきながら来たまひつ。 かくて 大沼 ( おおぬま )の岸に臨みたり。 水は漫々として 藍 ( らん )を 湛 ( たた )へ、まばゆき日のかげも 此処 ( ここ )の森にはささで、水面をわたる風寒く、 颯々 ( さつさつ )として声あり。 をぢはここに来てソとわれをおろしつ。 はしり寄れば手を取りて立ちながら肩を 抱 ( いだ )きたまふ、 衣 ( きぬ )の 袖 ( そで )左右より長くわが肩にかかりぬ。 蘆間 ( あしま )の 小舟 ( おぶね )の 纜 ( ともづな )を解きて、 老夫 ( おじ )はわれをかかへて乗せたり。 一緒 ( いつしよ )ならではと、しばしむづかりたれど、めまひのすればとて乗りたまはず、さらばとのたまふはしに 棹 ( さお )を立てぬ。 船は 出 ( い )でつ。 わツと泣きて 立上 ( たちあが )りしがよろめきてしりゐに倒れぬ。 舟といふものにははじめて乗りたり。 水を切るごとに眼くるめくや、 背後 ( うしろ )にゐたまへりとおもふ人の 大 ( おおい )なる 環 ( わ )にまはりて 前途 ( ゆくて )なる 汀 ( みぎわ )にゐたまひき。 いかにして渡し越したまひつらむと思ふときハヤ 左手 ( ゆんで )なる 汀 ( みぎわ )に見えき。 見る見る 右手 ( めて )なる 汀 ( みぎわ )にまはりて、やがて 旧 ( もと )のうしろに立ちたまひつ。 箕 ( み )の形したる 大 ( おおい )なる沼は、 汀 ( みぎわ )の 蘆 ( あし )と、松の木と、 建札 ( たてふだ )と、その 傍 ( かたわら )なるうつくしき人ともろともに 緩 ( ゆる )き 環 ( わ )を描いて廻転し、はじめは 徐 ( おもむ )ろにまはりしが、あとあと急になり、 疾 ( はや )くなりつ、くるくるくると次第にこまかくまはるまはる、わが顔と一尺ばかりへだたりたる、まぢかき 処 ( ところ )に松の木にすがりて見えたまへる、とばかりありて眼の 前 ( さき )にうつくしき顔の ( ろう )たけたるが 莞爾 ( につこ )とあでやかに 笑 ( え )みたまひしが、そののちは見えざりき。 蘆は 繁 ( しげ )く 丈 ( たけ )よりも高き 汀 ( みぎわ )に、船はとんとつきあたりぬ。 ふるさと をぢはわれを 扶 ( たす )けて船より 出 ( い )だしつ。 またその 背 ( せな )を向けたり。 「泣くでねえ泣くでねえ。 もうぢきに坊ツさまの 家 ( うち )ぢや。 」と慰めぬ。 かなしさはそれにはあらねど、いふもかひなくてただ泣きたりしが、しだいに身のつかれを感じて、手も足も綿の如くうちかけらるるやう肩に負はれて、顔を垂れてぞともなはれし。 見覚えある 板塀 ( いたべい )のあたりに来て、日のややくれかかる時、 老夫 ( おじ )はわれを 抱 ( いだ )き 下 ( おろ )して、溝のふちに立たせ、ほくほく 打 ( うち )ゑみつゝ、 慇懃 ( いんぎん )に 会釈 ( えしやく )したり。 「おとなにしさつしやりませ。 」 といひずてに 何地 ( いずち )ゆくらむ。 別れはそれにも 惜 ( お )しかりしが、あと追ふべき力もなくて見おくり果てつ。 指す 方 ( かた )もあらでありくともなく 歩 ( ほ )をうつすに、 頭 ( かしら )ふらふらと足の 重 ( おも )たくて 行悩 ( ゆきなや )む、前に 行 ( ゆ )くも、後ろに帰るも皆 見知越 ( みしりごし )のものなれど、 誰 ( たれ )も取りあはむとはせで 往 ( ゆ )きつ 来 ( きた )りつす。 さるにてもなほものありげにわが顔をみつつ 行 ( ゆ )くが、 冷 ( ひやや )かに 嘲 ( あざけ )るが如く 憎 ( にく )さげなるぞ 腹立 ( はらだた )しき。 おもしろからぬ町ぞとばかり、足はわれ知らず 向直 ( むきなお )りて、とぼとぼとまた山ある 方 ( かた )にあるき 出 ( いだ )しぬ。 けたたましき 跫音 ( あしおと )して 鷲掴 ( わしづかみ )に 襟 ( えり )を 掴 ( つか )むものあり。 あなやと 振返 ( ふりかえ )ればわが 家 ( いえ )の 後見 ( うしろみ )せる 奈四郎 ( なしろう )といへる 力 ( ちから ) 逞 ( たく )ましき叔父の、 凄 ( すさ )まじき 気色 ( けしき )して、 「つままれめ、 何処 ( どこ )をほツつく。 」と 喚 ( わめ )きざま、 引立 ( ひつた )てたり。 また庭に 引出 ( ひきいだ )して水をやあびせられむかと、 泣叫 ( なきさけ )びてふりもぎるに、おさへたる手をゆるべず、 「しつかりしろ。 」 とめくるめくばかり背を 拍 ( う )ちて宙につるしながら、走りて家に帰りつ。 立騒 ( たちさわ )ぐ 召 ( めし )つかひどもを 叱 ( しか )りつも 細引 ( ほそびき )を持て来さして、しかと両手をゆはへあへず奥まりたる三畳の暗き 一室 ( ひとま )に 引立 ( ひつた )てゆきてそのまま柱に 縛 ( いまし )めたり。 近く寄れ、 喰 ( くい )さきなむと思ふのみ、歯がみして 睨 ( にら )まへたる、 眼 ( め )の色こそ 怪 ( あや )しくなりたれ、 逆 ( さか )つりたる 眦 ( まなじり )は 憑 ( つ )きもののわざよとて、寄りたかりて口々にののしるぞ無念なりける。 おもての 方 ( かた )さざめきて、 何処 ( いずく )にか 行 ( ゆ )きをれる姉上帰りましつと 覚 ( おぼ )し、 襖 ( ふすま )いくつかぱたぱたと音してハヤここに来たまひつ。 叔父は 室 ( しつ )の外にさへぎり迎へて、 「ま、やつと 取返 ( とりかえ )したが、縄を解いてはならんぞ。 もう眼が血走つてゐて、すきがあると駈け出すぢや。 魔 ( エテ )どのがそれしよびくでの。 」 と 戒 ( いまし )めたり。 いふことよくわが心を得たるよ、しかり、 隙 ( ひま )だにあらむにはいかでかここにとどまるべき。 」とばかりにいらへて姉上はまろび入りて、ひしと 取着 ( とりつ )きたまひぬ。 ものはいはでさめざめとぞ泣きたまへる、おん 情 ( なさけ ) 手 ( て )にこもりて 抱 ( いだ )かれたるわが胸 絞 ( しぼ )らるるやうなりき。 姉上の膝に 臥 ( ふ )したるあひだに、医師 来 ( きた )りてわが脈をうかがひなどしつ。 叔父は医師とともに 彼方 ( あなた )に去りぬ。 「ちさや、どうぞ気をたしかにもつておくれ。 もう 姉様 ( ねえさん )はどうしようね。 お前、私だよ。 姉さんだよ。 ね、わかるだらう、私だよ。 」 といきつくづくぢつとわが顔をみまもりたまふ、 涙痕 ( るいこん )したたるばかりなり。 その心の安んずるやう、 強 ( し )ひて顔つくりてニツコと笑うて見せぬ。 「おお、 薄気味 ( うすきみ )が悪いねえ。 」 と 傍 ( かたわら )にありたる 奈四郎 ( なしろう )の妻なる人 呟 ( つぶや )きて身ぶるひしき。 やがてまた人々われを 取巻 ( とりま )きてありしことども責むるが如くに問ひぬ。 くはしく語りて 疑 ( うたがい )を解かむとおもふに、をさなき口の順序正しく語るを得むや、 根問 ( ねど )ひ、 葉問 ( はど )ひするに 一々 ( いちいち ) 説明 ( ときあ )かさむに、しかもわれあまりに疲れたり。 うつつ心に何をかいひたる。 やうやくいましめはゆるされたれど、なほ心の狂ひたるものとしてわれをあしらひぬ。 いふこと信ぜられず、すること 皆 ( みな )人の 疑 ( うたがい )を増すをいかにせむ。 ひしと 取籠 ( とりこ )めて庭にも 出 ( いだ )さで日を過しぬ。 血色わるくなりて 痩 ( や )せもしつとて、姉上のきづかひたまひ、 後見 ( うしろみ )の叔父夫婦にはいとせめて 秘 ( かく )しつつ、そとゆふぐれを忍びて、おもての景色見せたまひしに、 門辺 ( かどべ )にありたる多くの 児 ( こ )ども我が姿を見ると、 一斉 ( いつせい )に、アレさらはれものの、 気狂 ( きちがい )の、狐つきを見よやといふいふ、 砂利 ( じやり )、 小砂利 ( こじやり )をつかみて投げつくるは 不断 ( ふだん )親しかりし 朋達 ( ともだち )なり。 姉上は 袖 ( そで )もてわれを 庇 ( かば )ひながら顔を赤うして 遁 ( に )げ入りたまひつ。 人目なき 処 ( ところ )にわれを 引据 ( ひきす )ゑつと見るまに取つて 伏 ( ふ )せて、打ちたまひぬ。 悲しくなりて 泣出 ( なきだ )せしに、あわただしく 背 ( せな )をばさすりて、 「 堪忍 ( かんにん )しておくれよ、よ、こんなかはいさうなものを。 」 といひかけて、 「 私 ( わたし )あもう気でも違ひたいよ。 」としみじみと 掻口説 ( かきくど )きたまひたり。 いつのわれにはかはらじを、何とてさはあやまるや、世にただ一人なつかしき姉上までわが顔を見るごとに、気を 確 ( たしか )に、心を 鎮 ( しず )めよ、と涙ながらいはるるにぞ、さてはいかにしてか、心の狂ひしにはあらずやとわれとわが身を 危 ( あや )ぶむやうそのたびになりまさりて、 果 ( はて )はまことにものくるはしくもなりもてゆくなる。 たとへば 怪 ( あや )しき糸の 十重二十重 ( とえはたえ )にわが身をまとふ 心地 ( ここち )しつ。 しだいしだいに暗きなかに奥深くおちいりてゆく 思 ( おもい )あり。 それをば 刈払 ( かりはら )ひ、 遁出 ( のがれい )でむとするにその 術 ( すべ )なく、すること、なすこと、人見て必ず、 眉 ( まゆ )を 顰 ( ひそ )め、 嘲 ( あざけ )り、笑ひ、 卑 ( いやし )め、 罵 ( ののし )り、はた 悲 ( かなし )み 憂 ( うれ )ひなどするにぞ、気あがり、 心 ( こころ ) 激 ( げき )し、ただじれにじれて、すべてのもの皆われをはらだたしむ。 口惜 ( くちお )しく腹立たしきまま身の 周囲 ( まわり )はことごとく 敵 ( かたき )ぞと思わるる。 町も、家も、樹も、 鳥籠 ( とりかご )も、はたそれ何らのものぞ、姉とてまことの姉なりや、さきには 一 ( ひと )たびわれを見てその弟を忘れしことあり。 塵 ( ちり )一つとしてわが眼に入るは、すべてものの 化 ( け )したるにて、恐しきあやしき神のわれを悩まさむとて 現 ( げん )じたるものならむ。 さればぞ姉がわが 快復 ( かいふく )を祈る 言 ( ことば )もわれに心を狂はすやう、わざとさはいふならむと、 一 ( ひと )たびおもひては 堪 ( た )ふべからず、力あらば 恣 ( ほしいまま )にともかくもせばやせよかし、近づかば喰ひさきくれむ、 蹴飛 ( けと )ばしやらむ、 掻 ( かき )むしらむ、 透 ( すき )あらばとびいでて、 九 ( ここの )ツ 谺 ( こだま )とをしへたる、たうときうつくしきかのひとの 許 ( もと )に 遁 ( に )げ去らむと、胸の 湧 ( わ )きたつほどこそあれ、ふたたび暗室にいましめられぬ。 千呪陀羅尼 ( せんじゆだらに ) 毒ありと疑へばものも食はず、薬もいかでか飲まむ、うつくしき顔したりとて、 優 ( やさ )しきことをいひたりとて、いつはりの姉にはわれことばもかけじ。 眼にふれて見ゆるものとしいへば、たけりくるひ、 罵 ( ののし )り叫びてあれたりしが、つひには声も 出 ( い )でず、身も動かず、われ人をわきまへず 心地 ( ここち )死ぬべくなれりしを、うつらうつら 舁 ( か )きあげられて高き石壇をのぼり、 大 ( おおい )なる門を入りて、 赤土 ( あかつち )の色きれいに 掃 ( は )きたる 一条 ( ひとすじ )の道長き、右左、 石燈籠 ( いしどうろう )と 石榴 ( ざくろ )の樹の小さきと、おなじほどの距離にかはるがはる続きたるを 行 ( ゆ )きて、 香 ( こう )の 薫 ( かおり )しみつきたる太き 円柱 ( まるばしら )の 際 ( きわ )に寺の本堂に 据 ( す )ゑられつ、ト思ふ耳のはたに竹を 破 ( わ )る 響 ( ひびき )きこえて、僧ども 五三人 ( ごさんにん )一斉に声を 揃 ( そろ )へ、高らかに 誦 ( じゆ )する声耳を 聾 ( ろう )するばかり 喧 ( かし )ましさ 堪 ( た )ふべからず、 禿顱 ( とくろ )ならびゐる木のはしの法師ばら、何をかすると、 拳 ( こぶし )をあげて一 人 ( にん )の 天窓 ( あたま )をうたむとせしに、 一幅 ( ひとはば )の青き光 颯 ( さつ )と窓を射て、水晶の 念珠 ( ねんじゆ ) 瞳 ( ひとみ )をかすめ、ハツシと胸をうちたるに、ひるみて 踞 ( うずく )まる時、 若僧 ( じやくそう ) 円柱 ( えんちゆう )をいざり 出 ( い )でつつ、ついゐて、サラサラと 金襴 ( きんらん )の 帳 ( とばり )を 絞 ( しぼ )る、 燦爛 ( さんらん )たる 御廚子 ( みずし )のなかに 尊 ( とうと )き 像 ( すがた )こそ拝まれたれ。 一段高まる経の声、トタンにはたたがみ 天地 ( てんち )に鳴りぬ。 端厳微妙 ( たんげんみみよう )のおんかほばせ、雲の 袖 ( そで )、 霞 ( かすみ )の 袴 ( はかま )ちらちらと 瓔珞 ( ようらく )をかけたまひたる、 玉 ( たま )なす胸に 繊手 ( せんしゆ )を添へて、ひたと、をさなごを 抱 ( いだ )きたまへるが、 仰 ( あお )ぐ仰ぐ 瞳 ( ひとみ )うごきて、ほほゑみたまふと、見たる時、やさしき手のさき肩にかかりて、姉上は念じたまへり。 滝やこの堂にかかるかと、折しも雨の降りしきりつ。 渦 ( うずま )いて寄する風の音、遠き 方 ( かた )より 呻 ( うな )り来て、どつと 満山 ( まんざん )に 打 ( うち )あたる。 本堂 青光 ( あおびかり )して、はたたがみ堂の空をまろびゆくに、たまぎりつつ、今は姉上を頼までやは、あなやと 膝 ( ひざ )にはひあがりて、ひしとその胸を 抱 ( いだ )きたれば、かかるものをふりすてむとはしたまはで、あたたかき 腕 ( かいな )はわが 背 ( せな )にて 組合 ( くみあ )はされたり。 さるにや気も心もよわよわとなりもてゆく、ものを見る 明 ( あきら )かに、耳の鳴るがやみて、恐しき 吹降 ( ふきぶ )りのなかに 陀羅尼 ( だらに )を 呪 ( じゆ )する 聖 ( ひじり )の 声々 ( こえごえ )さわやかに聞きとられつ。 あはれに心細くもの 凄 ( すご )きに、身の 置処 ( おきどころ )あらずなりぬ。 からだひとつ消えよかしと両手を肩に 縋 ( すが )りながら顔もてその胸を押しわけたれば、 襟 ( えり )をば 掻 ( か )きひらきたまひつつ、 乳 ( ち )の下にわがつむり 押入 ( おしい )れて、 両袖 ( りようそで )を 打 ( うち )かさねて深くわが 背 ( せな )を 蔽 ( おお )ひ 給 ( たま )へり。 御仏 ( みほとけ )のそのをさなごを 抱 ( いだ )きたまへるもかくこそと 嬉 ( うれ )しきに、おちゐて、 心地 ( ここち )すがすがしく胸のうち安く 平 ( たい )らになりぬ。 やがてぞ 呪 ( じゆ )もはてたる。 雷 ( らい )の音も遠ざかる。 わが 背 ( せ )をしかと 抱 ( いだ )きたまへる姉上の 腕 ( かいな )もゆるみたれば、ソとその 懐 ( ふところ )より顔をいだしてこはごはその顔をば見上げつ。 うつくしさはそれにもかはらでなむ、いたくもやつれたまへりけり。 雨風のなほはげしく 外 ( おもて )をうかがふことだにならざる、静まるを待てば 夜 ( よ )もすがら 暴通 ( あれとお )しつ。 家に帰るべくもあらねば姉上は 通夜 ( つや )したまひぬ。 その一夜の風雨にて、くるま山の山中、俗に 九 ( ここの )ツ 谺 ( こだま )といひたる谷、あけがたに 杣 ( そま )のみいだしたるが、 忽 ( たちま )ち 淵 ( ふち )になりぬといふ。 里の者、町の人 皆 ( みな ) 挙 ( こぞ )りて見にゆく。 日を 経 ( へ )てわれも姉上とともに 来 ( きた )り見き。 その日 一天 ( いつてん )うららかに空の色も水の色も青く 澄 ( す )みて、 軟風 ( なんぷう )おもむろに 小波 ( ささなみ )わたる淵の上には、 塵 ( ちり ) 一葉 ( ひとは )の浮べるあらで、白き鳥の 翼 ( つばさ )広きがゆたかに 藍碧 ( らんぺき )なる水面を横ぎりて舞へり。 すさまじき 暴風雨 ( あらし )なりしかな。 この谷もと 薬研 ( やげん )の如き形したりきとぞ。 幾株 ( いくかぶ )となき 松柏 ( まつかしわ )の根こそぎになりて谷間に 吹倒 ( ふきたお )されしに山腹の 土 ( つち )落ちたまりて、底をながるる谷川をせきとめたる、おのづからなる堤防をなして、 凄 ( すさ )まじき水をば 湛 ( たた )へつ。 一 ( ひと )たびこのところ 決潰 ( けつかい )せむか、 城 ( じよう )の 端 ( はな )の町は 水底 ( みなそこ )の都となるべしと、人々の恐れまどひて、 怠 ( おこた )らず土を 装 ( も )り石を 伏 ( ふ )せて堅き堤防を築きしが、あたかも今の 関屋 ( せきや )少将の夫人姉上十七の時なれば、年つもりて、 嫩 ( ふたば )なりし 常磐木 ( ときわぎ )もハヤ 丈 ( たけ )のびつ。 草 生 ( お )ひ、 苔 ( こけ )むして、いにしへよりかかりけむと思ひ 紛 ( まが )ふばかりなり。 あはれ 礫 ( つぶて )を投ずる事なかれ、うつくしき人の夢や驚かさむと、血気なる友のいたづらを 叱 ( しか )り 留 ( とど )めつ。 年若く 面 ( おもて ) 清 ( きよ )き海軍の少尉候補生は、 薄暮暗碧 ( はくぼあんぺき )を 湛 ( たた )へたる 淵 ( ふち )に臨みて 粛然 ( しゆくぜん )とせり。

次の

泉鏡花 龍潭譚

こうべ を たれ て つくば え 意味

使用例 [ ]• - 実際の髑髏をとして使用したもの。 - の左手のの一つ。 髑髏本尊 - 中世の一つでは、男女の性液を混ぜた和合水を髑髏に塗りの一つとしたとする説がある。 人間の頭骨も用いられた。 - メキシコでメキシコの祝日のやのに飾る髑髏。 砂糖菓子で食べれるものや、粘土で作られる。 デザイン・マーク [ ]• - 髑髏の下に交差する2本の骨を組み合わせた伝統的な旗のデザイン。 - よりした、全世界的にないしの標識として用いられるマーク。 - 髑髏の後ろに2本の交差する骨を組み合わせた起源の紋章。 モチーフとする人物・キャラクター等 [ ] 人物• - メキシコの。 - メキシコの。 初代ラ・パルカとして知られる。 - 日本の覆面レスラー。 キャラクター• - 昭和初期〜後期のや、作品、及びその主人公。 - TVアニメ『』及びそのリメイク作品の主役メカ。 - シリーズの登場人物。 本名はシャレコウベ、ドクロ星出身を自称。 - の登場人物。 - いずれの作品においても、髑髏をモチーフにしたシンボルマークを掲げている。 ドクロベエ - のキャラクター。 ホラーマン - の登場人物。 - 原作の漫画、及びその登場人物。 - 直接のモチーフはだが、そのバッタは「髑髏に似たもの」という基準で選ばれた。 仮面ライダースカル - 『』関連作品に登場する髑髏をモチーフにした仮面ライダー。 コンピュータゲーム• - 骸骨のキャラクターを主人公とする。 - 日本の。 - のアルバム。 その他• - の漫画作品。 黒麹芋 ど黒 博物館 [ ].

次の