来週の今頃には君はもうロンドンを発ってしまっているね 英語。 石井和彦・エッセー

平成30度後期金曜1講時「英語ⅣC(英語表現 トレーニング)」授業用ウェブサイト

来週の今頃には君はもうロンドンを発ってしまっているね 英語

>rikaさん 旅行記、読ませていただきました〜!しかし、オバ様達との旅行は ストレスたまるわ〜!寿命を縮めますなぁ・・・。 ああ、フィレンツェ編が早く読みたい〜! >れいお姉様 >>メジャーなガイドブックにちゃんと載っているわけですわね、わけですわね。 わけですわよ、わけですわよ〜!だいたい「予約制。 恐らく、ガイドブック新しいものをチェックしていないんでしょうな。 これから、卒業旅行のシーズンです。 ミラノの町に、コムスメどもが押し寄せて参りますわ。 国辱もののコムスメを見かけたときは、なんなりと処刑して下さいませ(笑) >noriさん、 ルチア駅のグルメ(?)情報、有難うございまーす(^-^) 駅弁、いいなぁ〜。 日本だと、北海道のイクラ&鮭の親子丼が好きだなぁ。 ヴェネチアのは、どんなのが入ってるんだろう?ワクワク(^-^) >はにわさーん >>何かあったとき、客をどついて自分たちが救命ボートに乗りかねない 大爆笑!!いや〜、想像出来ますな〜(^0^) >>もしかして、駅ピザって、あの立ち食いチェーンのこと???? なんですと?高嶋夫妻は、ヴェネチアに来る度に食べてるそーな。 忘れられない味って言ってたじょ・・・。 そんな大仕事、まい一人では出来ないっす(>-<) 100人全員でKLMのカウンターを取り囲みましたわ! 先導指揮を取ったのは、バックパッカーの皆様でした。 ジェラート食べてて忙しかったので、シカトしてたら、すぐに他の日本人の トコに行っちゃいましたね。 時と場所 昨年末のミラノのチェントロでし。 主人公 日本人のお兄ちゃん なかなかの美形でし イタリア一人旅&初海外旅行 彼がホテルに向かって歩いていると、アジア人らしき人が中央駅への行き方をたずねてきた。 日本人に道を聞いてくるなんておかしい。 すりかもしれないと思ったが、とっても困ってる様子だし、中央駅は今通ってきたところ。 ヴェネツィアでいろんな人に親切にされたこともあり、 「同じアジア人どうし、今度は自分が人の手助けにならなきゃ」とばかりに、 カバンから地図を出して説明し始めた。 しかし、万一のことはあるのであくまでも手荷物への注意はおこたらない。 そこへ男女二人のイタリア警官があらわれ、 「そこでなにをしている。 不法両替をしてるのではないか。 」 「さいふを見せろ」と。 十分注意をはらいながらサイフを開いて両替行為をしてないことを二人で説明。 もちろんサイフは自分で持ったまま、こいつらだって偽警官かもしれない。 不法両替行為の疑いも晴れたと思ったそのとき、 なんと相手のアジア人のサイフからポロリと【白いお粉】が。 アジア人を問い詰める一方、再度彼のサイフをとりあげ調査する警察官。 もちろん【白いお粉】など持っているわけもなく、無事釈放。 アジア人は連行されていった。 「このへんには、へんなやつらがうろうろしているから、わき目もふらずにホテルに向かわなきゃだめよ。 」 と婦人警官に説教された。 「びっくりしたな〜。 サイフを調べてみるとやはりない。 フロントに降りて行くとそこにはさっきと違う4人の警官と彼のクレジットカードが。 なんと警官とアジア人はグルで彼からクレジットカードをスッた後に逮捕されていた。 偽警官かも?と疑いを持ったものの、サイフを渡したのはその直前に通過するパトカーを見てたから。 本物のパトカーに乗っている偽警官はいないだろうと。 当然それは偽警官が乗っていたものではなく、彼らを逮捕すべく巡回していたパトカー。 使われる前にクレジットカードが戻ってきてなによりだった。 その後彼は事情聴衆のためそのパトカーに乗って警察署にいき、翌日裁判所に出廷した。 い〜や、ますます手が込んできてますねぇ。 どっきりさせては安心させの犯罪3段おとし。 勝手にバラしちゃったけど、彼はパソコンやらないっていってたからバレる心配はない ハズ。 ああ、もうこんな時間だ。 まだ、過去ログ読んでない。 レスは週末にまとめてするでし。 手配先は、いつものH*S。 ホテルは、「リスボナ」、エアーは「AZ」。 実は先日、アップルワールドにホテルの手配を依頼したところ、 「まだ4月からの値段が発表になってないので、受け付けられない」 との回答だったんです。 でも、「リスボナ」には、H*Sのツアー客が沢山送りこまれているのを 知っていたので、行ってきました「H*S」(笑) やはり、値段正式発表されてました(爆)パイプは太いと見たじょ。 更に、「残室僅かの模様ですので、全社あげてお部屋を探します!」 一時間後に、「お取り出来ました!」の返事。 早いじょ(笑) やはり、常に何室かキープしてるみたいですな。 AZも残席僅か!とのことで、こちらも申し込みました(危ないとこだった〜) ただ、4月以降のエアーの値段は、正式発表が2月中旬になるので、 確定後に請求書送付とのことでした。 会社からも問題なし、、。 本日帰国いたしました。 いや〜、モルディブは美しい・・・!!! そしてシンガポール航空は素晴らしい。 すっかりファンになっちゃった。 のりへいさんが言っていたように、 シンガポール航空のスッチーの制服はいいですよ〜。 見ていて楽しい。 既にさゆりさんのカキコにあったように、 けっこうエピソードもありました。 楽しみにしていてくださいね。 しまった、バレてしまった・・・。 ビーチの達人さゆりさんに面倒を見てもらって、 シュノーケリングもやったんですよ〜。 カラフルなお魚さんたちがたくさん〜。 体験ダイビングもやっちゃった〜。 でもARAKIは雨女の本領を発揮してしまったのでありました。 乾期のモルディブに雨が降る・・・。 ホントはもっと続きをかくつもりだったのだ。 インターネットカフェがあったので、狂喜してかけこんでしまいました。 井戸端は見れるんだけど、日本語は書けなかったの。 チャットは思いっきり文字化けしてました。 おいおい旅行記なんぞ書いてみたいと思います。 もち、さゆりさんと共同作業っす。 もう寝るので、このへんで・・・。 それでは、お休みなさい。 腹減った。 今朝は6:00から雪かきだったにょにいい... レスだけしにきました。 しゃん どうもっす。 新ネタなくてごめんなさい。 お!そうそう来週新型PowerBookがやっとアナウンスされるらしいですたい。 って、嫌がらせっす。 ゴミン。 ナニを書いたらよいのやら... 冬は虫もおらんし... 最近ゲームはエミュレーターで昔なつかしいスーファミのヤツとかやってます。 って、書き込む場所が違うよなあ。 イタリアのネタはあんましないんです。 こないだナポリで世話になった人々にクリスマスカードを大量に送ったんじゃが、返事が来たのはたったの2家族... そんなもんかなあ。 ナポリの人たちは人なつっこいように見えて、実はかなりシビアに線を引いてきますってことがわかりました。 単にめんどうくさがりなのかもしれんけどさ。 それではさいならです。 前にお言葉をちょうだいしている方々、マジごめんなさいです。 なんて素晴らしいお子様! 将来が楽しみですわ。 この調子でお育てください。 今度こそホントに寝ようなのねぇ〜 Buona notte a tutti! ARAKIさん共々無事だよん。 今回の旅には、タコのおじさん&マンタのおばさん、 グランデおじさん&ピッコロおばさん、名古屋のじじぃ三人衆などが 登場しました。 みなさんの忠告を守らず、すっかり真っ黒です。 とりあえず、帰国のご報告まで。 おおねこさんって、すごいですね。 単なるばけねこでぴ。 NHK BSではここ2年全試合MNFを放映しているので、機会があったら聞いてみて下しゃい。 Andrea Bachin >絵、いっぱいです?イクラに買ってやろうかにゃぁ。。 展示品の数は思っていた以上に少ないです。 これでL. それから、お魚容器のおしょうゆも(笑)。 フリット用にタルタルソースももっていこうっと。 (調子に乗る私) とうしろですな、やはり、上級者はスルメを噛りながら歩く! いか はイタリアでは貴重品 ぜひ、同席のイタリア人に蒔くべし [5333] Englishman in New York…名曲ですなぁ。 ぼぉ〜りぼりぼりぼり…。 ただいま「はりま焼」食ってます。 バリバリ。 PBG3さん、おひさでしねぇ〜(^^)。 どれ、せっかくですから「はりま焼」の音だけでも送信しとこうかの。 よっこらせ。 シングルの曲も多少そういう所があるが、他の曲を聞いてみれば、まぁ〜パクッてる事パクッてる事。 曲によっちゃあ、そりゃあもう「カバー曲かしらぁ?」という位の見事なパクり様。 「パクろうがパクるまいが、売れりゃあいいんだよ〜」的なオーラがビシビシですがな。 パクられた方々、この際に是非!訴えを起こしてほしいものです。 …無理ですよね。 歌ってる方も「パクった歌を歌わされようが何だろうが、売れりゃあいい」と思ってらっしゃるのでしょうか。 以前に某音楽番組にてコメントされてたミュージシャンの方(注:現在は雲隠れされてますが)あんたのその意見は正しい! <<はんばぁぐの作り方:大野ん家のばやい>> 肉は合挽。 こりゃもう鉄則。 タマネギは透明になるまで炒める。 食パンとパン粉だったら、在庫の多い方を使うのが大野流。 これに牛乳を入れて湿らしたのを加える。 しかし、どっちかと言うと食パンの方が美味いです。 ツナギに全卵。 塩コショウで味付け。 そいでもってタネを良くこねて、1個分の塊をキャッチボールして空気を抜き、形を整えて片面の中央を窪ませて、窪んだ方を先に焼く。 タレはケチャップとトンカツソースを1:1で混合したものを絡ませる。 母はやってませんが、たまに水を切った木綿豆腐(またはオカラ)をパンのかわりに入れます。 でも、あっさりしてて結構美味いです。 結果はどうだったかというと…そりゃあもう、余りにもの壮絶な味に絶句。 Pさんみたいな甘党の方にはオススメです(^^)。 …これだけ語っといて、言ってる内容は皆さんと大体同じっす。 >ぬわんと、血縁関係だったんですか! >大野どのへの見方を変えなければ…(謎)。 実は大野はウフィツィを40分で周った。 …1時間半待って鑑賞時間は40分。 これじゃあ、時間に追われた団体観光客と同じじゃねぇか。 (爆死) 「<世界の美術館>ウフィツィ」を気長に待つとするかの。 オモテ見た。 …「イタリアに旅行に行きます。 何か情報がありましたら連絡ください」ですか。 Comincia un fuoco: 人に聞く前に自分で調べろっての。 過去ログ見ろっての。 何の情報が欲しいのか書けっての。 旅行するのに在住者に書くなっての。 ああ〜!レスしてぇよぉぉ、メールしてぇよぉぉぉぉ! Finisce il fuoco: さて、けぇるべ。 ばにぃさん 初めましてです。 メタメタ、便利な言葉でよく通じますだよ。 まちなかのパン&プロシュット&フォルマッジヨ屋に行って (気の利いたスーパーにもカウンターがあるけど) パニーノつくってくれい!メタメタにしとくれい! ってーと半分にしてくれるだよ。 ナポリだとメラメラとメタメタの中間のような発音じゃった。 それではみなさんまた今度。 あや3です。 すっかりログの海に沈んでおります。 ぷくぷくぷく。 業務連絡> 今週土曜の新年会、参加予定な皆様、健康も仕事もばっちりですか?なにかありましたら連絡して下さいませね。 ということで、それまでなら「ドタ参」はOKです。 場所は横浜中華街。 1時からです。 なるほど。。。。。 TO PMさんへ カタカナでしゃべるイタリア語、とっても参考になりました。 おおねこさんって、すごいですね。 ファッチャーモ メタメタっていうのは、メタを2回いうのがみそなんでしょうか。 なんか、かわいい。 [5329] 今日は大阪名物お好み焼きの予定。 で暇を見つけてカキコします。 まずは、noriさんからリクエストのあった沖縄料理 食べたもの 定番ゴーヤチャンプルー(にがうり、沖縄豆腐、ポーク缶詰、卵) 豚の耳(ミミガーだよね?)、豚の角煮、ゆし豆腐(沖縄風そぼろ豆腐)、 紅イモのかきあげ、モヤシのポン酢あえ @レストランOKINAWA 大阪駅前第3ビルB1 土日祝日は休み まぁ、梅田地区で沖縄料理が楽しめる貴重な店としてはOKです。 でもJR大正駅前にあるリトル沖縄状態で林立するお店などの方が やはりメニュー豊富で安いし美味しいと個人的には思います。 でも大正区はカルト度高いので梅田でならおすすめします。 ランチタイムは食べ放題バイキング男性800円ぐらい、女性700円ぐらいで やっていますから、とりあえず沖縄料理未体験の方はこれでお試しください。 パン・ド・ミーなどのようフレンチタイプのパンの へたというか端っこ(茶色いところ)がついたところを手で千切って (冷凍の場合はミキサーにかけると楽です。 恐ろしい音がしますが大丈夫!) 少し牛乳で湿らせてから混ぜると美味しくなりますよ! 白い部分よりも茶色い部分が多いものの方が私の場合は絶対おすすめです。 ナツメグも忘れずいれると本格的な風味になります。 その他は皆様のお宅とさして変わらずです。 手抜き技として活用するのは、焼いた肉汁が残っているフライパンに とんかつソースとワインを少し入れてひと煮立ちさせたソースを ハンバーグにかけると究極の手抜き美味しいソースになります。 我家の場合です。 ご参考にまでに。 日本人の名前って男か女か外国の人には分かりにくいので 僭越ながらお知らせします。 メールやFAXを送る時には自分の名前のあとにMs. とかつけるといいですよ。 まぁそれでもMr. で返事くれるイタリアの人多かったのも事実ですが。 もしそうしていたならおばばのお節介と思ってお許しくださいませ。 シーズンはじめ、モーティン・アンダーセンをはじめとする 超一流どころが「何でこんな距離のをはずすの?!」ということが しばしばあった。 マリルさん,ごめんなさい。 以下訂正です。 【マリルさん江】 >これでは韓国人も日本人も行動パターンが一緒になるでしょうな〜。 つるみ方や、ぞろぞろした歩き方がそっくりですよなー。 違うのはNO!と言うときの勢いくらいか? 口論している場面を見て初めて、「日本人ぢゃなかった」とわかることがよくあります。 場所はLIDO DI JELOSO・・・ (Via Treviso. 3 30016 Lido Di Jesolo Venezia Hotel Le Soleil) あと3倍くらい船に乗ってたらアクイレイアまで行っちゃわないか?と地図見てて思いました。 成田空港もディズニーランドも使えないんだからね〜。 ・・・月末に休んでくれるなんて、 SB見るのに仮病使っていたきゃも?? うぴ。 >>ガイガーカウンター >結構メジャーな品物らしいので今度いったとき再チャレンジしてみましゅ。 所詮、内地からのあぶれもんの集まりで、貧乏人ばかり、、、 何故このようなことが根付いたかは、相互補助つーことだと思っているでぴ。 >ぬわんと、血縁関係だったんですか! >大野どのへの見方を変えなければ…(謎)。 だかりゃ、親子だっつーに、、、うぴ。 >マリル【P. 紀元前1世紀ローマ帝国の総司令官の一人でしゅ。 (マルクス・リキニウス・ルクルスだったかにゃ?) 小アジア、ポントス王ミトリダテスの征伐に出ていたなりが、もたもたしていたところ、 海賊征伐を3ヶ月で終えたポンペイウス・マグヌスの勢いに押されて征伐の総司令官の地位を 奪われてしまった人でしゅ。 それ以来表舞台から退いたなりが、大富豪で、豪華な料理を 毎日食べていたことで有名な人でしゅ。 >ぜひ、将来のお店のスポンサーから説明してあげてください。 1株100リラで、僕にゃんの持ち分は10株でしたかにゃ? うぴ。 (爆) 最後、ローマ字で"o"でぴにゃ? >#これって訂正しておくべき?シニョリーナなんですけど、、、って。 ウピピピピ Ciao a tutti! そして朝会社にきたら以下の様なレスが届いてました。 ほんと、一流のホテルって丁寧なお返事。 きゃーーーー、なんだか、ブルジョワ気分ざーます。 おほほ。 興奮状態。 ま、、、、ばにぃさん、男じゃないんだけど。 (爆) #これって訂正しておくべき?シニョリーナなんですけど、、、って。 00 p. 一皿を半分の分量にしてもらうのには、Mezza porzione,per favoreで、2人でシェアしますっつーのは、Dividiamo in dueっていえば、問題ないでしょうか? あと、ドレッシングは和風、イタリアン、中華などこっそりもっていくことにしました。 それから、お魚容器のおしょうゆも(笑)。 フリット用にタルタルソースももっていこうっと。 (調子に乗る私) 3月にいくんですけど、トリュフとかポルチーニって食べられますかねー。 あと、フラゴリーノ(?)とかホットワインものんでみたーい。 (なんか踏んだり蹴ったり?) 子どものいる家だと私のお薦めは 「ピングー」もの HPで見たんだけどピングーが腹ばいになってホッチキスの上についてるのとか 私が欲しいです。 no P. 寒気がするが、昨日から冷え込んでるせいだ。 咳がでるが、これはタバコの吸いすぎだろう。 風邪なんてひいてるヒマないのよ〜。。 でも良いブランデーはお料理を一気に美味しくしますよね。 内田洋子さんの本、大好きです。 「イタリアンカップチーノをどうぞ」も好きだし、「マンマミア」も。 確かこのひとも"カン違い恋に燃えるねーちゃん"に押し掛けられて困った、という 話を書いていたように思います。 大変ですなあ・・・。 しゃん ウチのムスコより「ルクッルスって・・誰?」と言われました。 ぜひ、将来のお店のスポンサーから説明してあげてください。 ところで、シェフ養成基金がまだ届かないわよ。 どうなってんのよ。 マネージャーより。 あ、>『古代ローマの歴史』ベルナルド・ロゴラ著 買ってこようかな・・・ でも、なかなか読む時間ないしなあ・・・ T. しかしウチの実家はまだ自宅でする。 めんどくさいんだ、これが・・・ T. T 何か・・・イタリアがすごく遠く思える今日この頃・・・号泣。 さん江】 >思うに「歩き方」って昔はバックパッカー向けだったような気がしたなりが、最近どっちつかずになっているのが原因のような気がするでしゅ。 確かにですな。 そういう意味では鼻につーんとくるような個性がなくなった…。 > 一般人は自宅でやるでしゅ。 お焼香はベルトコンベア状態で、さっさっと帰るでしゅ。 家が小さいと困るし、死人がでたら大掃除までしなくちゃならんのですなあ。 北海道ってのは冠婚葬祭は極めて合理的にやってるんですな。 > 仲人代@北海道、100万円が相場と聞いているなりが・・・。 むむ? ウチの場合30万円お渡ししたが、お祝いと称して立派なだんつうをいただいたので、お車代くらいにしかならなかったかも。 同じ業界?でも高低あって、結局媒酌人ご夫婦のお人柄によって金額が左右されるような気がしますな。 【ばにいさん江】 >イタリアでの食事 ウチは大食夫婦なのであまり参考にならないかも知れませんが、自分はアンティパスト、 プリモ、デザートと注文することが多いかな? セコンドは食べたくない時があるので、滞在中はあまりとらないですな。 アンティパストは好きだし、どんなのかなー?と興味があるのであまりはずしません。 連れはアンティパスト、プリモ、セコンドが多いと思う。 各人の皿数が合っていれば、合わせてサーブしてくれるので、店も奇異な目では見ないのでは? テーブルの上で少しずつ取り分けてお互いのを味見してます。 一方、トータル1〜1. 5人前注文して完全にシェアするというのも、店の雰囲気やこちらの出方しだいでは問題ないかと思います。 自分もサラダに醤油2-3滴たらしたらもっと美味しくなるはず、といつも思っていながら実行していません。 今度、あの小さな魚の容器に入った醤油をコッソリ持参するつもりです。 (あの容器も実はウケるかも) 【noriさん江】 >5・10日は大混雑、月末の今日もたいへん 便利なところに住んでいて、却って不自由ということもあるんですな。 ラジオではよく今日は5・10日or月末なので、道路は混雑…といってるのは本当のことなんですなあ。 (いつも実感なし) > 家は、パン粉ではなくて食パン使います。 有り難うございます。 そういえば母もそうやってつくっていたと思い出しました。 【大野 真さん江】 >キャツと大野が「娘」、「父上」と呼び合うほどですから、そりゃあもう…(絶句)。 ぬわんと、血縁関係だったんですか! 大野どのへの見方を変えなければ…(謎)。 くー、今頃やっとか?ですな。 さすが、「後進国」ニッポンですな。 >ウフィツィで…時間稼ぎをしていた。 やっと退いた!と思って戻った頃には別の団体が雪崩れ込んできたので見る暇ナシ。 あるある! さくっとまわって美術館を早く出たいと思っても、そうはさせてもらえず、こうして半日〜1日使っちゃうんですな。 >写真を撮っている10秒間のみ。 せめて写真を撮りたくなる気持ちもわかります。 【はにわさん江】 >ああ、もうじき2月だわ。 ローマ、ちょっと春かも。 もうですか? いいですなー。 >以前,あれを手にしていた学生を日本人と間違えて有名ショップの場所きいちまったことがあります。 はにわさんでも、観光客に道をきくことがあるんですか。 【紫さん江】 >内容は自慢話、シモネッタ話(女好きもいいとこ!こんなところで大声でするなよ!)下品丸出しでさんざんしゃべって最後にこう言った「私は文学以外何の興味もない人間なんだ」 どーせ「失楽園」くらいしか読まんだろうに。 しかし「失楽園」以来、あの手の小説が崇高と勘違いされる傾向にあるのは納得がいかん。 をやぢのエロ嗜好を肯定しちゃったもんね。 さん江】 >これでは韓国人も日本人も行動パターンが一緒になるでしょうな〜。 つるみ方や、ぞろぞろした歩き方がそっくりですよなー。 違うのはNO!と言うときの勢いくらいか? 口論している場面を見て初めて、「日本人ぢゃなかった」とわかることがよくあります。 [5318] だんなが仕事をするのでどけと言っている・・・今日はこれまで。 神様、ありがとう。 お陰様で平和な一日でした。 月末に休んでくれるなんて、なんてタイムリー。 お陰で仕事がはかどりました。 さん >>ガイガーカウンター >幾らで売っていたのだろうきゃ?? 気になるでしゅ。。。 畳二じょうもない、薄暗い個人経営のお店が密集しているところで見つけました。 ソレっぽい方々がたむろしていて、あんまり治安のよろしくない様子だったようで、 だんなからあんまりじっと見るな、といわれて足早に通り過ぎたので値段は未確認でし。 たぶんあの様子では値札がなかったような気がします。 私が見かけたところがたまたまそういう地区だったようですが秋葉原では 結構メジャーな品物らしいので今度いったとき再チャレンジしてみましゅ。 ・・・と・こ・ろ・で何故ゆえ千葉県民を迫害しゅるなり? きっと過去に千葉女に振られてひどい目にあったなりね?うぴぴぴぴ! これ以上おいたしゅるとわたくしめもおしおきしましゅぞ〜。 ほんとに人、人でしたな〜。 >Pさんの件 是非大野様に弟子入りいたしましょう! 少しお仕置きが必要なようでし。 千葉の会(なんかいい呼び方ないですかね?)としては黙っていられませんわ。 いってらっしゃ〜い。 10時チェックインではかえってご迷惑になりますね。 >置き去りにされた日本人は、約100人!! ひぃぃ〜怖すぎます〜。 小心者の私だったら腰抜かしてます、きっと。 でも結構直面すると開きなおれるかも。 >5時間の交渉の末、JALに乗って帰国しました。 ラッキーだったじょ(笑) まいさんが交渉したんですか?やっぱり英語ができないときついでしな〜。 そんな〜。 わたしは愛読者です〜。 楽しみにしてますのでヲババーズの 活躍ぶりをこれからも書いてくだされ〜。 >観光客の「写真」用警官なのか…? >長いマントを引きずったかっこいいカラヴィリエーリ イタリアに行くとこの観賞用警官を密かに楽しみにしている私・・・ 初めていったときは「おおう、さすがイタリアの警察!おしゃれだぜ!」 といたく感動してしまいました。 >召還ムービーカットボタンが欲しかった…。 これ、次には是非つけて欲しいです。 >お土産 ポッキーは喜ばれそうでしな。 お菓子関係・・・. パクリでしかー。 おそらく中身で一緒しょうな〜。 ということは韓国でもあの間違った情報が流布しているのですね。 これでは韓国人も日本人も行動パターンが一緒になるでしょうな〜。 また秋葉原にでも行かねば。 和食のカップうどんとかは受けそうだけど好き嫌いが一番ネックでし。 しかも本文も投稿も妙に自信に満ちているので怖いです。 [5317] げほっ。。。 (爆) 去年9月の事で時間変わってるかも(可能性大)しれないけど ローマ広場行きの路線バスが11:20にあったでしよ。 ローマ広場からヴァポレットで行っても時間的にあまり変わらないと思う。 ヴァポレットはN番が深夜は20分おきに出てるでし。 ヴェネツィア直行は夜遅く着くのが難点でしね。 (友人帰国時) 紫はど根性(30kg近い荷物があった)で水上バスでした。 イタリアで病気になるのは大変勇気がいると知りました。 内容は自慢話、シモネッタ話(女好きもいいとこ!こんなところで大声でするなよ!)下品丸出しでさんざんしゃべって最後にこう言った「私は文学以外何の興味もない人間なんだ」 ずりずりずり〜〜〜。 爆死しそうになったね。 食いたい! 「だだ茶豆」は紫が枝豆に目覚めた豆でし。 毎年新潟から送ってもらってます。 あと、おおねこさんから教えてもらった丹波の黒豆枝豆を通販で購入してます。 秋に食べて「錦秋」なる豆も旨かったでし。 以前大野さんが言っていた「紫頭巾(だっけ?)」も是非食べてみたいでしな〜。 だめだ止まらなくなる。 成田空港もディズニーランドも使えないんだからね〜。 実在の人物の実際にあった出来事を紹介してイタリアに暮すという事は自分で行き抜く力と技を身につける事だとイタリアパワーについて書いてあります。 にゃんと、同じ日私も秋葉原にいましたわ。 すれ違ってたかも?? 本当にすげー人、人、人で疲れちまいました。 う〜〜また風邪ひいちゃったよ〜〜。 御配慮ありがとうございます。 そうなれば、就業時間前にキップ買いに走って、、、、。 残してもいいから、一言添えましょう。 コミュニケーションを取るというのは、至上最強の武器でし。 ものおじしないで、話し掛けるべし!! うまくいけば、いろんな御利益が、、、。 笑 さて、ボンベを替えて、もうひともぐくり、、、。 おおねこ@オープンウォーター保持でし。 すこしその頭脳、分けてほしいっすー。 「おかっぱおやぢの記念柱」の作り方まで載っている!!! ニュートンムックの『古代ローマ』と同じような書物。 ただし、ルビはふっていない。 でもこちらの方がA5サイズでコンパクトかつ味わいがあるでしゅ! あっ、どちらもイタリアの翻訳本でしゅ => れいしゃん 今回購入した方は、I Romani DOGi spa, Firenze, 1999 Bernardo Rogora, ed. Andrea Bachin でしゅ。 僕にゃんはバックが好きでいつもバックなりが、、、 って、もちろんおこちゃまにゃのでブーブーのことでしゅ(謎)うぴ。 にゃんともまゃ〜、トラバーユしている人、こにはこ多いですにゃ〜。 基本的には、周りの客に迷惑に思われない範囲であれば、「客が楽しく食事をする=マナー」でしゅ。 料理の取り分けは、ようはカメリエーレと如何にやり取りするかがポイントだと思いましゅ。 おおねこしゃんはいつもとりわけているようですぎゃ、このへん上手くやり取りしているのだと思いましゅ。 日本人が来たらぶっきらぼうにとりわけ皿?(本来欧州にはそんにゃものはない!)をポコンポコンと 置かれて不快な思いをするという話をよく聞くでしゅ。 個人的には魔法の調味料、『醤油』が普及すれば、、、と思っているなりが、、、。 僕にゃん帰省の際にお持ちしますきゃ?? 傍目(イタリア在住者でなければ)には、笑えましゅ! >あたし、あのをやぢ、好きでしよ。 >ギリシャ語書きましたな?あたしゃ、大の苦手なんでし。 >>ルクッルス >うまいもんご馳走してくれそう。 >>ドレッシング >それはもしかすると嫌がられるかもしれません。 Ciao a tutti! 「ぶるぅ〜〜〜〜〜す」と声援しているのでしゅ。 ムースとはヘラジカのことで、彼がブロッキングするときの様子が「ムースのようだ!」 ということで、この綽名を頂戴したのでしゅ。 最初、彼の母上はブーイングだと思って オロオロ泣いたそうにゃ・・・。 ローマ、ちょっと春かも。 紫さん お粥のフルコース、おいしそうでしねえ。 あっさり粥でフレンチのソースをいただく。 っかぁ! >一緒に(部下と)座りたいのでどいてくれる? ・・・なにふざけてんでしょうね。 なんでどかせにゃならんのぢゃ? >悪夢の家造り これちょっと興味あります。 >岩波系映画 ちっと固い、社会系の映画が好きだったんでしよ。 あの当時,そういう奴は岩波でかかる ことが多かったし。 神保町はよく通ったんでし。 北沢書店とか・・・ ゆきおさん お花好きのお父様には、ジェンツァーノのお花祭りなんていかが?ローマ郊外カステッリロマーニの町だす。 教会前の坂が花の絨毯で飾られるんでしが、時期的に合うかなあ。 >お父様の現金管理 うちの父が来たときは、強制的に私があずかったでし。 ローマは危ないとかなり脅されていたし、案外素直であった。 健闘を祈ります。 >ペストゥム リゾートホテルのあるあたりの海辺は松林がきれいだす。 お散歩コースよ。 そしてあのあたりの国道、県道にはモッツァレッラ直販店が点在している。 れいさん >あのおじ様って説教癖&愚痴癖があるみたいで、食欲が減退するの。 あたし、あのをやぢ、好きでしよ。 キケロ印のTシャツ持ってるくらいで・・・(^^; 会食の際はキケロに一人でしゃべらせておいて、こっちはもくもくと食べるの。 うるさそうだけど教養あふれるおしゃべりが聞けそう。 寿司なんか一緒に食べに行ったら、奴は一人でしゃべりまくり、私は一人で食べまくり,なんてことに・・・なるわけないっす? >素直なわたくしを返して…。 やる気のないイタちゃんに声を荒げるってとても素直な反応だと思うでしよ? >「ぴ〜か〜ちゅ〜」の台詞だけやっているわけ?わけ? ううーむ。 今度番組終了時のテロップを録画して研究しましゅ。 あの一過性の体験に基づく主観的な決めつけアドバイス、まだこのガイドの大勢 を占めているんでし? マリルさん >よろこばれる日本土産・・・ あたしは個人的に和風の贈り物を差し上げて心から喜ばれたことないでしね。 みんな使い方や置き場に困るみたい。 でも、その方の趣味によりましゅ。 アニメが好きならアニメ物、インテリアに凝っているなら飾り物などなど。 最先端の電化製品はよろこばれるっすよ。 今,ポケモンが流行っているから、小さい子がいたら、ポケモングッズとかいいかも。 食べ物は好き嫌いが激しいから、避けた方が良いかも・・・ しゅしゅさん >礼服/喪服 いままで何度かお葬式、結婚式に出ましたが、黒い上下に黒タイもしくは白タイという をやぢは群、個体を問わず見たことありませんな。 大抵色を抑えた普通の格好してます。 結婚式に至っては、花婿まで普通の格好をしていて、胸のブーケがなければ花婿の識別が困難というのもありました。 (^^;; >韓国版 最近はあまり見かけないでしが、以前,あれを手にしていた学生を日本人と間違えて有名ショップの場所きいちまったことがあります。 リスさん >世界最古の中東の地図モザイク それって何世紀頃のものでし? 以前、某宗教系出版社の聖地巡礼ビデオで,その手のモザイクを見たことがあります。 確か日本語版もでていたはずだが、そのモザイクだろうか。 ばっちりキリスト教の世界でしたが・・。 ウピピの大将 ギリシャ語書きましたな?あたしゃ、大の苦手なんでし。 >おやぢの様なおこちゃま ううーむ。 「がきおやぢ」でしかな? >ペエストゥムの近くにあるとても奇妙な形をしたお山 もうちっと北上してローマとナポリの真ん中にあるチルチェオなんてどうでしょ? ここ、ヴェルギリウスにもでてきたっす。 おまけに森林浴あり、海辺ありの国立公園。 一日中ハイキングで遊べるっすよ? >元首政 うへー。 好きだす。 このテーマ。 でも、あたしはせいぜいユリウス・クラウディウス朝までだす。 新しい時代はちょっと苦手。 >ルクッルス うまいもんご馳走してくれそう。 >をやぢの会 「男の子ばーじょん」があってもおかしくないですな。 日本男児はもてるんですぞ? にこまんまさん >(変換めんどー) お昼にかける意気込みを感じますな。 それにしても汁鼻とわ・・・・。 くっくっく。。。 にこまんまさんったら、いつもバスの中で思い出し笑いさせてくれるんだから。 (^^ で、おいしかったです? 澤田さん >歌劇「トスカ」 その面子の奴、こっちでも激しく宣伝してましただよ。 100年記念だそうで豪華でしね。 きっとサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会だのサンタンジェロ城だの,あと一カ所、どこだろ。。 先日、ローマ歌劇場ではドミンゴ指揮,パバロッティ主演で中継放送してたでし。 見なかったけど,これも豪華メンバーだすなあ。 ビデオにとっとけばよかった。。。 (TT >ヴェネツィアin 乗り換えでしか。 うーむ。 遅延が心配だす。 のりへいさん いってらっしゃい!!もとい、いらっしゃーい!だすな? 鶴ちゃんでおにぎり付き、うはうはだすなあ。 で、体調,いかがでしか? まいさん >内定の決め手は「カオ」でしょう。 あたし、AZはぜーーたい乗らないでし。 何かあったとき、客をどついて自分たちが救命ボートに乗りかねない。 だいたいイタリア系の会社で社会的訓練ができるとは思えないし。。。 >ルチア駅で売ってるピザが最高に美味しい! もしかして、駅ピザって、あの立ち食いチェーンのこと???? あや@ぐんまさん <ローマの豆腐や それは、大谷さんのお宅でしな?うまいんだが高いので、大ご馳走でしよ。 rikaさん 久々のをばばーずの大冒険、わっくわくでしよ。 なな@フィレンツェさん >日本人女性を狙う「をやぢの会」があるようです。 なぬ!?ゆ・・・ゆるせん・・・ふるふる・・・・ イタリア人だったらをやぢであろうとぢぢゐであろうとついていっちゃうバカ娘がいるってことっすね?あたしゃ、なげくぞ。 noriさん うちも食パンだす。 ローマに来てからは、固くなったパンの切れ端。 >はんばーぐ >均衡の合わない最悪の都市第2位がベネチア ベネツィア、物価が異常に高いから・・・(TT >「ヨーロッパで最も不便な美術館」はバチカン美術館。 たしかに・・・。 あの行列,根性無くしては挑めましぇん。 でも、一応きちんと開けて、見学させてるだけでもマシでし。 がんばれ!ローマ国立博物館!! musettaさん >サンタンジェロから身投げ ううーむ。 ぢつはあたしも悩みました。 もしかしたら、昔はテベレ川が真下だったのかも??? なんて。 今、この光景を見る度に、「動物のお医者さん」のハムテルの母を思い出してしまふ。 そして肩をふるわせる・・・・ ばにぃさん >1皿づつとって2人で分けて 大丈夫でしよ?アンティパストを半分こっていうのは、分けるのが難しいかも知れないけど。 あたしの場合は、「プリモを半分こ、セコンドを一人前ずつ」もしくはその逆をよくします。 アンティパストは別にとらなくてもいいでしよ? >ドレッシング それはもしかすると嫌がられるかもしれません。 よっ人気者!あおじそあたりがよいじゃないか。 野菜料理なら、やはりズッパ・ヴェルドウーラ (野菜スープ) ズッキーニ、じゃが、にんじんなどではずれが無い!子供も食べれる。 超カメです。 …なーんか、相手が若いネェちゃんだからって馬鹿にしてるような気がしてならないですな。 そんなにいい年したヲヤヂどもが2人一緒に座りたきゃ指定席に座れっての。 どうせ交通費は「会社持ち」なんだから。 あわよくば、くすねようと思ってるのは確かでしが(^^ゞ。 Pにゃんは今まで年齢を偽ってたんですかい? >をやぢや。 キャツと大野が「娘」、「父上」と呼び合うほどですから、そりゃあもう…(絶句)。 >被害者の人権なんてないんぢゃないのか? ってことですわ。 おかげ様で今んとこ無事故です。 さーん >>女の子同士で行くのにはぴったり。 …あ!そういやPさん、次回で免許の書き換えは記念すべき10回目になるんでしたっけ?…いやいや違った15回目? <<団体客による被害:大野の場合>> たいした被害じゃないが、ウフィツィでフィリッポ・リッピの「ひわの聖母」をじっくり眺めたかったが、既にアメリカ(多分)の団体客のガイドが長々と説明してる最中で、仕方ないなぁと思って他の絵を見て時間稼ぎをしていた。 やっと退いた!と思って戻った頃には別の団体が雪崩れ込んできたので見る暇ナシ。 結局「ひわの聖母」の前にいたのは写真を撮っている10秒間のみ。 後から思ったが、散々画集で拝んでるのに写真にとってどうする?と自問自答。 まあウフィツィだし、7月だったから仕方ないと言えば仕方ないがの。 週末は、やっぱり怒涛の書込みですね。 脱帽です。 のろまな亀のチアキ改め、ばにぃは、おちこぼれです。 笑 またまた 質問がありまして、書込みさせていただきます。 イタリアでの食事、小食な私にはどうしてもフルコース一人前はいただけないのですが、 例えば、 antipasto, primo と secondo を1皿づつとって2人で分けて、あとデザートやコーヒーは 各々ひとつづつ注文っていうのは、マナー違反ですか? 利用するのは、リストランテではなくて庶民的なトラットリアなのですが、、、、。 それと、恥を承知でおききするんですが、 イタリアのサラダって オイル&ビネガーでたべるじゃないですか??あれ、単調であまり好きじゃないんですよ。 笑 よろしければ、アドバイスください。 駄目だといわれれば、お行儀よくしています。 musettaどす。 先週は仕事(会社)のゴタゴタプラス自己嫌悪に陥る事件(っつーほどでもないが)があって、落ち込みモードだったでし。 てなわけで、この週末過去ログに潜る体力も気力もありませんでした。 明日から2月だし、なんとか脱出したいですワン。 すっごく頭の切れる人で、小柄で可愛い人でし。 確か、イタリア人結婚して今はミラノと日本との二重生活でし(「イタリアンカプッチーノをどうぞ」の著者と同じ内田洋子さんだったら、ですが) >アカーチェ 一度だけ行ったことあります。 シェフの奥村さんが友達の友達なんでしよ。 ああ、また行きたいな。 素晴らしいですワン。 特に若手は。 どこからなんだろう? こりは、イーサンハントさんの守備範囲か? >カヴァラドッシ テノール はプラシド・ドミンゴでし。 ドミンゴ様のカヴァラドッシかあ。 個人的に好きっす。 ドミンゴ様は優等生だから安心でしょ、トスカは51才だけど、まだ声はでてるはずだし、スカルピアはいやらしさをだしてくれるでしょうな。 個人的には、レナート・ブルゾンのスカルピアが好きでし(^^)しかし、彼は、往年の名歌手になっているだす。 トスカといえば、最後にサンタンジェロ城からテベレ川に身を投げますよね。 「あそこから落ちたら、道に叩き付けられるよな。 よよ…。 それから、ごめんなさいね〜。 カタログ通販しているものでなんと3回も同じ商品が届いていました。 「品切れです」になる可能性が高く、今まで何度もフラレていたので カタログ再登場するたびに「いけいけゴーゴー」とばかりに頼んでいました。 頼むから家にはぶつけないでくれよ〜。 ハンバーグつづき、遅いってば。 家は、パン粉ではなくて食パン使います。 母がそうしていたので、大人になるまでパン粉で作ることを 知りませんでした。 両方試してみたけども、食パンのほうがよく膨らむような気がします。 個人的にパン粉なら、生パン粉の方がよいとも思います。 すじ肉レシピありがとうございました〜。 今度試してみます。 適当に作って美味しいのなら、何もいうことなしでわ? やはりお料理上手のなせる技でしょう。 行っちゃいましたね、お気をつけて〜。 お会いできるのを楽しみにしてます。 生添乗話に期待大。 朝から失礼しました。 私、コールハーンのローファー愛用者であります。 もう今ので3代目、しかも裏張り替え済みです。 香港はこれも安いの??? やはり香港一度行ってみねば、、、 沖縄料理もレポート待ってます。 外食どおでした、楽しまれましたか〜。 少しずつ好転していってる様子でなによりだか、 つづきが気になるぞ〜。 >モンテナポレオーネの小娘。 お店の閉まってる、月曜午前からグッチやフェラガモ前に並んでいるのを 目撃したことあります。 そのエネルギー、どっか他のとこに使うつもりはないのか〜。 ルチア駅のピザもいいけど、駅弁もあるよ。 でも、1人じゃ食べきれないから要注意でし。 ちなみに1位はロンドン、ベストはパリなんだそうで 皆さん、ご納得? ちなみに、「ヨーロッパで最も不便な美術館」はバチカン美術館。 これは見学時間の短さや、入場の際の長い列から判断されたもので すべては、バチカン市国の権限によるもの だそうです。 >最近は卒業(リッチ)旅行の学生や、小金持ち中高年のツアーに照準を合わせて来たんだと思います。 思うに「歩き方」って昔はバックパッカー向けだったような気がしたなりが、最近どっちつかずになっているのが 原因のような気がするでしゅ。 >何時にもましてながーい書き込みしてましたなあ。 >>結婚式:儲かる!会費制かつ親戚などがご祝儀をたんまり持ってきましゅ。 >やりかた次第ですな。 しゅしゅしゃんの職業(こりぇ自体も類推)から類推するに、その業界では 仲人代@北海道、100万円が相場と聞いているなりが・・・。 >>葬式:豪華! 誰もが祭儀場やお寺であげる! >豪華なんですか? >北海道以外ではどんなところでしてるのですかな? 一般人は自宅でやるでしゅ。 お焼香はベルトコンベア状態で、さっさっと帰るでしゅ。 最近は会館借りる人が増えてはいるそうなりが・・・。 >層雲峡温泉です。 >日本でも豆腐屋なんて少なくなっていってるのに…と おぉぉぉぉぉ! 確かに日本ではとんと見かけなくにゃった、、、牛乳配達のように 少しは復権してほしいものでしゅ。 >一人歩きのときにをやぢが話しかけてきても無視しましょう。 私もつい最近まで知りませんでした。 ちなみに自分から申告しないとしてくれません。 のりへいさん、もう出発なさったのでしょうか… 残念、お会いしたかったです。 またの機会にでも。 れいさま、荷物が着くのを楽しみに待っています。 どうもフィレンツェには日本人女性を狙う「をやぢの会」が あるようです。 チェントロのバールで夜な夜な成果について語り合っている…。 一人歩きのときにをやぢが話しかけてきても無視しましょう。 イタリア人とはいえ、をやぢはをやぢです。 宅急便になってしまって申し訳にゃいがよろしくお願いしましゅ。 取引方法はお二人の間で決めて下しゃい。 >>熱かおなご >きっと又色々と問題があるでしょうが、お疲れの出ないように。 (11時、なーんて顰蹙もんだもんね〜) ほほっ。 10時59分59秒999ですにゃ? うぴ。 >私たちに「その鞄とこの鞄は網棚に載せなさい」とテキパキと指示を出す。 座席は人間様が座るところですからにゃ〜。 >ヲババーズにちょっとムッとしていた私は、「ちゃんと切符に刻印してきましたよ!」と言うと、「何、それ?」。 おいおい…。 これもミラノに持ってくるように。 は、はい! で、でも僕にゃん買ったの何処いったにょ? 違うやい!「若年性アルツちゃん」だゃい!ぷるぷる・・・・・。 メモメモ >キケロと頭に刷り込みされたから、キケロはキケロなの。 う〜やっぱりそうきゃ〜、、、全く現代人は、、、ぷるぷる・・・・・。 >じゃ、やっぱり「ガイドブックにぃ、詳しく載っていると思いますがぁ」というレスは可能なのね、ふふふ…。 お任せしますだゃ〜。 以上朝はれいしゃんまで、、、Ciao a tutti! 怒涛の書き込みに、すぐ沈没するあや@ぐんまです。 前回の書き込みにレスできなかったマリルさんごめんなさい! さて、このたび2月の震捻会@横浜中華街に参加できることになりました。 初参加のため、皆さまについていけるか不安がありますが、 どうぞよろしくお願いしまする。 今朝、ラヂオを聞いてたら、ローマに豆腐屋さんがあるという話でした。 日本でも豆腐屋なんて少なくなっていってるのに…と 寝ぼけ眼@布団の中で、不思議な気分でした。 確かにワンパターンだけど簡単なので良いかも知れませんな。 >あの本全体に強烈に漂う説教モードが嫌なの。 うーむ、確かに。 教祖的要素はありますな。 >説教する暇あったら自分の襟元正せつうのよ。 交通手段はともかく、ガイドの説明も無茶苦茶間違えているし。 銃殺ものだわ。 交通手段はマイナーなところも結構載っているので、実は重宝しています。 バスの番号が違ったりするのは、どうせ裏をとるのであまり気にしてなかったですなー。 ガイドには今までかなりだまされていたかも。 結局、交通手段と、日本人の集まりやすいところ(ホテル、レストラン、ショップなど)を知りたいために(避けるため)、いつも新しい版を買ってお金を落としてやっています。 何年も前のと書いてあること同じ(!)ところも少なくなくて、手抜きが発見できます。 (投書したろかと思ったが、面倒なのでやめました) でも最近確実にパワー落ちてます、「歩き方」。 以前はディープな情報もところどころあったが、殆どみられなくなりましたな。 最近は卒業(リッチ)旅行の学生や、小金持ち中高年のツアーに照準を合わせて来たんだと思います。 びんぼー学生なんて、少なくなったですからなあ。 【おさるかっぱさん江】 >あと強弱とリズム的に早い遅いを明らかにつけると ふむふむ…(めも)。 >キティーちゃんレストラン、ウルトラマンレストランが沙田に出来て ありがとうございます。 肥仔が4-5歳になったら行ってみます。 さん江】 何時にもましてながーい書き込みしてましたなあ。 >あと結婚式と葬式は北海道国でするのが一番ともいわれていましゅ。 結婚式はかかる費用が安いような気がする。 結納の何倍返しとか嫁入り道具?などの形式にあまりこだわらないし。 札幌の一番いいホテルで披露宴やっても、費用はたかが知れてますな。 >結婚式:儲かる!会費制かつ親戚などがご祝儀をたんまり持ってきましゅ。 やりかた次第ですな。 >葬式:豪華! 誰もが祭儀場やお寺であげる! 豪華なんですか? 北海道以外ではどんなところでしてるのですかな? >う〜ん、小金湯温泉!でぴ? これまた懐かしいところを出してきましたな。 層雲峡温泉です。 「氷瀑まつり」をやってて花火を打ち上げてましたな。 (殆ど真下から打ち上げてたので、すごい迫力でした) 【マリルさん江】 >日本でおそらく一番メジャーなガイドブックがこの程度・・・ 韓国版もあるのを知ってますか? 一時、これを手にした沢山の韓国人学生をイタリアで目にしましたな。 表紙は全く同じ。 タイトルはハングルで書いてあった。 本の側を水色に塗ってあるのまで同じ。 パクってもここまでやるか?って感じでした。 個々が手に持って歩いている様は、日本人学生と区別が難しいくらいでしたわ。 【澤田さん江】 >犯人はミノマイシンでしか。 眠気=ニポラジン、肝臓=ミノマイシンですな。 長いマントを引きずったかっこいいカラヴィリエーリもいることはいるが、こちらは完全に観光用で、目の前にすりがいようが永遠に気がつかなそうな顔をしている。 こいつらは休憩時間になると、バールでカフェを飲んでいたりするのだが、時にはお店に出没したりする。 なんか買ってもあの長いマントが紙袋を隠してくれる…かも。 本屋にいたマントのお兄様は美形だったので許す(本屋だし、きっと勉強熱心なのね…はぁと)。 ワイシャツとネクタイのお店から出てきた一組のマント警官はなんだったのだろう…。 万引き防止の見回りとは思えないのだが。 さらに片方の警官は背が高くすらっとした美人である。 化粧の濃さといい、くるくる巻いた髪に一筋の乱れもみられないあたり、「いつでもどこでもど〜んな角度からも写真OKよ」と言っている気がしてならない。 観光客の「写真」用警官なのか…? ゆきおさんへ >ぼぉ〜っとしてるくせに、自分は大丈夫だと思っているので、お金も自分できっともつって言い張る そうなのよね〜。 バックたすきがけ、ジーパン、スニーカー、見るからに観光客だと一目わかるのに、伯母も母も「わたしは旅慣れている」と信じ込んでいたわ。 おまけにオランダでダイアの指輪を(ま、とてつもなく高いもんでもないのだが)買って「ホテルの金庫に預けるのも危険だから」とずっとバックに入れて持ち歩いていた。 わたくしの心の負担が更に増えたのも知らずに…。 お取り寄せかのう…。 リスさんへ >リメイクジーンズがブレイク中 なるほど。 そういえばチェントロの近くでモード色濃いお店がその手のジーンズを売り出していましたわね〜。 こちらは相変わらず茶と黒とグレーの地味モード…。 うみゅ〜。 しゃんへ >「エリザベス1世」(講談社現代新書) あ、奴隷や。 これもミラノに持ってくるように。 >『個人旅行』と『るるぶ』 メジャーなガイドブックにちゃんと載っているわけですわね、わけですわね。 マリルさんへ >秋葉原へ行きました。 おぉ!秋葉原とな。 全ての外国人にとって憧れの地よ…。 >ガイガーカウンターもあったよ。 >もうご存じのようでしが、どうやら5月末になった模様 む〜。 これ以上延期をしたら暴動が起こるかも…なんかゲーム担当している会社と宣伝しているエニックスの関係が良好じゃあないんじゃあ…。 >召還は楽しいけど、攻撃ムービーが長くて、うちのだんななどはめんどくさいらしいです。 何度も見ていると飽きます。 召還ムービーカットボタンが欲しかった…。 FF8は誰のファンにもならなかったので、戦闘ムービーで誰かが大写しになろうが関心なかったし…(FF5のバッツ、カムバ〜ク!) >日本っぽい物が喜ばれるのでしょうか? むぅ…多分…日本ぽいものだと失敗が少ない気がしましゅ。 ランチョンマットとかハンカチとか。 >ポッキーとか、お煎餅とか、日本茶(お菓子じゃないけど)とか。 日本のポッキーはおいしいからちょっとしたお土産にいいかも。 お煎餅は好き嫌いがあるみたいです。 少なくとも駄目なイタリア人を一人知っている…。 日本茶は日本に感心がある人ならOKかな。 そうじゃない人はもてあましてしまうかも。 でもペンパルさんは日本に興味あるのよね? 澤田さんへ >季節の変わり目ごとにお顔が脱皮してたもんで。 先週わたくしも顔がはれちゃって…化粧品かぶれかなぁ。 >ヴェネツィアin再考中でし。 うみゅ〜5月だとすると、ヴェネツィアいつ頃までにホテルを取ればいいのかしらん…それだけが心配なの〜(わたくしはミラノから電車乗るだけだし、荷物もほとんどないからのう)。 そんなものだからホテル泊となるとバスタブ付きに必ず指定しておいて、ホテルで何度も何度もお風呂に入るわたくしは貧乏性…か…? >今日も、モンテナポレオーネにはコムスメ達が群がっているのでしょうか? あそこでコムスメを見ない日はない(断言)。 せいぜいが日曜日、お店の閉まっているときが彼女らのいない時…。 店の前で地べたに座って食っておる。 国辱ものじゃ。 >「ミラノ買い物ツアー!あなたの戦利品見せて!!」 雑誌編集者も他に企画がないものか…。 企画力のなさに唖然とする今日この頃。 >最後の晩餐ネタですが、どのガイドブックも2000年版には載ってると思いますじょ。 じゃ、やっぱり「ガイドブックにぃ、詳しく載っていると思いますがぁ」というレスは可能なのね、ふふふ…。 rikaさんへ >レバノンの遺跡、思ったよりずっと凄かったんでびっくりです むぅ。 またわたくしの馬鹿母親が少しは気をきかせて録画していることを祈る。 >3人でFSを利用すると30%引きだと初めて知った。 あら、わたくしも知らなかったわ。 ほんとにイタリア人かつう(イタリア人なんて愛想あってなんぼのものよ)。 処刑じゃ処刑。 >移動の時は私が一番前に出て、後ろのヲババーズに御案内という図が出来上がってしまいプチ添乗員化 ふふふ…一番若い人がえてしてそういう役目になるものよ、ふふふ…。 >「ちゃんと切符に刻印してきましたよ!」と言うと、「何、それ?」。 おいおい…。 ヲバAはほんとに旅慣れているのかしら?ふふふ…。 あ、おおねこさん、今日フォックスタウンにちょっと寄ってきたらラルフローレンのアウトレットも入っておりました。 前からあったかしら?なかったような…。 ちらっとみるだけだったのですが、シャツとかセーターとか男物のようです。 プラダは友人が行ったときにはリュックが出たそうですが(12月末)、相変わらず置いてある商品は「スカ」ですね〜。 それと音楽に強いお方〜、オペラ「Wozzeck」なるもの、ご存知ですか?スカラ座でやるのですが、席がらがら状態です。 「Adriana Lecouvreur」は満席チケットなし状態なのに…。 色んな事を考えてしまったのと、ヲバBのトイレが多かったのが原因かも。 ヲバBも神経が苛立ってたみたいだから仕方ないか。 起きて暫くすると、部屋まで食べきれない程の朝食を持って来てくれた。 結構美味しそう(といってもコンチネンタル)。 皆、昨日の出来事を未だ引きずっている為、少々暗い。 食べていても、昨日の反省。 一方私は、予約の確認メールを忘れた事が非常に心に重くのしかかっていた。 結局皆、たいして食べなかった。 イタリアに普通の以上の思いの3人なのに、もんのすごいネガティブな空気。 でも食べ終わったら、なんとか私はプラス方向に進んだみたいで、外に出たくてウズウズ。 ヲバAもそうらしかったが、ヲバBは全く精神的にまいっていて、そこから体も不調な様子。 食後、元気な2人で駅まで切符を買いに出かける。 ホテルからテルミニへは、歩いて3分とすごく近くて「昨日あんなタクシー乗らないで、電車で来れば良かったわね」と語り合う。 テルミニは2人とも使った事がないし、工事中なので、切符売り場探しに手間取る。 窓口で、何ごともなくフィレンツェ行きの切符を手に入れる。 3人でFSを利用すると30%引きだと初めて知った。 そして窓口の人が言うには、9:05の列車だとのこと。 時計を見ると、あと25分もない。 私たちは大急ぎでホテルに戻って支度をし、チェックアウトする。 昨日と同じ愛想無しオヤジに精算を頼むと、事もあろうに27万リラだと言いやがる。 Eメールで予約した時は19万って言ったじゃないか!それを拙いイタリア語で伝えようとはするが、ヲバAが「時間がないからいいよ」と言ってくれたのと、この感じの悪いオヤジじゃどうせダメだろうという事で諦めた。 ホントにごめんなさい。 私がちプリントアウトしたのを忘れたのが悪かったんです。 意外と神経のか細い私(?)、胃が痛かった。 オヤジは結局1度も微笑すら見せなかった。 気を取り直す間もなく、私たちはテルミニまで猛ダッシュ。 やはり荷物の大きいヲバBが辛そう。 (なぜかこの頃から、移動の時は私が一番前に出て、後ろのヲババーズに御案内という図が出来上がってしまいプチ添乗員化。 まあ、方向感覚は良い方だと思うけど、私、旅慣れてないのよっ。 ) 一体どこを見れば、列車の発着時間やホームが分るのかも誰も知らないし、大慌ての私たち。 でもヲバAが「24番線だと入口近くのボードに書いてあった」と言うので、ホームのずーっと向こう(私たちは1番線の方に居た)まで「ぺるめっそー」を連呼しながら走る。 端まで着いたものの、24番線なんて無かった…。 ホームに居たFSのおじちゃんに、切符を見せて出発ホームを聞いた。 「4番線だ」と言った。 …逆戻りじゃないかぁぁ!時間は既に9:05。 焦りまくる。 4番線に着くと列車は無かった。 でも、列車が行ってしまった様子も無いので、近くの職員に聞くとこっちに来いと言われ、柱の上のモニターを見せられた。 とても分かりやすく表示してありましたよ。 早く教えてくれ、オヤジ。 で、見ると私たちの乗るべきと思われる列車は12番線から出るらしい。 今度は4番線から12番線まで急いで走る。 9:05をとっくに過ぎていた事など、考える暇無し。 12番線には未だ列車が居た。 私が切符に刻印している間に、ヲババーズは先に行ってしまっていた…。 混んでいるのかと思ったらガラガラで、コンパートメントが1個空いていた。 朝からグッタリの私たちは、そこに鞄を置いたまま座った。 後から40歳くらいのシニョーラと、そのマンマらしきおばあちゃんの2人づれが乗って来て、私たちに「その鞄とこの鞄は網棚に載せなさい」とテキパキと指示を出す。 「んな、無理なぁ」と思ったが、案外載るもんだね。 そして更に「窓側の2席を開けてくれ」と言うので怪訝な顔をしていると、シニョーラは「予約してあるの」と言った。 見てみると確かに、窓側の2席は予約された席だった。 やっと落ち着くと、その美人シニョーラは私たちに話しかけてきた。 トリエステに行くと言う。 そして、色々な単語も教えてもらった。 途中やってきた車掌さんも感じの良い人だった。 車内で会った3人はとても感じの良い人達で、イタリアに少々幻滅気味(ネガティブな奴だなぁ)だった私たちは元気を貰った気がした。 おいおい…。 圧倒されましたわ。 部屋の模様替えでパソコンのディスプレイが向かって右に来たら、見辛い&打ち辛い。 やっぱり、利き目とか利き手に関係するんですね…。 置き場所、もう1回考えなくちゃ。 旅の無事とご武運(?)お祈りします。 特にヴェネツィアやアルベロベッロ辺り…。 噂のあの番組ですね…。 全部見て無いけど(よかった、ホッ)凄かった…。 演技か?ってくらいだったけど、あれが本性だったってことですね。 私もそろそろ熱が出そうな気配です。 「けっ、もういいよっ!」って感じですが、レポート書いてます。 1日分書くだけで時間がかかるー。 たいした文じゃ無いのにー。 しかしなんで皆しゃん、あんなに上手なんでしょう。 ホント、尊敬しますです。 じゃ、お休みなさいませ。 しかも、帰国便が早朝だったような? まいも、スペイン・フリーク時代にはお世話になりました>KLM。 カップラーメン出てくるのが、ツボでした。 機内食も、美味しかった(^^) しかし、スキポール空港のデカイことといったら・・・。 何度、迷子になったことか(涙) Pさんもおっしゃってますが、遅延、ホントに心配ですよね。 私の経験上なんですが、KLMは遅延多かったですじょ。 とは言っても、1時間程度ですが(^^;) 濃霧の為、成田行きが欠航ってこともありました。 空港近くのホテルで一泊でしたなぁ。 傑作なのは、接続便(成田行き!!)に置いて行かれたことでしょうか。 置き去りにされた日本人は、約100人!! 5時間の交渉の末、JALに乗って帰国しました。 本も買わずに。 りすさんどうも!親切丁寧であれば問い合わせしてみる価値はありそうですね。 よしよし。 ホテル選び大好きなので、あれやこれや検討してます。 1人旅なら、ナボナ広場付近のサンタキアラもいいなぁ、なんて見てます。 しかし、本に載っているロカルノの地図、場所全然違うところにぐりぐり印がついてる・・・。 Mさん、おぉ〜、パエストゥーム付近にお山ありですか!私はお山に興味なしですが、パエストゥームには興味有りなので、これもいいかも。 あぁ、これでまた振り出し状態かも。 早く大まかな計画たてなきゃ。 エアが押さえられん。 どうもありがとうございます。 たまらないうちにレスします。 さん >でもネクタイ1本変えただけで、結婚式も葬式もOKっておかしいと思いましぇん? 確かにそう言われるとおかしいと思います。 でも正直いって、そんな服で行ける人は簡単で楽でいいよね。 結婚式なんか何着るか、真剣に考えるからねぇ。 友人の時はいいんだけど親戚の時は頭痛いです。 それからお葬式は前もって分かり用がないから、 バックはどこにしまったか、スーツやコートの金ボタンにかぶせる黒いカバーは どこにやったかといつもあたふたしてしまう。 真夏のは最悪ですよね…。 そう思うとネクタイ一つでChangeできるなんて、へんだけど便利なシステムだと つくづく思います。 >さゆりさんのVideo 見たらどうしたらいいの? くちーなさんに渡せばいいのかしら? ご指示ください。 >熱かおなご きっと又色々と問題があるでしょうが、お疲れの出ないように。 いってらっしゃいませ。 >>AZ でしよね? が遅れなくて、ロスバゲなけりゃ・・・そりぇでも結構ギリギリでしな。 >KLMでし。 >ロスバケ。 それだけは避けたいでし。 って避けられるわけないか ロスバケはともかく、遅延とかした場合のことを頭に入れておいた方がいいにょでは・・・。 [5294] 寝すぎでねむれない。 澤田もとっとと予約しよ。 ここなら深夜についても場所わかってるし。 金庫、クローゼットの中にあったでし。 で、このクローゼットのバーがすごく高いの。 背伸びしても届かない。 よじ登ってハンガーかけてたでし。 身長は標準のつもりだが ドッチャは壁にバーが付いていて、上下にスライド後固定できてヴェーネでし。 ドライアーの風量も十分と同行者が申しておりやした。 KLMでし。 ロスバケ。 それだけは避けたいでし。 って避けられるわけないか やっぱ全部手荷物にするしかないか? せっかく買ったコロコロがぁぁぁぁぁ。 ヴェネツィア情報お待ちしております。 ではでは、いってらっしゃ〜い。 私達には、狭いし、シャワーしかないから、辛いわ〜」って 言われたじょ。 確かに、部屋狭い(笑)個人の家を改造してるからなぁ(^^;) 確かに、アメリカンタイプのホテルじゃないとダメ!っていう人には、 向かないでしな。 更に、全室小運河フロント!! 家族経営で、みんな親切なんですよ(^^)っていうのも、澤田さんも書いてますが、日本から直接ベネチア入りとなると、かなり遅くなるんですよね。 私は、国内線が2時間遅延した為、ヴェネチアに到着したのが11時過ぎてました。 更に、水上タクシーには、乗船拒否され(このホテルなら、サンマルコに近いから、シャトルに乗れと言われた・・・)何とか、無事に辿り着いた時には、夜中の1時近かったと思います。 フロントのお兄さん、私一人の為に待っててくれたんですよ〜(感動) もちろん、ミラノから電話は入れてあったのですが、初めてのイタリア&一人旅、おまけに雨降ってて、寒いし、人は居ないしで心細かったので、 ホテルとしては当たり前のことなのかもしれないけど、とても嬉しく思いました。 ガイドブックでは2つ星と記載されてますが、昨年4月の時点では3つ星になってました。 室内は、TV、冷蔵庫、ドライヤー、電話有り。 金庫は無し。 おそらく、全室シャワーのみだと思います。 それしか、イイトコ見付からない(笑) 数字もロクに言えなかった奴ら、イタリア人のパーサーが挨拶に来たときも 笑ってるだけだったなぁ〜(^^;) >れいお姉様 今日も、モンテナポレオーネにはコムスメ達が群がっているのでしょうか? 寒いのに、大変だなぁ〜。 れいさん&鯛子さんに処刑されること、は言うまでもありませぬ。 あと、最後の晩餐ネタですが、どのガイドブックも 2000年版には載ってると思いますじょ。 みんな、毎年同じ記載だと思ってるのかなぁ〜。 >Pさーん 今井美樹さんって、昔はスッチー目指してたんですよね? 私の大学時代の友人の、イタリア旅行ネタでもお話しませうか? ローマ@スペイン広場で、鞄を切られ、財布&ポーチ(以上全て、買ったばかりのプラダ)を盗られる。 翌日訪れたフィレンツェで、全て買い直したのもつかの間、駅の地下道で ジプシーにひったくられる! その後訪れた、ヴェネチアで、再度買いなおしたが、水上バスでまたもや スリに遭ってしまったという・・・(絶句) 保険請求したら、もの凄い金額が戻ってきたそうです。 やっぱり、4月からの料金は3月に発表なんですね〜。 ルチア駅で売ってるピザが最高に美味しい!って、高嶋忠夫夫妻が年末の TVで言ってたので、食べるじょ! んじゃ、ちと風呂入ってくるじょ。 そりぇにても表でも ^^に戻っていたなりが、、、 そろそろ仮面を脱ぎ捨てるですきゃ?うぴ。 にゃんともまぁ〜、幾らで売っていたのだろうきゃ?? 気になるでしゅ。。。 >もうご存じのようでしが、どうやら5月末になった模様。 秋葉原のお店にはってあったでし。 昨年12月にTVコマーシャル放送する予定だったそうでしゅ、、、AVANTIネタ、、、。 >>結婚式:儲かる!会費制かつ親戚などがご祝儀をたんまり持ってきましゅ。 >会費制の上にご祝儀! なんて良心的な。 う、うらやましいなり〜。 北海道国で披露宴したらどうでちゅきゃ?、、、 でも、遠方の知人には旅費を持つのが慣わしでもあったゃ、、、う〜ぷくぅ〜。 >会費制って、こっちだとカジュアルな2次会が多いでしよ〜。 こりぇももち会費制、、、主役分はもち只でぴ、、、。 うぴぴ。 いっぱい飲んでこよーーーっと。 うぴぴ。 澤田さん そのリスボナのホテル案内、ガセばっかでしな。 ぢつはリスボナはローマ広場から秘密の地下道かなんか持ってて、車で行けるとか 爆 、ホテル内のBARの名前がカジノだったりして・・ 大爆 >マルコポーロ空港着PM10:45 >サンマルコ行きの水上バスがPM11:05 AZ でしよね? が遅れなくて、ロスバゲなけりゃ・・・そりぇでも結構ギリギリでしな。 とっとととっちまったほうがいいでしね。 ま最悪バスに乗ってローマ広場から24時間営業の1番ヴァポレットでちんたらサンマルコ広場に行っても ば べーね でしょう。 で、リスボナ、そんなにひどい宿でし? スプレンディッドスイスは1泊23万リラ ツイン でしが。 今回ホテル探ししてきます、暇なので。 楽しみにしてます。 夜の部、帰宅できなくなったら日航関空 のりへいの部屋 がありますので、ご心配なく・・・でもシングルですけど・・・。 明日は出社してからそのまま行くので、10時近くになるかも。 遊びにいらっしゃる? Pしゃん >手が滑って命の赤いお水、枕にこぼしたなりきゃ? そんな、もったいない。 胃の中にこぼしても、枕にはこぼしましぇんっ!こぼしたのは、のりへいの真珠のような な み だ でし。 うぴぴ。 おさるかっぱ ALLA 武者小路さん(大謎) >関空発って事は関西圏のお客さんが多いんでしょうね? と思いきや、どっかの誰かさんが住んでる北のはずれとか、福岡の方も関空出発なんですわ。 関空出発はよりどりみどり。 もちろん、こてこての関西の方も多いです。 いっつもあのパワーには圧倒されてますが、根は『熱か女』なのでこっちも負けてないです、ははは。 メールお待ちしてます。 はっにーわさん ということで?2月ローマ襲撃大作戦第1回目、しょっぱなの1日から殴りこみに参ります。 1日はローマに一番早く着く鶴の飛行機で、18時15分到着予定でし。 して2日午後 3時以降になりそう 、3日の午後1時までとフリータイムがありまし。 両日とも、かへぐれこは開いてます チェック済み。 お時間ございましたら、お茶しませう。 キティちゃんはせんぷれ あちぇんどです。 で、インフルくんは退散しました?? でわでわ皆様、行って参りますぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! [5290] 今日も一日寝たおしてしもた。 この薬昔、結構長いこと使ってたでし。 季節の変わり目ごとにお顔が脱皮してたもんで。 肝臓大事にしないと。 ありがとうございました。 ビンゴでした。 でも録画し忘れたでし。 1ヵ月分くらい録画予約できるようにしてくれ>スカパー&チュウナーメーカ様 気を取りなおして調べたら再放送あるでし。 その上クラシックうといでし。 【スーパー・クラシックTV735】 2/1 PM8:00〜 歌劇「トスカ」 なんと、なんと、【ローマ市街より三元中継】 それも歴史的舞台からってあるでし。 どこからなんだろう? カヴァラドッシ テノール はプラシド・ドミンゴでし。 ちょっとしばらくバタバタしそうなんで。 その間にちゃくちゃくと蔵書ならぬ蔵ビ増やしておきますので。 今回はどことまるでしか? ヴェネツィア情報お待ちしております。 ってすれちがいかぁ。 ふふふ(同じくやる気まんまん)。 わかる澤田も澤田だが はじめてですよ。 」 澤「???」 お「私は1年で1冊パスボートを使うほどいろんな国を旅行しとるんですが。 」 ちなみにヴェネツィアは2度目らしい お「東ヨーロッパや発展途上国も行きましたが。 いや、ほんとにここはひどい。 」 って言われた宿なんでしが…。 澤田ヴェネツィアはここしか泊ったことないでし。 ついでに 「駐車場」って欄にもチェックあったでしが、これは絶対間違いだと思うでし。 本土側に持ってるのかぁ? で澤田のイタリア旅行でしが、 アムステルダム宿泊取りやめて、ヴェネツィアin再考中でし。 あそこはいろんな物が売ってるなり。 圧倒的に男の人が多くて、いつも疲れるなり。 ガイガーカウンターもあったよ。 疲れがたまっているのですね。 わたしもこの間熱を出しましたが 油断するとねつを出しやすいので、栄養と睡眠は十分にとってくださいね。 もうご存じのようでしが、どうやら5月末になった模様。 秋葉原のお店にはってあったでし。 12月、2月、5月と延期しまくってますにゃ〜。 いつも直前になって発表するんだから、もう。 >お土産 やっぱり日本っぽい物が喜ばれるのでしょうか? 着物柄とか、桜柄とか良さそうでしね。 お菓子なんかどうでしか? ポッキーとか、お煎餅とか、日本茶(お菓子じゃないけど)とか。 日本でおそらく一番メジャーなガイドブックがこの程度・・・ この本だけを頼りに海外に行ってた頃と比べると今はインターネットもあるし 便利な世の中になったにゃ〜。 >小さな子供が一緒なら、ツアーではなく、やはり個人旅行にすべきと思いますな。 >子供もかわいそうですな。 大人でさえ団体行動は難しいのに本当に子供のことも考えてあげて欲しいっす。 さん >黒いスーツ 若い人は普通のスーツで来ることも多いです。 おやじどもは黒のスーツでし。 >結婚式:儲かる!会費制かつ親戚などがご祝儀をたんまり持ってきましゅ。 会費制の上にご祝儀! なんて良心的な。 う、うらやましいなり〜。 会費制って、こっちだとカジュアルな2次会が多いでしよ〜。 ぐぐぐ、すいませ〜ん^^、やっぱり自我が、 人間臭さがある作品に惹かれるみたいです。 『うぴぴ菌』にそまっていれば助かったのに、、、うぴ。 あっ、独り言ですわ。 僕にゃんも同感! あと結婚式と葬式は北海道国でするのが一番ともいわれていましゅ。 結婚式:儲かる!会費制かつ親戚などがご祝儀をたんまり持ってきましゅ。 葬式:豪華! 誰もが祭儀場やお寺であげる! >慣れのせいか、ダークスーツ一色ってのは異様な気がする。 ちゅっー。 >ここ。 人気者ですね。 >今度は、ぜひ東北集会したですね。。。 もう「最後の晩餐」についてあれこれ書きこみたくない…。 『個人旅行』と『るるぶ』に完全予約制+電話番号の記載が、、、他のガイドについては また明日・・・。 >キケロっていうレストランにあまり入りたいと思わないわ、わたくし…。 >なんかあのおじ様って説教癖&愚痴癖があるみたいで、食欲が減退するの。 まだ「はしがき」部分しか読んでましぇんぎゃ、ざーーと目を通したところ、 これ誰?という人物の説明は一切ありましぇん。 (古代ローマ人物辞典を持っていれば問題なし) 内容を一言で言えば 「元首制とは?」 でしゅ。 具体的にはアウグストゥス帝〜ディオクレティアヌス帝まで(BC27〜DC238) 個々に彼らの政治について他の研究者の考えを説明しつつ論証し、元首制とは 一体どのようなものであったかを解明するというものでしゅ。 機会があれば実物お見せしましゅ。 今シーズン、グリーンベイがプレーオフに出られなかったのは ペイトンがなくなった週のシカゴとの試合で、残り数秒での フィールドゴールをシカゴのDTにペイトンが乗り移って 今までにないジャンプ力でブロックされて負けたのが原因とされていましゅ。 本当にじっくり見るようになったのはNHKのBSでレギュラーシーズン中継 をはじめたときからでしゅ。 あと、SBといえば、歴代のSBチャンプ同士を戦わせるというのも現在やっています。 >そもそもラムズってLAからいつ何処へ移ったの? 確か6年ほど前にセントルイスに移りましたでしゅ。 野球のチームと同名だったカージナルスは、現在アリゾナカージナルス (所在都市はフェニックスだったか?)といいましゅ。 >レイダーズってオークランドに戻ったの? そうでしゅ! これはラムズがSTLに移転する前年だったと思いましゅ。 LAは現在NFL空白地帯で、Why? の一つでしゅ。 >タイタンズがオイラーズだとわかったけど^^ 今シーズンからでしゅ。 ここは、確か4年ほど前にヒューストンから テネシーに移転して、現在はテネシーのナッシュビルが本拠地でしゅ。 >ジャガーズって、いつ出来たの? 95年シーズンからでしゅ。 この年もう1チーム、キャロライナ・パンサーズ というのが出来ました。 あと今シーズンからもう1チーム クリープランド・ブラウンズが増えて現在31チーム、2002年のシーズンには もう1チーム増える(ヒューストン[でも所属は多分NFC])ことになっていましゅ。 あっ、昔のクリーブランドは4年ほど前に「ボルチモア・レイプンス」となってしまい、 今年復活と相成りました。 (もうごちゃごちゃ) >バッカニアーズてまだタンパにあるの? そうでしゅ。 SBの優勝回数はダラスの方が多かったなりが、、、 (Dallas3回に対しGBはたったの1回、、、) ダラスは時代を超越したアメリカズチームということにゃのでしょうきゃ? >NFLのGOODなHPってない? う〜ん、僕にゃんがブックマークに入れているのは ニュース的にはESPNが一番早いと思いましゅ。 >でも、まだ顕著な症状はでていない。 Ciao a tutti! というわけで暇を見つけてレスつけとないととんでもない事になると 思い、がんばって書く事にいたしました。 私のボキャ貧で誤字脱字変換ミスだらけの稚拙なレポート… でも素直にありがとうございますとお礼申し上げておきますね。 でも私の文章力では香港の食の魅力は語れないほど、 中国系のお料理が好きな方には、食のワンダーランドですよ。 ただ台湾やシンガポールでは(大陸には行った事ないの…恥) そんなに外れるお店はないけれど、香港は高くてまずいところがいっぱいある へんな街ですから、食べる物には気を抜けません。 物を買う時と食べる時は、真剣勝負が求められるある種「こわい」街でも あります。 ありがとうございました。 遠目にみる限りは(あくまでも遠くからだけよ!)黒の軍団していて、 「おぉお出入りな感じ!」とノワール映画気分です。 あと強弱とリズム的に早い遅いを明らかにつけると 8声音に近く表現できますよ。 >子供スポット@香港 キティーちゃんレストランに続いてウルトラマンレストランが沙田に出来て お子様に超人気スポットになっているそうです。 今度肥仔をつれてご挑戦くださいませ。 そして増えた体重に悩む、海外旅行リバウンド現象の 私です。 とほほ。 お気をつけて!」 関空発って事は関西圏のお客さんが多いんでしょうね? ある種気の毒かと存じます。 すくなくともきつーーーいオバチャン軍団@関西地区あたらない事を祈っています。 お留守中に決定していると思うのでメール入れておきますね。 だれか行った事ありますか??? またいかなゃ行けない場所ができてしまった。 しかし、ツアー代金が45万・・・ イーサンさん、マケドニアはまだ行ってません。 ネレジ、クルビノォーボ、 オホリドなど行きたい場所は沢山。 後期のビサンティン美術の「職人」から「アーチスト」としての自我がでて きた作品が沢山あるそうです。 ただコソボの紛争で、難民の避難場所になっていた教会もあり、保存状態が 心配です。 ゆきおさん エクスメディア、結果的には使わなかったけどメールで問い合わせしたことは あります。 本も買わずに。 とても親切、丁寧に返事をくれました。 希望のホテルが満室だったので使わなかったのですが、あの会社に手数料を 取られるのかは聞きませんでした。 おおねこさん 東京にいらっしゃるの? アロマフレスカ、いったことないです。 先日テレビで永井美奈子がステーキが すっごく美味しいって紹介してました。 私のお勧めはアカーチェ。 詳細はまた。 れいさん 今シーズンはリメイクジーンズがブレイク中。 雑誌で見て可愛いと思った店を 片っ端から覗いていますが、どこも品薄。 ジーンズのすそにチロリアンテープや花の刺繍があったり、別の派手な布で すそにつけたしていたり、スパンコールがポケットについていたり。 自分で作っちゃおうかな。 (リスさん行きました?) イタリア・ルネッサンス美術の水脈(三元社)という 超マニアックな本で知っていらい、こ・これは、と 思っていたのですが、ビザンチンで行こう(東京書籍)で カラー写真を見て絶句。 これほどまでの作品が、何故マケドニアに?美術史の謎ですな・・・ う〜ん、テサロニケか、イスタンブールにも行った事ないしな〜 体が2つ欲し〜い。 ラベンナのモザイクからサンタチェチェリアのP・カバリーニまでぽっかり空いていた歴史の空白を遂に埋める事ができそうで 久々に興奮しています。 あと、そうだ!れいさんからのワインの話ですが パーカーの95点以上のワインとガンベロロッソの3グラスを 一緒にするのは、ちょっと無理があるな〜と思うのですが どうでしょうか? 95点って、まず滅多に付けない点数ですからやはり90点以上 と比較するのが、つりあいが取れると思うのですが・・・ すいません、生意気いって。 パーカーの90点以上のワインは、めちゃおいしいですよ、本当に。 湖水地方もいいですね。 ミラノから近いので移動も楽そうだし。 うぉ〜、悩む!ドロミテ、アオスタもなんか良さそうだし。 11日間の予定なんですが、今のところ、ローマ5泊、フィレンツェ2泊、お山2泊ってな感じです。 これくらいの緩さだったら大丈夫かな、と。 母と叔母はこの前行った時にスリ・ジプシーの注意を厳重にして、小金しかもたせず、大金は私が管理してたんです。 チケットとか何かを買うのは全て私、というようにしてたんですが、今度は父もいるから、その辺大変そうです。 ぼぉ〜っとしてるくせに、自分は大丈夫だと思っているので、お金も自分できっともつって言い張るだろうし、目を離すとすぐどっかに行きそうだし。 ふぅ〜。 じゃあ〜。 ちゅっー。 近くにあるアxxといい、アから始まる3大リストランテって 個人的に呼んでましたから^^ でも実は 東京ではフランス料理派なんです〜。 10は2001年春、11は2001年夏ってそこまで予定していたのか〜。 FF7、8が駄目駄目だったのですが、9は天野氏復帰、ファンタジー色濃しと言われるとなにやらふらふらと期待が…。 延期につぐ延期じゃないの。 久々って何故かというと、夫は外食となると日本料理を所望する…。 これはわたくしのつくる愛情料理が激まずなのと、イタリア駐在員って接待=イタ飯なので、普段となると、日本飯食いたい〜になるんだと思ふ…。 鯛子さん、お勧めの(だったよね)「da gaspare」に行ってまいりました。 激うま〜。 いける〜。 特にアンティパストの「海の幸いろいろよりどりみどり」がようございますね〜。 お返事お返事… おおねこさんへ おお、おおねこさん、表で最後の晩餐について優しくフォローしておりましたね?おりましたね? 相手も悪気はなかったと見える…(けど、日本のガイドブック見れば手取り足取り書いてあると思うのよね)。 >なんとなく体調が悪いまま、数日がたつ。 なんでしょう。 ゆっくりお休みできれば一番なんですけど…。 しゃんへ >>「最後の晩餐」 >『地球〜イタリア2000』が出ていたはずなりから、チェックしておくでぴ。 もう「最後の晩餐」についてあれこれ書きこみたくない…。 >またきゃい、、、どうして『キケロ』という名前にしにゃいんじゃい!! キケロっていうレストランにあまり入りたいと思わないわ、わたくし…。 なんかあのおじ様って説教癖&愚痴癖があるみたいで、食欲が減退するの。 のりへいさんへ >このプランツォですが、3600円でした 情報ありがとうございます。 安い安い。 >ただ聞きは、さりげなく聞いてくれてる分には全く問題ないでし。 お優しいお言葉ね〜。 わたくしとしては例のガイドブックに厳重抗議もおかしくないと思われますが。 はにわさんへ >ぴかちゅーの声やってる人、日本人だと思いません? ん〜。 わざわざ日本人を声優として起用するかな〜。 でも確かにアクセントがとっても日本っぽい…。 しかしそうすると、「ぴ〜か〜ちゅ〜」の台詞だけやっているわけ?わけ? >爪の垢ください。 飲ましちゃる。 もれなく説教癖がつきます。

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石井和彦・エッセー

来週の今頃には君はもうロンドンを発ってしまっているね 英語

ノー天気 平成17年11月17日(木) 帰国して漸く一月が経とうとしている。 でも、昨日までヨルダンにいたという感覚はすっかりなくなっている。 11月9日には、アンマンで三件の同時多発テロがあって、ヨルダン情勢もすっかり変わってしまったようであるが、それも一端離れてしまうと全くの他人事のように感じている。 全体として何事にも余り関心の湧かないノー天気な気分が続いている。 ひとつの大事な時間を無事乗り越えて、解放感、終息感が支配しているからだろう。 こうしてまた二年前と同じ失業状態に戻ったことになるが、あの当時のような追い込まれた感じとは、全く無縁である。 毎日が日曜日を、何の恐怖感もなく迎えて、のんびり過ごしている。 たまに、二年前のピンチの記録を読み返してみたりもするが、余り共感する意識は出てこない。 不思議なくらい平穏でノー天気な日々である。 この二年間で起こったことが、大変大きな役割を果たしてくれたせいなのだろうと理解している。 つまり、1000日の父の残りの時間処理が、最大の難点であったものが、その間の銀行問題をうまく切り抜けられたことで無事終わってしまったことで終了したことが大きいのだろう。 あの時点で、最大の懸案であった、末娘の大学卒業も、今年の春までに終わってしまっている。 今は、毎日文句も言わずに仕事にせいを出している姿を見ると、これが一番大きく変わった点なのだろうと思う。 妻の方も、ヨルダンで一緒に二年間を過ごして、この間の銀行問題もなんとかクリアできたと思うのか、あの当時の騒がしさはない。 こんな失業状態の私に対しても、かなり安定した心境のようである。 またJICA頼みの仕事が待っているという期待感さえもっていて、日々の活動にも大変協力的なのも様変わりである。 時間帯としても、ひとつのゴールである還暦までも、残り三ヶ月という秒読みに入っていることも、二年前の春とは違っているのだろう。 もうすぐ年金年齢に到達するのだから。 この二年間で、すべての環境が一変してしまったようである。 まさにJICA様様の二年間であったと言えるのだろう。 官の無駄遣いかもしれない外交資金による失業対策に救われたと言えるのだろう。 一番幸いなのは、私自身の心の持ちようがすっかり落ち着いたという点であろう。 あたかも、まだ現役のような感覚が戻っているのだから不思議だ。 JICA頼みでまだ未来があると信じられるようになった事が大きく働いている。 まさに一瞬にして、天からの恵みに合ったような感じである。 次回のシニアボランティアへの応募も済んでいる。 少なくとも、この結果が分かるまでは、この気分は続けることができる。 この二年間の蓄積で、この浪人時間帯の軍資金も貯まっているのも大きい。 家族に迷惑をかけないで、浪人時間を過ごせると思う自信は、いかにも大きい。 まさに銀行問題の悩みはどこへやらである。 代わりに登場しているのが、健康問題である。 こちらは時間と共に直実に進行しているのだから、自分では選べないといえば、その通りであるが、少しは自信があったはずなのが、この速さで進行されるとかなりぐらついて慌てているということになろうか。 二年前も、ノイローゼが体調に影響したのかな位に思っていたのだが、出発前の健康診断は、余り良くはなかった。 でも、ヨルダン赴任後のしばらくは、何の健康不安もなしにスタートした。 健康不安に気がつき始めたのは、一年ほど過ぎた頃からである。 朝の一瞬の心臓パクパクに突然気がついたのは通学バスの中でのことだった。 似た現象、多分同じ現象だと思うが現役時代の通勤時も、通勤電車の中で一瞬は起こっていたが、その頃は、時間も短いし、心臓パクパクという狭心症的自覚はなかった。 背中が張って、両腕が一瞬痺れるような数秒の現象だけで、それほど健康不安につながってはいなかった。 しかし、今回の自覚は、一日一回の狭心症として感じるものであった。 どうしてこうなったのかと疑問に思ってみていたが、やはり血圧の上昇が原因にあるようである。 これまでは最高血圧で120を超えることは余りなかったのが、一気に130台まで上がっている。 たまたま健康診断の時、午前中早く測るからかなと思っていたが、最近プールの血圧計などで測ってみると、いつも130台の血圧になっていそうなのが判明してきた。 やはり、この高血圧化がすべての現象であるようだ。 ヨルダンでの暴飲暴食、運動不足なども手伝って、こうした常態的血圧上昇につながってきたのだと思う。 循環器は大丈夫と思っていた過信が、誤解であったことになる。 いよいよこうした老人病、生活習慣病との戦いが始まったということになる。 もう銀行問題はいらない、次は健康問題の試合開始という常態に移っていそうである。 パラダイム・シフトである。 いったいどっちがより深刻なのだろう。 ノー天気でも、心老はつきない今日この頃である。 健康オタク 平成17年11月19日(土) うっかり気づかないでいたが、帰国後健康診断では大変な結果が出ていた。 肝機能の低下である。 三桁まで上がったら何とか対処しようと思っていたのが、一気に200を超えてしまったのだから、一大事である。 受け取ったばかりの時は、またいつもと同じように肝機能要注意が書いてあるだけだと思って、数字までは見ていなかった。 三井ビルクリニックでJICA応募書類の方に転記してもらいに出したら、再検査と書かれてしまったので大慌てという訳である。 慌てて、これまで続けてきた健康管理グラフにプロットしてみると、やはり急上昇で大慌てが続いている。 これに気がついた昨日から慌てて節酒開始である。 これにあわせて全体の健康チェックをしてみると、自覚異常に習慣病が進んでいるのが分かる。 まず高血圧である。 もう限界すれすれまで上がってきているのだ。 自分の頭の中にある110 mmHgという数字は40代の頃の数字で、よく見ると50代ではもう120台が普通になっている。 そして最近3年間は、すでに130台に突入しているという訳で、自覚が甘かったグラフになっている。 最低血圧の方も、頭の中では70台の数字であったが、とんでもない話でもはや限界すれすれの90台まで上がっているのだから、正に要注意である。 すべてが老人の成人病の数値に近づいているのを発見して唖然とした昨日、今日である。 そして同じようにコレステロールが高すぎるという全体悪化現象である。 決してもはや、何もしないでも健康であるという時代ではなくなったという事実だろう。 この事態を受けて、急に健康オタクに変身しなければ、というのが今日の大決心である。 とりあえず最大の肝機能回復運動では、昨日、おとといと2日間の節酒には成功している。 確かに、帰国後検診は覚悟の上の旅行中の暴飲暴食であったが、こうして如実にその結果に示されると、改めてドキッとする状況である。 ヨルダンで始まった一日一回の心臓パクパク症状も、結局はこうした生活習慣病の進行が原因で出てきたのだと思えば理解しやすい。 ひょっとして血圧が上がっているのかなという疑念はあったが、数字の事実としてここまで来ているという認識はなかった。 やはり血圧を下げなければ、この症状は減らないのだろう。 いまでも朝一度は起こる日の方が多い。 少しずつジョギングや水泳も再開しつつあるが、まだまだ試運転で昔のように勢いよくはいかない。 すこしおっかなびっくりの再開であるが、こうして健康オタクへの変身を決意すれば、もう少し思い切って元の状態に戻していってもいいのだろうという気もする。 確かに銀行問題より、健康問題の時代に移ったことになる。 1000日の父の終了で銀行問題は解決したとしよう。 少なくとも、こうしてまだJICAで働き続ける可能性を信じている間は、ノー天気に未来の銀行問題を放っておくことができる。 今回の応募の結果が判明するまでは、ノー天気OKのサインである。 代わっては、すべては健康問題にかかっているというパラダイムシフトである。 JICAの方での成否の心配も、こちらの方が先立つ。 ああして、応募診断書に再検査要と書かれたことが、何かの悪影響にならないかが心配となる。 こうした健康問題は、やがては最後の信仰問題につながっていくのだろう。 2年前の死神様との約束を、昨今はすっかり忘れたような傲慢な態度で目立っている。 この健康管理の失敗も、多分そんな驕りの表れなのだろう。 一度渡りかけた三途の河への道を、引き返してきたかのような傲慢な日々である。 「この人を見よ」という態度にさえ戻っている。 気分的には楽で結構なのだが、覚悟が間違っているのだろう。 やはり、死神様との対話はかかさずに覚悟の道を進んでいくべきなのだ。 お蔭様で、この2年間は、「生きて死ぬ」の実践に、少しずつ成功しつつある。 あれ程、恐れていた社会からの脱落も、徐々に完成しつつある。 恐れおののかなくても、自然体でこの世から離れていける環境を整えつつある。 この間に、母も姉も先立っている。 少しずつ安心して脱落できるようには、なりつつある。 これからは、覚悟の健康オタクを目指さなければならないのだろう。 もう少し信仰オタクの方へのパラダイムシフトにも目をやらなければならないのだ。 回顧と懐古 平成17年11月27日(日) ノー天気の日々は続いている。 三日前には、長姉の納骨式に行って来た。 その前に母の一周忌も終わった。 すべては過去になりつつある。 過ぎ去っていったのだ。 徐々に幕引きに向かっていることは確かだ。 この間に感慨はあるか。 これまでのことを振り返る時間はあるのか。 半生を回顧して何か思い当たる節はあるのか。 一人の人間には、ひとつの生き方しかないのだろうが、果たして自分のひとつの生き方は回顧するのに値するのだろうか。 これしかなかったのか。 もし、こうでなかったらどうなったのか。 別の人生を選べたのだろうか。 人より少し世界を広く見ることができたのは良かったのかと思ってはいるが、果たしてそうなのだろうか。 なんだか、この間に教わってきた価値観も、かなり偏ったものだったような気もする。 アメリカ文化、或いは西欧文化を強烈に叩き込まれたのかという気もする。 こうでない価値観、もう少しドメスチックな価値観だったらどうだったろうかとも思ってみる。 もう少し古い日本人らしく生きたらどうだったろうと思ってもみる。 でも、所詮は詮方のない回顧である。 リベラルとかフリーとか、今流行りの価値観を先取りしてきたのだから、流行や流れの方向には進んできたのだろう。 社会的不成功は、いたしかたのない事情なのだろう。 大学生活の失敗は、もう飽きるほど反省してきたのだから。 ここまできたら、その話はもう止めるしかない。 そこからは解放されているはずだ。 何とか見ぐあいして、子供が出来て、それを育てるという最低の条件は、クリアしてきたことになるのだから、半生としては成功としか言いようがないのだから。 その他の事情は、余りたいした問題ではないのだろう。 むしろ、自分を捨てないとか、自覚を迎合しないとか、そんな頑なさ、頑固さは自分でいつも良しとして続けてきたことなのだから、それもつべこべいう回顧ではない。 つまりどう回顧しても、懐古にもならない代わりに、厳しい反省にもならない。 今のこうしたノー天気がすべてなのだろう。 終わりを喜ぶしかないのだ。 順番に終わっていくのを喜ぶしかないのだろう。 時代は移り変わるだけである。 この頃、テレビで瀬戸内寂聴の女の一生をやっていた。 サブタイトルに「出家、生きて死ぬ」という字幕が出てきた。 「生きて死ぬ」とは、正に自分の唱えた最後と同じものである。 私の場合は、出家ではなくて、出国とか離国とかになるのだろうが、概念は同じである。 此岸と彼岸とか、連続してスムーズにつながっているという概念なのだろう。 静かに、出家するか、離国するかで、このまま死を体現するという意味では同じ行為なのだ。 これにはすっかり頷いてしまった。 私のこの最後への方向も、決して珍しい発想でもなくて、もともと仏教の教えていた概念なのだと思えるのは嬉しいことになる。 もう残りのレールは敷かれたということなのだろう。 とりあえずノー天気は、今度のJICA応募の結果が出る、12月の初めまでは続けることが出来る。 もしも、受からなかったらという不安もないではないが、まあ出てからパニックになろうとたかをくくっている。 二年前のあの焦燥はすっかり忘れさられている。 なんとか、もう少し必死にならないと罰でも当たりそうな気もしてくる。 油断大敵である。 世の中そんなに甘くはないよというささやきもないではない。 まあ、予断や想像であくせくしてもしょうがない。 せっかく、こんなにノー天気でいられる時間帯があるなら、それを楽しませてもらうしかない。 いつでもまたあの深刻さはぶり返すのだから。 「生きて死ぬ」を、さらに深く追求していくだけなのだろう。 変な日々である。 発表前夜 平成17年12月7日(水) いよいよ明日一次試験の結果の発表である。 通知が届くのは明後日になるのだろう。 これまでのノー天気もここで終わりである。 いまだに失敗は想像していない。 前回、最初の時に比べれば、格段自信のある身の上だと認識しているから、まさか落選はないだろうとたかをくくっている。 ヨルダンで一緒だったメンバーとの競争なら落ちるはずがないという自信である。 でも、試験なんて何が起こるか分からないのだ。 健康診断だけで落選かも知れないのだから。 そんな多少の不安は感じているが、今の所落ちたらどうしようという対策は何もしていない。 前回の薄氷を踏む思いはない。 厚い氷の上を悠々と歩いている気分でいる。 それも、今日までなのかもしれないのに。 やはり、こうした事情を支えているのは、銀行問題の解決である。 少なくとも、次の当選までの軍資金はあるという楽観論である。 前回のように、まったく無一文の時とは大違いである。 こうして銀行問題を抱えていない身分となると、まるで高校受験生か大学受験生と同じような環境にある。 予備校に備えて、次の勉強をするかといえば、なかなか発表が決着するまでは手につかない。 なんとはなしに、テレビでも見てぶらぶらするばかりである。 ここのところ少し寒くなって風邪気味で、咳がとまらないのをいいことに、あちらでごろり、こちらでごろりの感じである。 とりあえず受験生なら文句も言われまいという態である。 少なくとも、帰国してから一月半ばかり、もう休養十分と言えるのだろう。 そろそろ次に向かって動き出す時期が来ているのだろうから、明日の朗報を待つ準備はできている。 こんな本人の実績を評価してか、周囲の当たりも前回とは大分違う。 あれから3年、やはり1000日の父をクリアできたことは大きい。 実に貴重な3年間だったと言える。 その効果が、今回にもつながってくれと祈るばかりである。 死神様との約束も決して忘れたわけではない。 日々、いつでも用意はできていますとは祈っている。 ただ切迫感がない。 今度こそは本当に健康問題がトップに来ているのだから、事態はもっともっと差し迫っているはずではあるのだ。 ただ、1000日の父のような社会的呪縛から解かれている分、自分の事だけなら「後は野となれ山となれ」の開き直りさえあるのだろう。 相変わらずノー天気のまま、JICAからの返事を待とう。 何事も思うようにはならない 平成17年12月10日(土) JICAの一次試験の結果が来た。 残念ながら、第一志望のメキシコは落選で、第二志望のグループ・コーディネーターの方だけが残った。 結果としては厳しいものがある。 残ったグループ・コーディネーターは前回も、最も競争率の激しい要請項目だっただけに、今回もまだまだ予断を許さない結果になったのだろう。 前回は、この段階ではまだ両方共受かったことになっていたので、まあどちらかにはと思えたが、今回の結果では残り皮一枚という状況だろうか。 前回に比べればリピーターというアドバンテージがありそうではあるが、まだまだ不安は続く。 二次試験を頑張るしかない。 何とかTOEC900点クリアを目標に頑張るしかないのか。 三度目の受験の正直である。 希望の任地はトルコの大学ではあるが、こちらでは選べないのでシリアの可能性もかなり高い。 ヨルダンの隣の利を生かしてということになろうか。 ここまで来れば、どこでも行く覚悟で受かれば御の字とするしかないだろう。 家族もメキシコ落選の方に落胆の体である。 まあ、みんな自分の都合でしか考えないのだから、こちらの思惑とは関係のない所にいるのだろう。 みんながどう思うかは二の次である。 ただ、ひたすら働く場所を確保しなければ、の一念である。 とりあえず銀行問題だけは確保して、次の健康問題の深刻化を待つという計画なのだから。 ここでは、余り信仰問題は顔を出してこない。 全てを失敗した時の奥の手なのだろう。 折角始めたスペイン語の学習は、ここらでまた切り上げるしかない。 むしろ、来年のワールドカップ熱に合わせて、トルコ語とアラビア語の復活をするしかない。 余り目標のはっきりしない、グループコーディネーターとなると、一体何を準備するか見当がつかない。 すべての遊びの準備をするだけだ。 こうなると、テニス以外に、ゴルフも頭に入れていかなくてはならないかもしれない。 入れ歯の作り変えも急務になってきた。 二次の健康診断もある。 とりあえず次の12月20日の二次試験までは、忙しく動き回らねばならない。 一歩一歩つないでいくしかない。 一方で、もうすぐ還暦を迎えて、厚生年金保険の給付も始まるという。 こした環境は、3年前とは大分違った要素となって、あのパニック状態からは抜け出せたのだろう。 娘も、働き始めて、結構張り切って勤めているようなので、一安心である。 嘆きの1000日の父の姿はもうない。 つまり、銀行問題はさよなら、なのだ。 今日も娘達とテニスをした後の昼食は、私が胸を張って払うことが出来た。 3年前とは様変わりである。 JICA様々なのだ。 どこへ行かされようが文句は言えないという事情である。 まあ、こうした幸運を神に祈って行けるところまで頑張るばかりである。 まだまだ「この人を見よ」の自信の中での活動は続いているのだ。 健康問題の許す限りである。 生きる 平成17年12月16日(金) いよいよ最後のテーマになってきた。 なぜ生き続けるのか、というテーマである。 このところアルバムの整理をしていたら、この5〜6年で家族や友人に起こった不幸の記録が、アルバムに張られた写真にはっきりと出ていることに気がついた。 義姉、義父から、実母、実姉の死へと毎年続いてきている。 ひとりひとり消えていっているのである。 これに同年輩の友人達の死も重なっている。 身の周りが大分寂しくなってきたという事実である。 順番から言えば、そろそろ自分にも、もういつ自分に来てもおかしくはない時間帯に入っているという自覚はある。 日々の健康問題の自信のなさも、これを証拠付けている。 しかし、義父や実母は90歳まで生きたことを考えると、ひょっとしたら後30年も生きつづけなければならないことになる。 まあ、自分の健康から、そんなに長いことは考えなくてもいいとは思う。 しかし、たとえ後5年でも10年でも同じことであるが、どうやって生き続けていくのだろうと訝ってしまうこの頃である。 もう「生きて死ぬ」の論理は達成されつつあるように見受けるし、いつでもいいと準備は完了なのである。 社会的役割もほぼ完了している。 残されるのは、孤独の晩年の姿のみである。 余りいい見かけの生き方は残っていない。 ただ、死神様に祈って、時間をつないでいくだけだ。 ひたすら祈りのある晩年のみである。 心の問題はそれで済むのだろう。 しかし、この老体の処理の仕方が一番厄介である。 いつかは自然に崩壊していくのだろうが、一日一日はなかなか進まない。 飯は食わねばならないし、酒は飲まなければならない。 そして、やがて医者にかかって、ベッドにくぎ付けになってと、ゆっくりと静かに進行していくのだろう。 それは実に長い工程になるのだろう。 その間、何を思い、何をして生きていくのか。 そこが問題である。 余り人は巻き込めない。 ただ、妻も同じような状況だから、ここは否応なくお互いが巻き込まれる世界がある。 このぐじゃぐじゃの関係をずるずると引きずって、どこにでもある見苦しい晩年を作りあげていくのだろうか。 念願になっているはずのホームページの作成も、今ひとつ身が入らない。 何故だろう。 創作意欲がほとんどなくなってしまっているのだろう。 もう何か理解しなければならないという問題意識はなくなってしまっているからだろう。 世の中のままならないのは、こうした出家人間のかかわることではないし、死の対する不安についても、もう勉強し終わった感じである。 まだ「生きとし生けるもの」に対する愛情や憐憫というのにはつながっていない問題は残っているのだが。 信仰問題は、いまだ未完には違いない。 多分、ここが唯一のやることとして残っているのだろう。 「生きとし生けるもの」への共感と人類愛とでもいうものだろうか。 そんなものの探求は残っているのだろう。 この肉体をどうしようかという問題は、今や健康問題として急務として上がってきている。 こちらの方は、実質的にこれからJICA試験が受かるかどうかという、最後以前の一仕事の一部として日々気になるところである。 晩年を迎えての身辺整理も同じような命題である。 本を片付けなければならないのだ。 残りの時間と残りの本の量を比べると、時間の方が足りないのかもしれない。 これも健康問題次第ではあるが、このところの体調の悪さから見れば、なかなか片付かない状況ではある。 JICAの二次試験は、後4日後である。 もし、今日みたいな体調だったらという不安が増している。 血圧が急に上がってきたことが原因であるとは思うが、何故そうなってきたかは掴めていない。 暴飲暴食の結果には違いない。 加齢現象も気にせずに、食い意地にまかせて行動していた生活習慣の結果ではある。 この問題でも、やっぱり、ここまできていまさら何を、という思いがあるから、比較的投げやりである。 余り、真剣に対処しなければという準備がないのが辛いところである。 もう、ケセラセラ、なるようになれという心境であるから、ちょっとこれまでの対処法では当たれない。 こんなやる気のない状態での、「生き続ける」がどうなっていくのかという新しいテーマである。 確かに、ここ数年で起こってきた事件は、否応もなくパラダイムシフトを迫ってきている。 それを、どんな新しい発想で処理できるのかが、そこで躓いているのだろう。 気力、体力、我慢の衰えをどんなものでカバーしていこうとしているかが見えないのだ。 スローライフのスピードが、どの程度が適当な速さかが見えないのだ。 枯れ木の案山子よろしく、外見だけで中身はぼろぼろと隠して生きるか、身も心もぼろをまとって姥捨て山で過ごすか、何かの選択が迫られているのだろう。 こんなところまで来て、心はちじに乱れるのだ。 というより、岐路に立ってどぎまぎと戸惑っているだけなのだ。 老人のうろうろ徘徊の始まりである。 受験戦争 平成17年12月21日(水) この時間帯の山場は終わった。 JICAの二次試験が、可もなく不可もなく無事に終わった。 TOECは、進行が速過ぎてついていけない。 前回の方がきっといい点になるのだろう。 結局、生涯900点の大台には乗せられなかったという結果だ。 これからは益々反応が鈍くなって、あのテンポの速さについていけなくなっていくことだろう。 余り緊張すると、血圧の上がるのも心配になってきているのだ。 面接の方は、なんと言ってもリピーターの地の利があって、何でもかんでもしゃべりまくった感じである。 他の人の時間に比較すると、大分短かったような気もするが、果たしてそれがいいのか悪いのか。 案の定トルコではなくて、シリアでもいいのかという質問があった。 これは、いけるところがあればどこでもという所だから、最低シリアには行けるのかもしれない。 家内の不機嫌は覚悟しなくてはなるまい。 それはそれで生きていくという努力とは比較はできないのだろう。 すべて覚悟の上の老後なのだから。 特に、今度からは1000日の父も終わっているから、まさに自由気ままな老後のお遊びという話になってしまうのかもしれない。 死場を求めての気楽な行脚の旅である。 危険や事故に対する不安さえ余りない。 とりあえず無事に終わったことだけで良しとしなくては。 後は運を天にまかせてである。 来週初めに、なんとか健康診断書を発送したいものである。 こうして最大の関門を無事通過できたのも、心配された歯の問題が恐れたようにはならなかったからだ。 この日までに、残りのぐらぐらの前歯が抜けてしまうかもしれない、入れ歯を使えなくなるかもしれないという心配があった。 それも何とか、みっともないのはしかたがないとしても、話を出来ない状態にはならなかった。 この山場の面接が終わったのを機に、今日は歯医者に通い始めた。 新しい担当の医師は、ほんとに威勢のいいおばさんで、何と今日のうちに残りの6本の歯を全部抜いてしまった。 3時間もかかる大治療、いや大手術の態であった。 長い時間と痛さで思わず涙を流したものである。 まさに歯の治療も、死に至る病のひとつであろう。 これで完全に歯痛の心配はなくなった。 もう抜かれる心配は無用である。 これで還暦を迎えるまでに新しい入れ歯の出来る見通しもついた。 相当大胆なやり方ではあるが、こんなものは余り時間をかけない方がいいのだろう。 きっと、こうした病院を選んで成功なのだろうと思う。 しかし、3時間も病室の中にいたきりだと、やはりこれから先に来るだろう病院生活が思いやられて、なんとも辛い思いをしたものだ。 痛さよりも、こうした最後の場面を思い浮かべる悲哀が、涙につながったのかもしれない。 日めくりは、後戻りできないの理である。 いよいよ時間ですよ、の新しいページを垣間見た一日である。 これで、歯医者通いも結構忙しくなりそうで、さあここから年末大掃除でもと思っていたのも、ちょっと出鼻をくじかれた感がある。 まあ、次の場面展開に向けて踏まなければならない一歩をまた踏み出したというだけなのかもしれない。 生きている限り、こうした日々の展開は続く。 ただ徐々に場面が病院や養老院という場所に移っていっているだけなのだろう。 くわばらくわばら、である。 医学の進歩 平成17年12月30日(金) 健康オタクとしての関心は、今血圧と入れ歯にある。 血圧の方は、手首型血圧計を手に入れて毎日計測し始めた。 これから何か手がかりがつかめてくるだろう。 もうひとつのテーマの入れ歯の話である。 これは、40歳以降いつも私の健康にとっては頭の痛い問題として続いてきた。 遺伝性の糖尿病と歯槽膿漏の可能性である。 ジョギングを続けてきたこともあって、歯はそれ以降次々と腐って抜かれていった。 ヨルダンに出かける前は、前歯3本と右下奥歯2本を残すのみとなっていた。 なんとか2年もってくれと祈りながらの生活であったが、幸いグラグラになりながらも、2年間は現地の歯医者にかからずに済んだ。 その意味では、出かける前に作った入れ歯は成功であった。 しかし、前歯3本がどんどん前に出てきて、漫画のバガボンのパパ現象は進行していき、いかにも老人の歯となって、写真を撮る度に恥ずかしい思いを新たにしてきた。 ヨルダンでの写真は、この最後の歯の残骸を見る思い出、いつも寂しく眺めなければならない。 妻に馬鹿にされる由来でもあった。 そうして今回いよいよ最後の入れ歯作りを開始した。 歯のない状態でJICAの面接には行けないと思い、12月20日(火)までは我慢していたが、終わって翌日さっそく歯医者に向かった。 しかし、抜く方はすばやいもので、こちらの未練には関係なく、その日のうちに残りの歯をすべて抜かれてしまった。 いよいよ歯のない老境が始まったのである。 これで、入れ歯が出来るまで当分は不自由しなければならないと覚悟の通院ではあった。 案の定これまでの入れ歯では、ほとんど食事の出来ない状態になった。 しかし、ここは偉いもので、こうしたこちらの不安は、簡単に払拭されていったのである。 医学の進歩とはという驚きのこの頃なのだ。 まず、歯が抜けた日には、これまでの入れ歯にちゃんと抜けた部分の歯が付け加えられたのである。 前歯がなくなったら人に見られるのはまずいから、当分外に出られないと覚悟はしていたのが、その見かけの心配は初めからなくなった。 笑っても、むしろ前のほんとの歯より見かけのいい歯がついているのだ。 これは第一の驚きであった。 それでも、その入れ歯では、上歯がほとんど上顎にくっついていなくで、口を開ければすぐ落ちてくる。 接着剤もほとんど効かない。 食事をするのに、手で上歯を抑えておいて食べ物を口に運ばないと、誤って入れ歯と上顎の間に食べ物が入って、どうしようもなくなる。 これは困ったと一週間ほど悲しんでいた。 そして年末最後に通院して、この窮状を訴えたら、すぐに分かりましたと上の入れ歯の奥行きを広く直してくれたのである。 これですべてが一件落着の態である。 接着剤がうまく効きだして、あの不自由はどこへやらになったのである。 このすばやさには驚いた。 自分の見ている前で自分の入れ歯が出来てくるなんて、ほとんど想像していなかった。 多分数年前までなら出来なかったことなのだろう。 これにはすっかり感心、感謝感激雨あられである。 うれしくなって、食い欲だけはさらに百倍の様である。 捨てる神ありゃ拾う神ありで、進歩したものであると妙に感じ入っているこの頃である。 ほんとに助かった。 想像していた入れ歯作戦から見ると驚くほど簡単に進んでいる。 ほんとに覚悟の老後が、かくも楽になりつつあるのか。 ひょっとしたら長生きも可能かもしれないなどとさえ思い始めたりしている。 すべてサイボーグになっても、やっぱり生き続けるような話は夢ではない時代なのかもしれないのだ。 ロボットと長生き比べを出来るかもしれないのである。 変なところで医学の進歩に脱帽である。 こうして健康オタクの方は順調に船出している感じである。 今年も後2日を残すばかりとなり、3年ぶりのお正月を迎えようとしている。 JICAの方は、毎日神頼みでひたすら待つばかりである。 もしも、落ちたら、の不安はいつでも付きまとっているが、分かるまでは信じ続けていくしかない。 不安は不安で味わっていくしかない。 とりあえず、その時の準備は余りない。 衝撃が大きいかもしれないが。 こうした時間帯の一番厳しいのが、相変わらず愚や愚や汝の問題である。 なかなか静かに放っておいてはくれない。 次々と責めてくるから、何とか身を隠すことにせいを出さなければという事態は続く。 これも老後の宿命と諦めるしか手はなさそうだ。 こんな狭い家に二人で居るのだから。 なかなか主婦の論理には追いつかない。 イスラム教の学習も、ろくな本がなくて、無駄に読書を重ねるだけである。 やっぱり皮相な文化としか見えていない。 書く方も書く方で、みんな外見の描写しかないのが不思議だ。 それ以外に深まらないというのは、つまり、結局外面規範宗教でしかないという結論なのだろう。 これは追いかけても、余り実りのない学習にしかならなそうだ。 コンピューターの勉強の方がまだましかもしれない気がしてきている。 音楽の学習の方が楽しみが多いと見えて、だんだんそちらに傾倒していく日々である。 リズムとは何ぞやである。 この年でよくやるものだ。 感心、感心。 よいお正月を。 2006年 三年ぶりのお正月 平成18年1月1日(日) 久しぶりにお節料理をご馳走になった。 娘の作ったお節料理である。 妻のお節とはまた違う教室で習ったきれいなお節料理である。 お陰で、大晦日はてんやわんやで、ゆっくり紅白歌合戦も見ていられなかった。 長女と三女は、海外旅行に出て留守である。 妻のお母さんも呼んで、4人でほとんど真夜中、年が明ける時間になって、やっと夕食にありつけた。 たっぷり時間がありすぎて、ついついお酒を飲みすぎてしまった。 健康オタクとしては大失敗である。 今朝起きたら、ちょっとした二日酔いであった。 もう新年の朝を迎えても特に感動はない。 とうとう2006年までも生きてきたかという程度である。 一年の計画も特にない。 ただ、健康に気をつけて、行けるところまでいくという程度である。 一応近所の氷川神社に初詣には行ってみた。 ただ健康と無事を祈るばかりである。 ついでに受験の合格祈願までしてきた。 全くのご利益宗教である。 信心などないのだ。 ちょうど今法然、親鸞の宗教改革の話を読んでいるところだ。 さすがに日本の話だけに良く分かる。 一方でイスラム教研究は、余り進まない。 というより、余りに違いすぎる宗教ということが分かるにつれて、興味はどんどん減っていくというありさまである。 キリスト教に見てきたような視点は、どこからも得られない。 ただ外面規範宗教として嫌気を誘うだけである。 おおよそ、こちらの概念にある宗教とは異質なものだ。 余り学んでもご利益はありそうにないという結論である。 ひたすら趣味の探求と、健康管理の日々になるのだろう。 テレビのスポーツ観戦も、三年振りでし三昧である。 新年の駅伝のオンパレードだ。 二年間のブランクはあっても、余り情報不足とはなっていない。 歌や芸能番組は、全く情報不足でとんちんかんとなっているが、スポーツの方はそれほど変わっている訳ではなさそうだ。 話はだいたい通じる。 世間の普通の社会生活が大分縁遠くはなっている。 つまり、社会から引退しているという実感ではある。 これまでのような帰属感はもてない。 どこか遠くの生活のように見える。 こちら側は老後の被阻害者生活なのだろう。 なかなか環境というのは難しいものだ。 サラリーマン引退後というのは、男にとっては景色がすっかり変わってしまってまごつくが、妻の方はそうした急変がないだけに楽な様子である。 昨日までと変わらない台所生活を続けることができるのだ。 こちらは一日中家の中で暮らす生活様式にはなじんでない。 どうしても違和感が残る。 急変感がつきまとうのである。 やはり、何か活動することを見つけて外に出ることを続けるしかないのだろう。 なかなか難しい命題である。 とりあえず、後3週間はJICAの受験結果待ちの不安な日々を送っていくしかない。 その後のことは、今のところ何の予定も立たない。 良い結果報告を待つばかりである。 三年振りの新年も大分様子を変えつつあるのだ。 i-Pod 平成18年1月9日(月) 今日は成人の日で三連休の最後の日になる。 成人の日は一月十五日と馴染んで育った者には、あまりピンとこない成人の日ではある。 我が家も、もやは成人の日とは縁のない世界に移っているから、休めさえすればいいのだろうが。 そんな三連休は、再びパソコンのOS入れ替えに終始した。 長い道のりであった。 動機は、すでに何度も試しているとおり、これまで使ってきたMS Windows 2000 ProfessionalというOSがどうしてもエラーが出てうまく立ち上がらないし、うまく動作しないで、毎回エラーを引きずりながら作業をしていらいらが募っていたためである。 そろそろやけくそ気味になっていて、少し冒険してもいいという気になっていた。 これまでは、安全を先にと思って、このノートパソコンに付属しているリカバリーパックを使ってWindows 2000のリカバリーを優先してきたが、どうしてもエラーは消えない。 そして、今回挑戦していたのが、娘にもらったMac i-Podという新しい携帯音楽機器に音楽を取り込もうという作業であった。 ところが、この作業に必要なi-Tunesというソフトをインターネットからダウンロードする必要に迫られた。 この作業はWindows 2000というOSでは、どうしてもうまく動かないのである。 新しいサービスパックを使ってアップデートしてみたり、いろいろ試みたがどうにもうまくいかない。 とうとう業を煮やして、えいっ一気にWindows XPに変えてやろうという賭けに出た。 ヨルダンでもらったWindows XPのCDをいつか試してみようというのが、ついに実現したのである。 しかし、日本語版はうまく動かず。 英語版はうまく動いた。 Windows 2000に比べると、かなり安定がよさそうである。 ところが、うまくいったのはすべて英語版の入力である。 やっぱり、MS WordでもExcelでも日本語入力ができないとなんとも不便である。 そして最後に娘の日本語版Windows XPを借りて、漸く日本語XPのOSまで辿りつく。 この作業を繰り返すだけで、丸々二日間を要して、目も頭も肩もくたくたの態である。 疲れた疲れた。 しかし、これでもまだまだ問題は尽きない。 ひょっとしたら、このOS CDはWindows XPのお試し品で、一ヶ月の期間限定の恐れがあるのだ。 外付けのDVD装置がうまく動かない。 日記のフロッピーが蹴られてしまう。 何ひとつ思い通りには進まないのだ。 ただし、念願のi-Tunesのダウンロードには成功した。 いよいよi-Podが使えそうになったきたのである。 長い道のりである。 OSとしても大分安定しているように見える。 ただ、多少重くて遅くなるのは否めないが、Windows 2000でも決して速いとは言えないCPUだったので、この点は多分我慢できるのだろう。 ひとつの大きな革命を迎えたのかもしれない。 清水の舞台から飛び降りて成功したのかもしれない。 御節三昧のお正月気分も漸く終わりつつある。 また、普通の日常が戻ってきた。 それとともに、ひたすら待つ身の辛さも蘇っている。 もう後二週間の運命にまで辿りついてはいる。 ただ、蜘蛛の糸1本の命綱だから、まことに心細い。 もし駄目だったらの不安は消えない。 これも後数日の我慢ではある。 蓋が開いたら、そこからまた出直すしかない。 三年前のあの苦しみを思い出せば、何事もそう大変には思えない。 ただ、やっぱり同じ境遇にはあるのだから、同じテーマの恐れとおののきが再燃する可能性はいくらでもある。 開き直ったといっても、何からも解放されている訳でもない。 ただ、健康問題も進んできている分だけ、諦めは進んでいるのかもしれない。 少しは仏教改革の話も読んでみてはいるが、頭の知識集積でしかない。 心の安らぎにはつながらない。 心老が募るばかりである。 かなり急な速さで坂を駆け下りている感じになっている。 妻の方はそれほどでもないのだろう。 従来からの生活スタイルが特に変わったわけでもないところが強い。 旦那が働いていようが、いまいが、生活苦がない限りは同じような日常が続くのだ。 これは得である。 夫の代わりに子供たちが、毎朝働きに出る光景は、これまでと何も変わっていない日々を与えてくれる。 日々の時間割も変わらない。 旦那の方の失業状態とは大分違う。 老いのスピードの違いもこうした環境変化への適応力の違いとも関係するのだろう。 こちらは毎日の朝のテレビのつまらなさだけでも腹を立ててみる。 妻の方は、まったく逆だ。 自分が従来から慣れ親しんだテレビ番組で一日を組み立てられる。 なかなかこのギャップは埋まらない。 やはり用済みの粗大ごみという比喩は当たっているのだろうと思うしかない。 こうした馬鹿げた僻みだけが募る日々でもあるのだ。 早く結果が出て次の2年の過ごし方が決まらないことには。 健康問題、心老問題、みんな時間との競争になってきている。 内面探求難 平成18年1月18日(水) ひたすら待つ身の辛さ。 身の置き所の難しい身の上である。 三年前と同じような立場ではあるが、気分はまったくの楽勝である。 もしも駄目だったらの不安は多少あるが、この前とは大分違う。 絶望感は全然ない。 ただフランス語、イスラム教、パソコンの学習に終始するだけである。 依然として社会とのつながりがある前提での行動である。 もう世を捨てた身の上であるはずであるが、銀行問題だけではつながっているのだろう。 生きて死ぬという目標は、大分達成されているのだろうと思うが、なかなか回りは許してはくれない。 回りと言っても家族、あるいは妻だけであるが、放っておいてはくれない。 自分の時間潰しの相手が要るのだろうが、やはり少しは厄介に感じる。 これにいらだって日々を暮らすという情けない状態ではある。 ひたすら待つ間はしようがないのだろうが、その後どうするのかは難しい。 こんな生活苦でうろうろしているのは情けないが、それもこれも生活苦、飯を食わねば生きていけないという人間の業にさいなまれているのだろう。 その飯を握られている間は、なんとしても逃げられはしない。 本来なら、今こそ自分の内面の探求をしなければならないのだが、そんな方向にはまったく向かえないでいる。 というより、何も探求されるような内面がないかのような状態である。 これまでは生活苦から逃れるための内面逃避があっただけなのかもしれない。 こうして平和が達成されそうな環境ができつつあっても、実はそれを求める対象がないという話になると、まったくの漫画ということになる。 完全に内面が俗化されていると事実だろうか。 心の平和を求めてきたはずなのが、最後に悩まされるのが妻の老後だけという話になるのは何とも情けない。 まだまだ社会生活が続くという事態であろう。 或いは、老後にとってこの環境が一番悪いということを意味しているのかもしれない。 こんな狭い部屋にすることもなく向かい合っていると、どうしても性格のぶつかり合いしか残っていないのだ。 大人二人だけで暮らすのはいかに難しいかである。 結婚して、もし子供がいなかったらと思うとぞっとする事実だ。 そんなぞっとする時代が、いまや事実となって目の前にあるのかもしれない。 こんなに年とっても性格は変われないのだから、いつでも来るものは来るということなのだろう。 とにかく困ったものだ。 健康問題から信仰問題へが課題であるが、もっぱら健康問題の方である。 こちらは物理的な問題であるからタックルしやすい。 こちらの血圧問題は、少しずつ実態が掴めかかってはくる。 こうして毎日観察しているのだから、こちらは進むのだろう。 自分の体は、自分が一番分かるという訳であろう。 なんとか運動と食事療法で血圧を下げる対策である。 少しずつは成果が上がりつつあると見たい。 水泳が一番効果的な運動とみられるが、この寒さでなかなか実践できないでいる。 入れ歯の治療も水泳ができない理由になっている。 歯が一本もなくなって、接着剤だけで着ける入れ歯は、水の中では浮いて外れてしまうのだ。 これは問題である。 新しい入れ歯ができるまではほんとに泳げるようになるかどうか分からない。 次のテーマである。 こちらの物理的健康問題も、何とか社会的生き残り運動としての活動である。 健康問題の深刻化に伴って、信仰問題に移っていかなければならないのだが、ほとんど深刻化していかない。 もう用意ができているという前提なのだ。 もう少し、「生きとし生けるもの」の問題としての捉え方が足りないのだ。 自分の身の回りしかがテーマにならない狭さがある。 これもまた情けない話である。 なかなか思うようにはいかない。 ただただ待つ身の辛さのみである。 それもこれも、後一週間の命なのだ。 ストレス 平成18年1月23日(月) 待つ身もいよいよ後残すところ二日となった。 こう近づいてくると、本格的ストレスがかかってくる。 こんな風に目前に迫った危険におののいて感じるストレスは久しぶりである。 ストレスとはこんなものだったのか、という記憶再現である。 いてもたってもいられないという心境なのだ。 やはり「失敗」に対する備えがないという不安である。 駄目だったらどうしようという不安に苛まれるというストレスである。 どうしようもないとは分かっていても、不安は隠せない。 駄目だったらまた一から出直しだと分かっているはずでも、その時に狼狽を想像して悩むのである。 今更、なんでうろたえるのかという覚めた目もないではないが、まだまだどうしても先を約束されて生きたいという社会的欲求を捨てきれないということなのだろう。 やはり、社会に帰属していたい、家族の一員でいたいという欲求から離れられのだ。 というより、これまで生きてきたやり方、つまり自分のしたいことをする、或いは本当の自分の探求をしたければ、姿をくらますために社会に埋没するしかないという方法論の踏襲である。 身についた方法は、今更変えることができないという訳だ。 社会に帰属して、誰にも指刺されないような体制を整えないと安心して本当の自分にはなれないという前提である。 しかし、こうしてもうそれもせずに済むはずの時代が来ているはずであるが、やはり其処から抜け出せない。 逆に、本当に自分のしたいはずのこと、自分の探求なるもの、そんなものがもうどこにも無いのかもしれないという現象である。 ただただ自分が彼岸に渡る準備だけは整えたと思っているだけで、渡航時間をひたすら待つだけの身の上のように感じ始めているのだ。 例の「もういい、もう沢山だ」の感情が先行しているのだ。 その時が来るまでは、やはり最後まで社会に帰属して身を潜めるしか手がないかのようである。 つまり、自分の中にも他人の中にも、もはや何も隠されたものはないという諦めであろうか。 銀行、健康、信仰の三命題が、社会的な活動として残っているだけ、という今までの延長でしかないという次第である。 だから、土壇場に来て、やはりこれまでと同じストレスを感じているのだ。 全く社会生活から離れていない。 イスラム教を勉強してみたり、禅の学習をしてもたりしても、すべてはこの先の社会的生活を想定しての話である。 その前提となる社会的生活がないとしたら、という不安に苛まれるのだ。 やはり、不用の長物とみなされる不如意生活は耐えられないという事情があるのだろう。 周囲の目というやつである。 勿論、これまでよりはずっと簡単にはなっている。 明日成仏しても誰にも文句を言われないところまでは来ているはずである。 問題は、こちらの側にあるのだ。 まだまだ見られているという感情が残っているのであろう。 この自己の誤謬、これを心身正さないと、いつまでたってもこのストレスの犠牲にならなければならない。 半合格 平成18年1月25日(水) 来るべきものが来た。 もう待つ身の辛さからは解放された。 ただ結果は怖れていた方の内容だった。 シリアのコーディネーターで、派遣期間は1年間である。 すべてが中途半端の結果になった。 それでも落ちなかったことを喜ぶしかない。 妻も覚悟は出来ていたようである。 何とか納得しているようだ。 まずまずの結果として喜ぶべきだろう。 慣れによって、大分贅沢になっているようだ。 一回目の藁をも掴むような解放感とは少し違っている。 なんとかつないだかという感じである。 それでも、これでいよいよ老後の一年目の職は得たことになるのだから、まずまずとしよう。 ヨルダンからシリアへ、なんとも皮肉な流れではあるが、あまりいい思い出のないシリアだから、少々複雑な思いではある。 ひょっとしたら、シリアで命を終えるかもしれないと思ったこともあるのだから、そんな意味では因縁の場所になるのかもしれない。 今回は、初めから作戦の失敗の一言に尽きる。 コーディネーターなど選択したのが、すべての間違いの元である。 黙って普通の技術職にでも応募していればと、作戦ミスを悔やんでみる。 日本語教育の世界に飛び出して、そこの実態を見た時と似たような失敗感がある。 やはり分野や世界が違いすぎて、そこにはそこの激しい競争が待っていたということになるのだろう。 それでも、二本に一本の確率に残れたことは良しとするしかない。 本命のトルコの方は、またやっぱり70倍もの競争があったのだろう。 前回、三年前と全く同じ結果になったのである。 そしてその逃げ場がヨルダンからシリアに変わっただけである。 そして任期は一年、ほとんど同じような場所なのだから、こんなもので十分なのかもしれない。 とりあえず、ヨルダンからシリアへとアラブ圏を巡ってJICAは終わりなのかもしれない。 3年ほど頑張らせてもらったということになろうか。 国民事業としての機会配分の論理から言えば、こんなもので良しとするしかないのだろう。 これから団塊の世代の激しい競争が繰り返されるのだろうから。 なかなかうまい生き所などないのである。 姥捨ての道が残っているだけなのだから。 やはり、テーマは信仰への道ということになろうか。 銀行を卒業して信仰へという最後の道である。 少なくとも待つ身の不安が終わるのは大きい。 行き先はどこでも、この地を離れるのは、生きて死ぬの実現を続けていることになる。 鈴木大拙の禅の研究でも同じようなことを教えていそうだから、こうしてひとりで淡々と歩いていくしかないのだろう。 梵我一如の道である。 こうした都会にいるよりは、外国の田舎にでもいる方が、自然と交わる機会が多そうだからである。 静かにそんな道を歩くための一年が準備できたことに感謝しよう。 後一年は次を考える余裕が出来たことを喜ぼう。 当面の不安は去ったである。 なかなか試練の道は遠い。 鈴木大拙の文化周圏論 平成18年1月27日(金) 禅などは何とも難しい。 よくぞこんなものを考え出したものだと感心するばかりではある。 こういう方法論が、本当に可能かどうか理解できるとは思えない。 まあ、すべては解釈の仕方しだいではあるのだろうが。 つまりは梵我一如ということなのであろうが、それを具体的に実行するというのは、確かに難しいというか不可能なことなのだろうと思う。 既成概念のすべては邪魔物であるという所は、確かにその通りだろうと思う。 その既成概念のすべてを離れて、無一物の世界から再出発する。 つまりは赤子のように何もインプットされていない状態に立ち返れということなのだろう。 自然と一体になれる状態、つまり生まれたばかりの状態で、自然の只中に立つというか、自然という母の胸に懐かれる状態を作りだそうという試みであろう。 しかし、本当にそんなことが可能だろうか。 素朴さの獲得ということに近いのかもしれない。 誰かの言った最も素朴な農民が救われるというような話と似ている。 雑念、欲望、煩悩、そんな世間の汚れを身につけない人、それが望まれているだろう。 それが、人間の元々の姿としての「無」と言われるものだということなのか。 しかし、ひとたび穢れた凡人が、そうした汚れの全てを断ち切って無垢の状態に到れるのか、その道を示しているのが禅だというのだろう。 風のごとく、流れのごとく、静かな自然の一端として人生を駆け抜けてしまうこと、それが人生の極意で、極楽往生の秘訣というわけである。 でも、こうして考えたりしても何にもならない。 禅は実践でしかない。 原理が分かろうが分かるまいが、自分が梵我一如の境地を達成できなければなんにもならないのだろう。 以前考えたように、座禅の試みは、生きながらにして彼岸を経験しようとすることである、というのと似てもいる。 向こう岸をこの世で体験できれば、死を恐れることはなくなるという実践であると考えてみた。 結構近い原理である。 まあ、いくら本を読んでみてもよくは分からない。 ほとんどの本が、インドや中国の古い時代の教訓から成り立っているため、ほとんど身近に迫ってはこない。 つまり、現代人の生活では、相手とする自然、溶け込むべき自然が見当たらないのだから、なかなか実感をもって昔の人たちの悟りの境地が想像できない。 只の読書になってしまう。 鈴木大拙が、英語でこれを世界に伝達しようとしても伝わるのかどうかは疑問ではある。 確かに珍しさや異国情緒としては神秘的である。 多くの外国人が、これを神秘主義と呼ぶのもなんの不思議もない。 私たちにでさえそうしか感じられないというのが、本音なのだから。 まあ、その世界の人たちにとってどのくらい現実味をもって禅問答が交わされるのか実体験してみたい気もするが、とても時間がたりない。 今日のテーマは、こんな禅の話ではない。 鈴木大拙が、禅の研究の中で、日本の禅が、インドからの仏教伝道の道の最終駅になっているという自覚をしていたことがテーマである。 文化周圏論と同じような発想が、そこにあって、ここから先に行くところがない。 しかし、その先はアメリカ、つまり西洋があって、日本の役割は、この東洋の洗練されつくした文化を西洋に発信することだと自覚していた点である。 つまり、インドに発して、中国という一大文化圏で揉まれて十分に成熟した禅という文化をもらった日本が、さらにそれに日本的洗練を加えて、西洋に伝えていくという発想である。 そして、もうひとつ面白いのは、法然や親鸞の大乗が、この日本禅の精神と一致しているというから面白い。 天職 平成18年1月31日(火) 健康問題を身近に控えて、いよいよ究極のカウントダウンに入っているのだろう。 体調は一進一退で、もう元に戻ることはないだろう。 下り一方向であろう。 そうして残り少ない時間を抱えて、さあこれからどうしようかという迷いがある。 勿論銀行問題もあるが、もはやメーンテーマにはなりえない。 もう食っても食わなくてもではある。 ただ、実体としては日々三色食らうということが、いかに大変な業であるかは、身にしみて感じる。 健康問題も食うことと表裏一体である。 ただ、これはもうテーマではない。 食い欲は十分あるが、何を食うとかのこだわりはない。 もう歯は残っていないし、内臓だってもうへばっているのだろう。 残されたテーマは、最後の信仰問題だけと見ていい。 最後の仕事、或いは天職として信仰人、或いは詩人として活動するだけなのだろう。 詩人として目指すもの、それは「心の平和」である。 信仰問題の主題も同じである。 もう食う食わずを離れて、この最後の天職に一刻一刻向かわなければという気持ちだけだ。 社会生活としてのうわべとは別に、真の天職として、こちらのテーマに向かわなければならないのだろう。 何事も愚のせいにして逃げてきたことをご破算にして、いよいよ自分の内面の探求を始めなければならない。 とは感じるが、問題なのはその内面である。 社会から離脱して自由の身になってみると、肝心の内面も一緒に空になった感じなのだ。 これが、戸惑いである。 さあ、やっと待ちに待った時間が来た、と思った瞬間に、実はそこが終着駅同様に、この先線路がないという訳である。 つまり、あるはずと思っていたものが、実はないのだから、これからは道無き道に入っていくしかないのだろう。 ここから、一からの学習から始めなければならなそうなのだ。 外国語や音楽や絵やらなら、今すぐ始められる素材は揃えてきているのだろうが、肝心の天職、心の探求は、と問われると、すっかり呆然として立ち尽くすしか手がかりがない状態なのだ。 これは一大事である。 こうして禅の本や、イスラム教の本を読んだりしていても、少しの参考にはなるが、知識だけで何の実践にもつながらない。 心の平和など、どこ吹く風という感じにしかならない。 やはり、旅に出たり、孤独になったり、という修行が必要なのだろう。 こうした都会の日常から得られるものは、梵我一如でも、空の会得でもなく、ただ年取った社会のあぶれ者の憂き目だけなのだろう。 宇宙も風も空もここからは感じられないのだ。 花や蝶と遊ばない限り、梵我一如の悟りには達しないということなのだろう。 この大都市の一刻一刻が仏の技という感覚にはならないのだろう。 この狭い世界で、どんなに実験を試みても、あまり修業の効果にはつながりそうもない。 やはり、すこしずつ詩作、思索の習慣を取り戻すようにして、内面に沈潜していくしかないのだろう。 より深いブッダやキリストの理解を図っていくしかないのだろう。 ただし、もう頭の訓練は要らない。 心の訓練を残すのみなのだ。 天職への道、日々一刻一刻が急がれるはずなのだが。 幼な馴染み 平成18年2月7日(火) 35年振りに幼な馴染みと対面した。 子供の頃に一番良く一緒に遊んでいた友達である。 足立区の方で立派な焼き鳥屋を開業している。 会社を経営し、店を二軒も持っているという。 東京に集団就職してきた同窓生の中で最も成功した人だという。 もう孫も4人もいるという。 なかなか立派なものである。 ふらふらと雪の中を遊びに行って、ビールや料理をすっかりご馳走になってしまったものだ。 東京に出ている小学校、中学校の同窓生の世話係もやっているという。 立派なものだ。 こちとらは、まったくの無関心でやってきた世界である。 もうすべてが終わりになって、また子供の頃の話をしても始まらないと思っていたから、なんとも今更と思うしかない。 もうそれぞれが老後を歩み始めているばかりだから、お互い静かにしていたいと思うばかりである。 我々サラリーマンと違って、自家営業者は定年がないだけ、老後の生き方は楽であろう。 そのままの生き方が続けられるのだから、私たちの感じるような疎外感、喪失感は持たないで済む。 まあ職業の違いなのだから、それまでだ。 これまで、我々よりずっと苦労してきたことだろうから。 まあ、余り乱されないように相手していくしかないというところか。 そんな感想である。 研修開始 平成18年2月14日(火) 昨日から派遣前研修が始まった。 JICAのSV制度も過渡期に当たっていて、3年前の研修とは色々変わってきた。 これも、もう今年で最後になるらしく来年度からは、JOCVと一緒に駒ヶ根や二本松の合宿研修になるようだ。 大分、私が最初にイメージしていたような本格的ボランティアに変わっていくようであるが、応募者は減るどころか、どんどん増えていっているという。 これからいよいよベビーブーマー世代の登場になると、やはりこうした失業対策事業は栄えてくるのだろう。 前回、12名一緒にヨルダンに出かけた同僚も、また6人参加している。 半分がリピーターというわけである。 全体でも、200人中110人までがリピーターで占められているという。 今回一番変わったのは、前に比べると随伴家族の数が少し多いことだろうか。 私の妻も、その一人である。 そして、私以上に張り切っているのを見るのが、ひとつの楽しみではある。 これがいつも私の理解できないことなのであるが、3年前もそうだったのだが、私の方は、妻は母親や姉のそばにいるのが好きで、決して外国生活など望まないのだろうと思っているのだが、結果はいつもその反対に出ている点である。 結構、こうして私と一緒に外国生活するのを望んでいるようなのだ。 家にいて、子供の世話をしたり、親族の世話をしているより、研修会に出たりする方が楽しそうに振舞っているのには驚いている。 生来が内弁慶で、親族や家族といちゃついている方が得意なはずなのだが、結構外に出て人前に出るのも嫌がらずにやっている。 中でも好きなのはショッピング、いやウインドウ・ショッピングというべきだろうが、買い物の時間帯だけは、文句も言わないし、疲れも見せない。 ほんとに好きなのだろう。 それに付き合う私の方は、買い物は最も苦手ときているのだから、ほんとに性格の不一致か、趣味の不一致とでも言うのだろうか。 まあ、こんな話で、研修会が始まって任地への出発が近くなって、張り切っているのはむしろ妻の方であるというのが実態である。 もうすぐ、大好きな荷造りも始まるし。 一方、本人の方は、二回目ということもあって、余り新しさもないことや、健康問題が気になること、任地の選定に失敗したことなど、気に病むことはあっても、それほど楽しめることはない。 まあ、淡々とノルマをこなしていくだけである。 風邪でもひかないように気をつけなくては。 相変わらずパソコン整備、カラオケ体制作り、i-pod整備に追われてはいるが。 0歳宣言 平成18年2月19日(日) 今日は、我が家で一番大切な誕生日である。 長女と三女の合同誕生日である。 それぞれ31歳と23歳だという。 今日は、雪は降らなかったが、二人とも生まれた時には、雪の残っていた思い出のある日である。 そして、この頃はちょうどひな祭りの季節に当たっている。 つまり、私の誕生日の季節でもあるのだ。 つまり、娘たちの誕生日の二週間後には、私自身の誕生日もやってくる。 これが、大切な季節の理由になっている。 特に今年は、還暦の年に当たっており、この日を特別な気持ちで迎えようとしている。 つまり、すべてからの解放記念日にしたいと思って迎えるのだ。 これまでが、私の人生、十分に生きた人生の終わりとしようという意識である。 ここまで生きれば十分という感じで迎えるのだ。 そして、これからはおまけの人生、というより、全く新たな人生ということにしようということだ。 生まれ変わるのだ。 誰にも邪魔されない新たな幼年時代を向かえようというのである。 0歳宣言である。 これまで、やろうとしてやれなかったことを新たに始めても遅くはないという宣言である。 60歳にしての手習いを始めようということである。 すべてのやりたかった文芸、これをする余裕もなかったし、出来てこなかった。 一番遅れてしまったのは、絵である。 手が動かない。 ここまできてしまったが、これから赤子の手習いをしようということである。 音楽もこれからヤマハ音楽スクールに通おうという訳である。 ギターの弾き語りで笑われているが、これから本当のリズムを身につけるのだ。 本や理屈はもういい。 こちらは、何も仕組まなくても出来るくらいに熟練している。 これは、飯食うための手段として使っていくのはいい。 全くの時間潰しになるのだ。 本当の手習いは、0歳からの学習である。 指がどう動くのか、手がどう動くのか、この訓練である。 体を使っての学習である。 幼稚園のお絵かきから始めなくてはならない。 頭はいやというほど大きい。 こいつに文句を言わせずに、手を動かす訓練である。 なかなか素直に手を動かせない。 色んな大人の屁理屈で逃げ回ってしまう。 簡単な方へ簡単な方へと逃げ回ってしまう。 これをなんとか子供の好奇心に戻して手を動かしていかなくてはならない。 そこには「生きとし生けるもの」へつながる道も見えている。 子供の好奇心と自然の恵みと、そんなすっかり忘れてしまったものを一から始める時節がきているのである。 これを阻もうとするのは、年齢から来る健康問題だけである。 そんな嫌気におかまいなく、ただ、無邪気に始めるしかない。 覚悟 平成18年2月22日(水) 芭蕉の覚悟などを読んでいると、当時の素朴な生活の味が懐かしくなる。 自然と一体となって生きていられる時代のいいところなのだろう。 数寄こそ物の上手なれ、という覚悟が良く伝わってくる。 私の覚悟は、大学生の時代に読んだ日本の近代史から覚えた「戦争絶対反対論」である。 日本人は、よく戦争をしてきたものだと痛感した。 そして、自分の生きている間だけでも、一度も戦争に会わずに生涯を終えたいものだと誓った。 戦争をしそうになったら、体を張ってでも反対しようと覚悟を決めた。 でも、幸いそう覚悟したのは、私だけではなかったらしく、日本人は本当に戦争を嫌いになっていたのだ、いや戦争はこりごりだと思っていたようだ。 どうやら、私の覚悟も一度も発揮せずに人生を終えられそうな気配であるのは嬉しい限りだ。 そんな役に立たない覚悟の代わりに、何か数寄を育てていくしかない時代だったのだろう。 それはそれでいい時代に生まれ育った幸運と思うしかない。 ただ、これまでは数寄よりも生活優先で生きてきた分、芭蕉のような晩年は迎えられない。 いざこれから弟子入りの方である。 語学、音楽、絵画となるのだろうが、もはや60の手習いになってしまう。 それでも恥じも外聞もなくやっていくしかないのだ。 今度は本当のカウントダウンとの争いである。 このカウントダウンは、先が読めない。 いつでもサドンデスありの競争である。 健康問題破綻の兆候は、いくらでもある。 ちょっとした変化でも、これで終わりかなと思う日々である。 のんびりゆっくり、時間と戦っていく戦争の覚悟になるのだろう。 行く道も大分寂しくなってくる。 こころとの最後のふたり旅になるのだろうか。 JICAの事前研修もあと一日を残すところまで来た。 後一月で再び出発である。 今度は、出戻りの感が強くて、あまり新鮮さも決意もない。 研修終了 平成18年2月24日(金) 9日間の研修が終わった。 あっという間である。 特に目新しいこともなかったが、SVだけの研修のやり方がこれからJOCVと合体する方向に変わっていくという流れが、より鮮明に見えてきたことである。 つまり、少なくとも次に受ける時からは、こんな短い研修ではなく、駒ヶ根での35日間の合宿研修になるということである。 その後平成19年度以降は、JOCVと一緒になって75日間の合宿研修になるという。 まだ健康が許されるなら、一度参加してみたい気にもなっている。 こうした方向は、私の感じている援助方法に近いものであるから、きっとこれが正しい方向だと思う。 今のSV援助方法を見ていると、なんとなくまた年寄り派閥のようなものが出来上がってきて、普通の人は入れない雰囲気が出来つつあるような気がしている。 援助お仕着せ人間の集団のような気がしている。 目立ちたがり屋の冒険家集団とでもいうのだろうか。 何か異文化理解というよりも異文化進出という感じなのだろうか。 これは、昔の海外移住というのに少し近いかもしれないが、やはり九州や瀬戸内海あたりの人たちの海外移住指向の延長戦上にあるような雰囲気を感じる。 私の指向するような、知的海外援助や異文化理解というものとは、何か違った雰囲気を感じてしまうのである。 老後の健康誇示というか、若いものには負けないわよ指向なのだろうか。 特に女性隊員が「税金の無駄遣いよ」などと怒鳴り散らすのを聞いていると、外交政策とか日本の世界的地位などをどれだけ見て発言しているのかと、少々ぞっとする次第なのだ。 それに似た現象が、「愚や愚や、汝をいかんせん」の続編である。 これからひとりで、語学研修に出かけることになるが、たらたらと嫌味、愚痴の連続である。 相変わらず受身、受身の抵抗路線だけである。 ほんとに何を考えているのかと疑ってしまう。 甘く育ってきた我儘っ子というだけなのだろう。 しかし、ここへ来て感じるのは、これまで30年以上も一緒に暮らしてきているのだが、こうして身近に妻の性格を観察するのは、ここへ来て初めてであるという驚きである。 これまでは、子育てという唯一の絆の下で、それぞれが役割分担が出来ていて、お互いが余り干渉しあわずに自分の分担を果たしてきたので、お互いのことを余り観察したり、分析したりということはなかった。 そんな必要もなかった。 妻の方は、子供や親族にまかせておけばそれで済むような感じで、食事とかテニスとか共通にやる時に顔を合わせていただけで、相手の性格まで見る暇も手間もかけなかった。 それでやってこれたのだ。 それが、こうしてほとんどの時間を二人だけで過ごすようになって、それぞれ独立してやっていきたいとは思ってみるものの、妻の方にはそんなやり方がない。 いつでも傍にいる人を、馬鹿だちょんだといいながら自分のうさをはらしていく。 いつでも誰かにくっついているという前提がある。 こうして、英語研修のように一人で放り出されると、人が違ったような弱虫の性格が頭をもたげてくる。 知らない人の間で、自分の苦手なことをやらせられると、嫌で嫌で居ても立ってもいられないほど苛苛が募って、ノイローゼにでもなりそうである。 健康さえ損ないかねない。 こうした好き嫌いの部分が、激しくてそれが不眠や体の痛みになって現れてくるというのだから、やっかいである。 出来るだけ聞き流して、背中を押し出してやろうとは思ってみるが、少し可哀そうかなという気もする。 ずっと周りの人に寄食して、自分に都合のよいところだけをつまみ食いしてきた結果だろうが、なんとも扱いにくい性格ではある。 これを今から変えるというわけにも行かないのだろうが、当たらず触らずサポートしていくしかない。 残り少ないお付き合いと思うしかないのだろう。 自分のペースを乱されないようにぼちぼちと付き合っていくしかない。 昔の恋とか愛とかはどこへ行ってしまったのかと、つくづくと感じる今日この頃の悩ましさである。 最後の最後まで、決して一人で生きるわけではないという証である。 これから当分、こちらが家庭の主婦役を担わなければならない。 一月後の出発に向けて荷造りもしなければならない。 またまた慌しく社会参加しながらの余生となるのだろう。 過客 平成18年2月28日(火) 芭蕉は旅を家とする。 私の憧れでもある。 自分も今は旅を身の上とするような立場に立てている。 しかし、芭蕉の旅は生業そのもののような旅である。 俳諧を求める旅である。 こちらは生業はサラリーマンとして立てている。 芸の道は日陰の身である。 ほとんどお遊びでしかやってきていない。 だから、旅も嫌な生業からの逃避のような旅になっている。 人を避けたり、世を避けたりという旅になっているのだろう。 若い頃の出だしの旅は、まだ詩を求めての旅でもあった。 あれをそのまま続けるはずだったのが、いつの間にか挫折してしまったのだろう。 結婚して家族を持って、社会に帰属して人並みの幸せを求めたところが、その終点だったのだろう。 そして、それも終わりかけている今は、再びまたその頃を思い出してみようという旅の企てである。 芭蕉によって呼び覚まされるような旅への郷愁である。 しかし、今はもはや一人の旅ではない。 一人で彷徨う旅にはならない。 いつも傍に愚や愚やが付いている。 詩作など全く念頭にない旅になっている。 これが芭蕉との大きな違いである。 もう一度復古しなければならないのだろう。 脇紙と硯、筆がパソコンに変わっていようとも、旅の感懐は当時と同じものがあるはずだ。 芭蕉の旅は、かなり禅僧的であり、宗教追及型である。 私の問題も残りは信仰問題だけである。 そこに詩作がついていようがいまいが、心の平穏を求める旅には違いない。 当時は中華文明だけしか、身の回りにはなかった。 今は西欧文明まである。 物の見方の変化は激しい。 しかし、求める心は同じなのだろう。 最晩年の心の平穏、それを求めての旅路についてみるしかないのだろう。 芭蕉は自然に囲まれて、それを求めることができた。 しかし、今は自然のようにやさしい環境は身の回りにはない。 天候、風景や樹木を見て何かを感じていく世界、それはこれまでの東洋の文化の築いてきた真髄である。 今は回りに人工物しかない。 そこから何を感じるのか。 こちらの方がきっと難しい。 それでもそこに何か共通する心の平穏がなければいけないのだろう。 人間と人間の軋轢が激しくなって久しい。 江戸時代のような離れ小島の物語ではなくなっている。 旅も空を駆け巡るものである。 この間に共通点を見出すのもまた難しそうである。 でも「月日は百代の過客」はいつでもその通りである。 後一月で出発である。 新しい入れ歯はどんな風に出来上がるのか、持っていくパソコンの整備はどうするのか、予防注射は無事終われるのか、荷物をどの程度にするのか、現実の課題の方が悩ましい。 還暦前夜 平成18年3月2日(木) いよいよ還暦である。 十二支を5回も回ってしまったことになる。 ここ三年間の経緯を振り返ると、ここまで無事にたどり着いたというのは感慨深いものである。 社会を引退して、年金受給者になるまでの戦いの終わりであり、激動の期間だったと言える。 一時の不安はすっかり消えて、実に落ち着いた還暦になったことは感謝に耐えない。 やはり、捨てる神ありゃ、拾う神もあったことになる。 ここまでくれば、それも一段落といえよう。 昨日は、これからのサイボーグ健康の最初である立派な入れ歯が出来上がった。 三ヶ月もかけた大作である。 臨時の入れ歯に比べれば大分楽である。 これなら、水泳も安心して出来そうである。 常時着用が迫られているようで、また昔の歯に戻った錯覚を覚えてしまう。 汚れをどうやって掃除するのか、新たな課題が出てきた。 明日から年金の支払い請求も出来る。 老後環境の整備が整っていく。 三年前とは様変わりである。 あれほど、恐れられた愚妻のため口も終わりつつある。 それより、嬉々として英会話の研修に通っているのは、見ていても嬉しいしほっとする。 相変わらずな避けない弱音は吐いているが、その割には元気にがんばっている。 これも三年前と比べると変われば変わるものだ、という感想である。 いよいよ長女も、一人暮らしをしに引越しをするそうだ。 とはいっても目と鼻の先である恵比寿のマンションだから、三女の学生時代の一人住まいよりは気楽だろう。 事務所代わりということだから、いよいよ仕事の上でも一人立ちできているのかもしれない。 これはこれなりに楽しみだろう。 それぞれが独立してやる時代は、もう来ている。 私たちも月末には出発する。 後一年間の見通しはついた形だ。 これからはますます気楽になっていくはずである。 愚と自分の身の振り方を探っていくだけである。 まずまずほっとしている今日この頃である。 ノー天気が続く。 ようやく暖かくもなってきた。 還暦 平成18年3月4日(土) とうとう辿り着いた。 五順が廻って60年である。 この日も何事もなく過ぎていった。 このところ朝から血圧の高いのが気になっていたので、無理やりプールに行ってみた。 血圧を下げる運動には水泳が一番よさそうである。 プールで測る血圧は、いつでもやたらと低い。 家の血圧計が嘘のような数値が出る。 これまでは血圧を測るところがプールでくらいだったから、いつも110〜120程度で安心してきた。 時々健康診断で測る血圧が、それより高い130台であったので不思議に思っていたくらいである。 こうして常時血圧を測ってみるようになって、もう140〜150台まで上がっているのを見てびっくりというのが近況であるのだ。 平均はやはり140まで来ている。 限界値になっているのだ。 狭心症の方は、よく調べてみると、安定労作性狭心症と呼ぶものらしく、それほど危険なものではないと分かって、とりあえず一安心ではある。 慢性病となるのだろう。 一病息災として、気をつけていくしかない。 血圧の高い日に起こっているかどうかは、余り定かではない。 ただ、規則正しく朝食の後、1時間半から2時間の間に起こることはつかめている。 その辺りに準備をして迎えれば、なんとか軽く防げそうではある。 ただ、ここ数日間のように、全くその症状が出ない日もある。 こちらが、どうしてそうなるのかを解明しなくてはならないと思っている。 まさに、還暦を迎えて銀行問題におさらばして、健康問題にパラダイムシフトしていくのだろう。 厚生年金の受給申請も始めた。 まさに、あの苦しい1000日の父時代にお別れできる日が来たのだろう。 そういう意味では、この誕生日は少し嬉しい気持ちで迎えている。 もう子供達も育ったと言っていいのだろうと思う。 それぞれ、この先どうしていくのかは、これまで育てた結果として生きていくのであろうが、まあなんとも手の出しようはない。 子供教育の失敗は、責められてはいるが、まあ言われるほどの失敗ではないだろうと安心している。 性格なども、少し難しい部分もあるが、これも私一人の子供でもないし、半分位の責任で済まされるのだろう。 出来れば、もう少しおっとりとした子供であってくれればとは思うが、こうした生き馬の目を抜く大都会の生活では、とてもそんな性格は望めるものではないことは承知の上での願望である。 とりあえずいい伴侶でも見つけてくれればと願うだけである。 私たちだって、こんなに性格が違ってもやってこれたのだから、うまく子供にでも恵まれればなんとか普通にはやっていって欲しいものである。 もう、私たちの手に負えるものではない。 最大の努力は、何とか子供に手をかけないように老後を過ごしていくことに集中だけである。 そのためにも、何か手仕事に専念するようにしなくてはならない。 どうしても楽な方に楽な方に流されてしまうのだが。 こうして向かえた還暦も、後3週間後の出発に向けての準備に明け暮れることが出来るだけでも幸いとして捉えるべきであろう。 一日一日と向かっていくしかないのだろう。 健康の許す間だけである。 芭蕉日記はもうすぐ終わりである。 五巡り 腑に浸み込む 節句雨 還暦の 腑に浸み込む 雛嵐 雛嵐 腑に浸み込む 夜半雨 夜半雨 昼見た雛は 濡れ地蔵 夢追い人 平成18年3月10日(金) ふとしたことから思いがけない発見をする。 出かける前に一度読もうと思って、シンキェビッチの「クォ・ヴァデス」という本を探してあるいていたら、肝心の本はどこに行っても見つからないのに、他の本に行き当たってしまう。 今回は歌の本である。 前から少しは気にはかかっていたが、始めてみると相当にやりたがっていたのだなと気がつく。 実は、しばらく日本の歌のカラオケ作戦は準備万端に用意してきていたが、外国の歌にまでは手が回っていなかった。 というより、丁度都合のいい楽譜付の本は、なかなか見当たらない。 楽譜があれば歌詞のないピアノ演奏用の本であったり、歌詞があれば楽譜やコードのついていない本であったりした。 そのためほぼ諦めかけてはいた。 また例の如く、ピアノ演奏用の懐かしの外国の名曲楽譜があった。 中身の曲は、昔良く英語や仏語の勉強に使った歌ばかりがずらりである。 しかし、肝心の歌詞が見当たらないのである。 そんな中で、ふと思い当たる節があった。 そう言えば、昔作った「My Songs」のノートがあったっけと。 これが大発見なのだ。 思えば今から丁度三年前の今頃、会社を定年退職することが決まって、何もすることがない窓際の干され状態にあったあの苦痛の日々にやったこと。 実はこの「My Songs」をデジタル化してフロッピーに入れていたという事を。 期せずしてそのフロッピーが役に立ったのである。 そのフロッピーの中から歌詞をとりだして、そしてピアノ演奏本を見ながらコードを付けていくという作業である。 うまく楽譜が読めないので、どの部分がどの歌詞に当たるのかを見つけるのに苦労した。 しかし、これが好きこそ物の上手なれの道理で、この作業にぴったりはまってしまったのである。 初めは一曲でも二曲でも、これからの手慰みになんと思って始めたはずが、なんとつもりつもって十曲も写譜できたことになったから驚きである。 しかも、丸々三日もかかりきりになって、まさに一心不乱である。

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インコを飼ってる方、情報交換しませんか?

来週の今頃には君はもうロンドンを発ってしまっているね 英語

ノー天気 平成17年11月17日(木) 帰国して漸く一月が経とうとしている。 でも、昨日までヨルダンにいたという感覚はすっかりなくなっている。 11月9日には、アンマンで三件の同時多発テロがあって、ヨルダン情勢もすっかり変わってしまったようであるが、それも一端離れてしまうと全くの他人事のように感じている。 全体として何事にも余り関心の湧かないノー天気な気分が続いている。 ひとつの大事な時間を無事乗り越えて、解放感、終息感が支配しているからだろう。 こうしてまた二年前と同じ失業状態に戻ったことになるが、あの当時のような追い込まれた感じとは、全く無縁である。 毎日が日曜日を、何の恐怖感もなく迎えて、のんびり過ごしている。 たまに、二年前のピンチの記録を読み返してみたりもするが、余り共感する意識は出てこない。 不思議なくらい平穏でノー天気な日々である。 この二年間で起こったことが、大変大きな役割を果たしてくれたせいなのだろうと理解している。 つまり、1000日の父の残りの時間処理が、最大の難点であったものが、その間の銀行問題をうまく切り抜けられたことで無事終わってしまったことで終了したことが大きいのだろう。 あの時点で、最大の懸案であった、末娘の大学卒業も、今年の春までに終わってしまっている。 今は、毎日文句も言わずに仕事にせいを出している姿を見ると、これが一番大きく変わった点なのだろうと思う。 妻の方も、ヨルダンで一緒に二年間を過ごして、この間の銀行問題もなんとかクリアできたと思うのか、あの当時の騒がしさはない。 こんな失業状態の私に対しても、かなり安定した心境のようである。 またJICA頼みの仕事が待っているという期待感さえもっていて、日々の活動にも大変協力的なのも様変わりである。 時間帯としても、ひとつのゴールである還暦までも、残り三ヶ月という秒読みに入っていることも、二年前の春とは違っているのだろう。 もうすぐ年金年齢に到達するのだから。 この二年間で、すべての環境が一変してしまったようである。 まさにJICA様様の二年間であったと言えるのだろう。 官の無駄遣いかもしれない外交資金による失業対策に救われたと言えるのだろう。 一番幸いなのは、私自身の心の持ちようがすっかり落ち着いたという点であろう。 あたかも、まだ現役のような感覚が戻っているのだから不思議だ。 JICA頼みでまだ未来があると信じられるようになった事が大きく働いている。 まさに一瞬にして、天からの恵みに合ったような感じである。 次回のシニアボランティアへの応募も済んでいる。 少なくとも、この結果が分かるまでは、この気分は続けることができる。 この二年間の蓄積で、この浪人時間帯の軍資金も貯まっているのも大きい。 家族に迷惑をかけないで、浪人時間を過ごせると思う自信は、いかにも大きい。 まさに銀行問題の悩みはどこへやらである。 代わりに登場しているのが、健康問題である。 こちらは時間と共に直実に進行しているのだから、自分では選べないといえば、その通りであるが、少しは自信があったはずなのが、この速さで進行されるとかなりぐらついて慌てているということになろうか。 二年前も、ノイローゼが体調に影響したのかな位に思っていたのだが、出発前の健康診断は、余り良くはなかった。 でも、ヨルダン赴任後のしばらくは、何の健康不安もなしにスタートした。 健康不安に気がつき始めたのは、一年ほど過ぎた頃からである。 朝の一瞬の心臓パクパクに突然気がついたのは通学バスの中でのことだった。 似た現象、多分同じ現象だと思うが現役時代の通勤時も、通勤電車の中で一瞬は起こっていたが、その頃は、時間も短いし、心臓パクパクという狭心症的自覚はなかった。 背中が張って、両腕が一瞬痺れるような数秒の現象だけで、それほど健康不安につながってはいなかった。 しかし、今回の自覚は、一日一回の狭心症として感じるものであった。 どうしてこうなったのかと疑問に思ってみていたが、やはり血圧の上昇が原因にあるようである。 これまでは最高血圧で120を超えることは余りなかったのが、一気に130台まで上がっている。 たまたま健康診断の時、午前中早く測るからかなと思っていたが、最近プールの血圧計などで測ってみると、いつも130台の血圧になっていそうなのが判明してきた。 やはり、この高血圧化がすべての現象であるようだ。 ヨルダンでの暴飲暴食、運動不足なども手伝って、こうした常態的血圧上昇につながってきたのだと思う。 循環器は大丈夫と思っていた過信が、誤解であったことになる。 いよいよこうした老人病、生活習慣病との戦いが始まったということになる。 もう銀行問題はいらない、次は健康問題の試合開始という常態に移っていそうである。 パラダイム・シフトである。 いったいどっちがより深刻なのだろう。 ノー天気でも、心老はつきない今日この頃である。 健康オタク 平成17年11月19日(土) うっかり気づかないでいたが、帰国後健康診断では大変な結果が出ていた。 肝機能の低下である。 三桁まで上がったら何とか対処しようと思っていたのが、一気に200を超えてしまったのだから、一大事である。 受け取ったばかりの時は、またいつもと同じように肝機能要注意が書いてあるだけだと思って、数字までは見ていなかった。 三井ビルクリニックでJICA応募書類の方に転記してもらいに出したら、再検査と書かれてしまったので大慌てという訳である。 慌てて、これまで続けてきた健康管理グラフにプロットしてみると、やはり急上昇で大慌てが続いている。 これに気がついた昨日から慌てて節酒開始である。 これにあわせて全体の健康チェックをしてみると、自覚異常に習慣病が進んでいるのが分かる。 まず高血圧である。 もう限界すれすれまで上がってきているのだ。 自分の頭の中にある110 mmHgという数字は40代の頃の数字で、よく見ると50代ではもう120台が普通になっている。 そして最近3年間は、すでに130台に突入しているという訳で、自覚が甘かったグラフになっている。 最低血圧の方も、頭の中では70台の数字であったが、とんでもない話でもはや限界すれすれの90台まで上がっているのだから、正に要注意である。 すべてが老人の成人病の数値に近づいているのを発見して唖然とした昨日、今日である。 そして同じようにコレステロールが高すぎるという全体悪化現象である。 決してもはや、何もしないでも健康であるという時代ではなくなったという事実だろう。 この事態を受けて、急に健康オタクに変身しなければ、というのが今日の大決心である。 とりあえず最大の肝機能回復運動では、昨日、おとといと2日間の節酒には成功している。 確かに、帰国後検診は覚悟の上の旅行中の暴飲暴食であったが、こうして如実にその結果に示されると、改めてドキッとする状況である。 ヨルダンで始まった一日一回の心臓パクパク症状も、結局はこうした生活習慣病の進行が原因で出てきたのだと思えば理解しやすい。 ひょっとして血圧が上がっているのかなという疑念はあったが、数字の事実としてここまで来ているという認識はなかった。 やはり血圧を下げなければ、この症状は減らないのだろう。 いまでも朝一度は起こる日の方が多い。 少しずつジョギングや水泳も再開しつつあるが、まだまだ試運転で昔のように勢いよくはいかない。 すこしおっかなびっくりの再開であるが、こうして健康オタクへの変身を決意すれば、もう少し思い切って元の状態に戻していってもいいのだろうという気もする。 確かに銀行問題より、健康問題の時代に移ったことになる。 1000日の父の終了で銀行問題は解決したとしよう。 少なくとも、こうしてまだJICAで働き続ける可能性を信じている間は、ノー天気に未来の銀行問題を放っておくことができる。 今回の応募の結果が判明するまでは、ノー天気OKのサインである。 代わっては、すべては健康問題にかかっているというパラダイムシフトである。 JICAの方での成否の心配も、こちらの方が先立つ。 ああして、応募診断書に再検査要と書かれたことが、何かの悪影響にならないかが心配となる。 こうした健康問題は、やがては最後の信仰問題につながっていくのだろう。 2年前の死神様との約束を、昨今はすっかり忘れたような傲慢な態度で目立っている。 この健康管理の失敗も、多分そんな驕りの表れなのだろう。 一度渡りかけた三途の河への道を、引き返してきたかのような傲慢な日々である。 「この人を見よ」という態度にさえ戻っている。 気分的には楽で結構なのだが、覚悟が間違っているのだろう。 やはり、死神様との対話はかかさずに覚悟の道を進んでいくべきなのだ。 お蔭様で、この2年間は、「生きて死ぬ」の実践に、少しずつ成功しつつある。 あれ程、恐れていた社会からの脱落も、徐々に完成しつつある。 恐れおののかなくても、自然体でこの世から離れていける環境を整えつつある。 この間に、母も姉も先立っている。 少しずつ安心して脱落できるようには、なりつつある。 これからは、覚悟の健康オタクを目指さなければならないのだろう。 もう少し信仰オタクの方へのパラダイムシフトにも目をやらなければならないのだ。 回顧と懐古 平成17年11月27日(日) ノー天気の日々は続いている。 三日前には、長姉の納骨式に行って来た。 その前に母の一周忌も終わった。 すべては過去になりつつある。 過ぎ去っていったのだ。 徐々に幕引きに向かっていることは確かだ。 この間に感慨はあるか。 これまでのことを振り返る時間はあるのか。 半生を回顧して何か思い当たる節はあるのか。 一人の人間には、ひとつの生き方しかないのだろうが、果たして自分のひとつの生き方は回顧するのに値するのだろうか。 これしかなかったのか。 もし、こうでなかったらどうなったのか。 別の人生を選べたのだろうか。 人より少し世界を広く見ることができたのは良かったのかと思ってはいるが、果たしてそうなのだろうか。 なんだか、この間に教わってきた価値観も、かなり偏ったものだったような気もする。 アメリカ文化、或いは西欧文化を強烈に叩き込まれたのかという気もする。 こうでない価値観、もう少しドメスチックな価値観だったらどうだったろうかとも思ってみる。 もう少し古い日本人らしく生きたらどうだったろうと思ってもみる。 でも、所詮は詮方のない回顧である。 リベラルとかフリーとか、今流行りの価値観を先取りしてきたのだから、流行や流れの方向には進んできたのだろう。 社会的不成功は、いたしかたのない事情なのだろう。 大学生活の失敗は、もう飽きるほど反省してきたのだから。 ここまできたら、その話はもう止めるしかない。 そこからは解放されているはずだ。 何とか見ぐあいして、子供が出来て、それを育てるという最低の条件は、クリアしてきたことになるのだから、半生としては成功としか言いようがないのだから。 その他の事情は、余りたいした問題ではないのだろう。 むしろ、自分を捨てないとか、自覚を迎合しないとか、そんな頑なさ、頑固さは自分でいつも良しとして続けてきたことなのだから、それもつべこべいう回顧ではない。 つまりどう回顧しても、懐古にもならない代わりに、厳しい反省にもならない。 今のこうしたノー天気がすべてなのだろう。 終わりを喜ぶしかないのだ。 順番に終わっていくのを喜ぶしかないのだろう。 時代は移り変わるだけである。 この頃、テレビで瀬戸内寂聴の女の一生をやっていた。 サブタイトルに「出家、生きて死ぬ」という字幕が出てきた。 「生きて死ぬ」とは、正に自分の唱えた最後と同じものである。 私の場合は、出家ではなくて、出国とか離国とかになるのだろうが、概念は同じである。 此岸と彼岸とか、連続してスムーズにつながっているという概念なのだろう。 静かに、出家するか、離国するかで、このまま死を体現するという意味では同じ行為なのだ。 これにはすっかり頷いてしまった。 私のこの最後への方向も、決して珍しい発想でもなくて、もともと仏教の教えていた概念なのだと思えるのは嬉しいことになる。 もう残りのレールは敷かれたということなのだろう。 とりあえずノー天気は、今度のJICA応募の結果が出る、12月の初めまでは続けることが出来る。 もしも、受からなかったらという不安もないではないが、まあ出てからパニックになろうとたかをくくっている。 二年前のあの焦燥はすっかり忘れさられている。 なんとか、もう少し必死にならないと罰でも当たりそうな気もしてくる。 油断大敵である。 世の中そんなに甘くはないよというささやきもないではない。 まあ、予断や想像であくせくしてもしょうがない。 せっかく、こんなにノー天気でいられる時間帯があるなら、それを楽しませてもらうしかない。 いつでもまたあの深刻さはぶり返すのだから。 「生きて死ぬ」を、さらに深く追求していくだけなのだろう。 変な日々である。 発表前夜 平成17年12月7日(水) いよいよ明日一次試験の結果の発表である。 通知が届くのは明後日になるのだろう。 これまでのノー天気もここで終わりである。 いまだに失敗は想像していない。 前回、最初の時に比べれば、格段自信のある身の上だと認識しているから、まさか落選はないだろうとたかをくくっている。 ヨルダンで一緒だったメンバーとの競争なら落ちるはずがないという自信である。 でも、試験なんて何が起こるか分からないのだ。 健康診断だけで落選かも知れないのだから。 そんな多少の不安は感じているが、今の所落ちたらどうしようという対策は何もしていない。 前回の薄氷を踏む思いはない。 厚い氷の上を悠々と歩いている気分でいる。 それも、今日までなのかもしれないのに。 やはり、こうした事情を支えているのは、銀行問題の解決である。 少なくとも、次の当選までの軍資金はあるという楽観論である。 前回のように、まったく無一文の時とは大違いである。 こうして銀行問題を抱えていない身分となると、まるで高校受験生か大学受験生と同じような環境にある。 予備校に備えて、次の勉強をするかといえば、なかなか発表が決着するまでは手につかない。 なんとはなしに、テレビでも見てぶらぶらするばかりである。 ここのところ少し寒くなって風邪気味で、咳がとまらないのをいいことに、あちらでごろり、こちらでごろりの感じである。 とりあえず受験生なら文句も言われまいという態である。 少なくとも、帰国してから一月半ばかり、もう休養十分と言えるのだろう。 そろそろ次に向かって動き出す時期が来ているのだろうから、明日の朗報を待つ準備はできている。 こんな本人の実績を評価してか、周囲の当たりも前回とは大分違う。 あれから3年、やはり1000日の父をクリアできたことは大きい。 実に貴重な3年間だったと言える。 その効果が、今回にもつながってくれと祈るばかりである。 死神様との約束も決して忘れたわけではない。 日々、いつでも用意はできていますとは祈っている。 ただ切迫感がない。 今度こそは本当に健康問題がトップに来ているのだから、事態はもっともっと差し迫っているはずではあるのだ。 ただ、1000日の父のような社会的呪縛から解かれている分、自分の事だけなら「後は野となれ山となれ」の開き直りさえあるのだろう。 相変わらずノー天気のまま、JICAからの返事を待とう。 何事も思うようにはならない 平成17年12月10日(土) JICAの一次試験の結果が来た。 残念ながら、第一志望のメキシコは落選で、第二志望のグループ・コーディネーターの方だけが残った。 結果としては厳しいものがある。 残ったグループ・コーディネーターは前回も、最も競争率の激しい要請項目だっただけに、今回もまだまだ予断を許さない結果になったのだろう。 前回は、この段階ではまだ両方共受かったことになっていたので、まあどちらかにはと思えたが、今回の結果では残り皮一枚という状況だろうか。 前回に比べればリピーターというアドバンテージがありそうではあるが、まだまだ不安は続く。 二次試験を頑張るしかない。 何とかTOEC900点クリアを目標に頑張るしかないのか。 三度目の受験の正直である。 希望の任地はトルコの大学ではあるが、こちらでは選べないのでシリアの可能性もかなり高い。 ヨルダンの隣の利を生かしてということになろうか。 ここまで来れば、どこでも行く覚悟で受かれば御の字とするしかないだろう。 家族もメキシコ落選の方に落胆の体である。 まあ、みんな自分の都合でしか考えないのだから、こちらの思惑とは関係のない所にいるのだろう。 みんながどう思うかは二の次である。 ただ、ひたすら働く場所を確保しなければ、の一念である。 とりあえず銀行問題だけは確保して、次の健康問題の深刻化を待つという計画なのだから。 ここでは、余り信仰問題は顔を出してこない。 全てを失敗した時の奥の手なのだろう。 折角始めたスペイン語の学習は、ここらでまた切り上げるしかない。 むしろ、来年のワールドカップ熱に合わせて、トルコ語とアラビア語の復活をするしかない。 余り目標のはっきりしない、グループコーディネーターとなると、一体何を準備するか見当がつかない。 すべての遊びの準備をするだけだ。 こうなると、テニス以外に、ゴルフも頭に入れていかなくてはならないかもしれない。 入れ歯の作り変えも急務になってきた。 二次の健康診断もある。 とりあえず次の12月20日の二次試験までは、忙しく動き回らねばならない。 一歩一歩つないでいくしかない。 一方で、もうすぐ還暦を迎えて、厚生年金保険の給付も始まるという。 こした環境は、3年前とは大分違った要素となって、あのパニック状態からは抜け出せたのだろう。 娘も、働き始めて、結構張り切って勤めているようなので、一安心である。 嘆きの1000日の父の姿はもうない。 つまり、銀行問題はさよなら、なのだ。 今日も娘達とテニスをした後の昼食は、私が胸を張って払うことが出来た。 3年前とは様変わりである。 JICA様々なのだ。 どこへ行かされようが文句は言えないという事情である。 まあ、こうした幸運を神に祈って行けるところまで頑張るばかりである。 まだまだ「この人を見よ」の自信の中での活動は続いているのだ。 健康問題の許す限りである。 生きる 平成17年12月16日(金) いよいよ最後のテーマになってきた。 なぜ生き続けるのか、というテーマである。 このところアルバムの整理をしていたら、この5〜6年で家族や友人に起こった不幸の記録が、アルバムに張られた写真にはっきりと出ていることに気がついた。 義姉、義父から、実母、実姉の死へと毎年続いてきている。 ひとりひとり消えていっているのである。 これに同年輩の友人達の死も重なっている。 身の周りが大分寂しくなってきたという事実である。 順番から言えば、そろそろ自分にも、もういつ自分に来てもおかしくはない時間帯に入っているという自覚はある。 日々の健康問題の自信のなさも、これを証拠付けている。 しかし、義父や実母は90歳まで生きたことを考えると、ひょっとしたら後30年も生きつづけなければならないことになる。 まあ、自分の健康から、そんなに長いことは考えなくてもいいとは思う。 しかし、たとえ後5年でも10年でも同じことであるが、どうやって生き続けていくのだろうと訝ってしまうこの頃である。 もう「生きて死ぬ」の論理は達成されつつあるように見受けるし、いつでもいいと準備は完了なのである。 社会的役割もほぼ完了している。 残されるのは、孤独の晩年の姿のみである。 余りいい見かけの生き方は残っていない。 ただ、死神様に祈って、時間をつないでいくだけだ。 ひたすら祈りのある晩年のみである。 心の問題はそれで済むのだろう。 しかし、この老体の処理の仕方が一番厄介である。 いつかは自然に崩壊していくのだろうが、一日一日はなかなか進まない。 飯は食わねばならないし、酒は飲まなければならない。 そして、やがて医者にかかって、ベッドにくぎ付けになってと、ゆっくりと静かに進行していくのだろう。 それは実に長い工程になるのだろう。 その間、何を思い、何をして生きていくのか。 そこが問題である。 余り人は巻き込めない。 ただ、妻も同じような状況だから、ここは否応なくお互いが巻き込まれる世界がある。 このぐじゃぐじゃの関係をずるずると引きずって、どこにでもある見苦しい晩年を作りあげていくのだろうか。 念願になっているはずのホームページの作成も、今ひとつ身が入らない。 何故だろう。 創作意欲がほとんどなくなってしまっているのだろう。 もう何か理解しなければならないという問題意識はなくなってしまっているからだろう。 世の中のままならないのは、こうした出家人間のかかわることではないし、死の対する不安についても、もう勉強し終わった感じである。 まだ「生きとし生けるもの」に対する愛情や憐憫というのにはつながっていない問題は残っているのだが。 信仰問題は、いまだ未完には違いない。 多分、ここが唯一のやることとして残っているのだろう。 「生きとし生けるもの」への共感と人類愛とでもいうものだろうか。 そんなものの探求は残っているのだろう。 この肉体をどうしようかという問題は、今や健康問題として急務として上がってきている。 こちらの方は、実質的にこれからJICA試験が受かるかどうかという、最後以前の一仕事の一部として日々気になるところである。 晩年を迎えての身辺整理も同じような命題である。 本を片付けなければならないのだ。 残りの時間と残りの本の量を比べると、時間の方が足りないのかもしれない。 これも健康問題次第ではあるが、このところの体調の悪さから見れば、なかなか片付かない状況ではある。 JICAの二次試験は、後4日後である。 もし、今日みたいな体調だったらという不安が増している。 血圧が急に上がってきたことが原因であるとは思うが、何故そうなってきたかは掴めていない。 暴飲暴食の結果には違いない。 加齢現象も気にせずに、食い意地にまかせて行動していた生活習慣の結果ではある。 この問題でも、やっぱり、ここまできていまさら何を、という思いがあるから、比較的投げやりである。 余り、真剣に対処しなければという準備がないのが辛いところである。 もう、ケセラセラ、なるようになれという心境であるから、ちょっとこれまでの対処法では当たれない。 こんなやる気のない状態での、「生き続ける」がどうなっていくのかという新しいテーマである。 確かに、ここ数年で起こってきた事件は、否応もなくパラダイムシフトを迫ってきている。 それを、どんな新しい発想で処理できるのかが、そこで躓いているのだろう。 気力、体力、我慢の衰えをどんなものでカバーしていこうとしているかが見えないのだ。 スローライフのスピードが、どの程度が適当な速さかが見えないのだ。 枯れ木の案山子よろしく、外見だけで中身はぼろぼろと隠して生きるか、身も心もぼろをまとって姥捨て山で過ごすか、何かの選択が迫られているのだろう。 こんなところまで来て、心はちじに乱れるのだ。 というより、岐路に立ってどぎまぎと戸惑っているだけなのだ。 老人のうろうろ徘徊の始まりである。 受験戦争 平成17年12月21日(水) この時間帯の山場は終わった。 JICAの二次試験が、可もなく不可もなく無事に終わった。 TOECは、進行が速過ぎてついていけない。 前回の方がきっといい点になるのだろう。 結局、生涯900点の大台には乗せられなかったという結果だ。 これからは益々反応が鈍くなって、あのテンポの速さについていけなくなっていくことだろう。 余り緊張すると、血圧の上がるのも心配になってきているのだ。 面接の方は、なんと言ってもリピーターの地の利があって、何でもかんでもしゃべりまくった感じである。 他の人の時間に比較すると、大分短かったような気もするが、果たしてそれがいいのか悪いのか。 案の定トルコではなくて、シリアでもいいのかという質問があった。 これは、いけるところがあればどこでもという所だから、最低シリアには行けるのかもしれない。 家内の不機嫌は覚悟しなくてはなるまい。 それはそれで生きていくという努力とは比較はできないのだろう。 すべて覚悟の上の老後なのだから。 特に、今度からは1000日の父も終わっているから、まさに自由気ままな老後のお遊びという話になってしまうのかもしれない。 死場を求めての気楽な行脚の旅である。 危険や事故に対する不安さえ余りない。 とりあえず無事に終わったことだけで良しとしなくては。 後は運を天にまかせてである。 来週初めに、なんとか健康診断書を発送したいものである。 こうして最大の関門を無事通過できたのも、心配された歯の問題が恐れたようにはならなかったからだ。 この日までに、残りのぐらぐらの前歯が抜けてしまうかもしれない、入れ歯を使えなくなるかもしれないという心配があった。 それも何とか、みっともないのはしかたがないとしても、話を出来ない状態にはならなかった。 この山場の面接が終わったのを機に、今日は歯医者に通い始めた。 新しい担当の医師は、ほんとに威勢のいいおばさんで、何と今日のうちに残りの6本の歯を全部抜いてしまった。 3時間もかかる大治療、いや大手術の態であった。 長い時間と痛さで思わず涙を流したものである。 まさに歯の治療も、死に至る病のひとつであろう。 これで完全に歯痛の心配はなくなった。 もう抜かれる心配は無用である。 これで還暦を迎えるまでに新しい入れ歯の出来る見通しもついた。 相当大胆なやり方ではあるが、こんなものは余り時間をかけない方がいいのだろう。 きっと、こうした病院を選んで成功なのだろうと思う。 しかし、3時間も病室の中にいたきりだと、やはりこれから先に来るだろう病院生活が思いやられて、なんとも辛い思いをしたものだ。 痛さよりも、こうした最後の場面を思い浮かべる悲哀が、涙につながったのかもしれない。 日めくりは、後戻りできないの理である。 いよいよ時間ですよ、の新しいページを垣間見た一日である。 これで、歯医者通いも結構忙しくなりそうで、さあここから年末大掃除でもと思っていたのも、ちょっと出鼻をくじかれた感がある。 まあ、次の場面展開に向けて踏まなければならない一歩をまた踏み出したというだけなのかもしれない。 生きている限り、こうした日々の展開は続く。 ただ徐々に場面が病院や養老院という場所に移っていっているだけなのだろう。 くわばらくわばら、である。 医学の進歩 平成17年12月30日(金) 健康オタクとしての関心は、今血圧と入れ歯にある。 血圧の方は、手首型血圧計を手に入れて毎日計測し始めた。 これから何か手がかりがつかめてくるだろう。 もうひとつのテーマの入れ歯の話である。 これは、40歳以降いつも私の健康にとっては頭の痛い問題として続いてきた。 遺伝性の糖尿病と歯槽膿漏の可能性である。 ジョギングを続けてきたこともあって、歯はそれ以降次々と腐って抜かれていった。 ヨルダンに出かける前は、前歯3本と右下奥歯2本を残すのみとなっていた。 なんとか2年もってくれと祈りながらの生活であったが、幸いグラグラになりながらも、2年間は現地の歯医者にかからずに済んだ。 その意味では、出かける前に作った入れ歯は成功であった。 しかし、前歯3本がどんどん前に出てきて、漫画のバガボンのパパ現象は進行していき、いかにも老人の歯となって、写真を撮る度に恥ずかしい思いを新たにしてきた。 ヨルダンでの写真は、この最後の歯の残骸を見る思い出、いつも寂しく眺めなければならない。 妻に馬鹿にされる由来でもあった。 そうして今回いよいよ最後の入れ歯作りを開始した。 歯のない状態でJICAの面接には行けないと思い、12月20日(火)までは我慢していたが、終わって翌日さっそく歯医者に向かった。 しかし、抜く方はすばやいもので、こちらの未練には関係なく、その日のうちに残りの歯をすべて抜かれてしまった。 いよいよ歯のない老境が始まったのである。 これで、入れ歯が出来るまで当分は不自由しなければならないと覚悟の通院ではあった。 案の定これまでの入れ歯では、ほとんど食事の出来ない状態になった。 しかし、ここは偉いもので、こうしたこちらの不安は、簡単に払拭されていったのである。 医学の進歩とはという驚きのこの頃なのだ。 まず、歯が抜けた日には、これまでの入れ歯にちゃんと抜けた部分の歯が付け加えられたのである。 前歯がなくなったら人に見られるのはまずいから、当分外に出られないと覚悟はしていたのが、その見かけの心配は初めからなくなった。 笑っても、むしろ前のほんとの歯より見かけのいい歯がついているのだ。 これは第一の驚きであった。 それでも、その入れ歯では、上歯がほとんど上顎にくっついていなくで、口を開ければすぐ落ちてくる。 接着剤もほとんど効かない。 食事をするのに、手で上歯を抑えておいて食べ物を口に運ばないと、誤って入れ歯と上顎の間に食べ物が入って、どうしようもなくなる。 これは困ったと一週間ほど悲しんでいた。 そして年末最後に通院して、この窮状を訴えたら、すぐに分かりましたと上の入れ歯の奥行きを広く直してくれたのである。 これですべてが一件落着の態である。 接着剤がうまく効きだして、あの不自由はどこへやらになったのである。 このすばやさには驚いた。 自分の見ている前で自分の入れ歯が出来てくるなんて、ほとんど想像していなかった。 多分数年前までなら出来なかったことなのだろう。 これにはすっかり感心、感謝感激雨あられである。 うれしくなって、食い欲だけはさらに百倍の様である。 捨てる神ありゃ拾う神ありで、進歩したものであると妙に感じ入っているこの頃である。 ほんとに助かった。 想像していた入れ歯作戦から見ると驚くほど簡単に進んでいる。 ほんとに覚悟の老後が、かくも楽になりつつあるのか。 ひょっとしたら長生きも可能かもしれないなどとさえ思い始めたりしている。 すべてサイボーグになっても、やっぱり生き続けるような話は夢ではない時代なのかもしれないのだ。 ロボットと長生き比べを出来るかもしれないのである。 変なところで医学の進歩に脱帽である。 こうして健康オタクの方は順調に船出している感じである。 今年も後2日を残すばかりとなり、3年ぶりのお正月を迎えようとしている。 JICAの方は、毎日神頼みでひたすら待つばかりである。 もしも、落ちたら、の不安はいつでも付きまとっているが、分かるまでは信じ続けていくしかない。 不安は不安で味わっていくしかない。 とりあえず、その時の準備は余りない。 衝撃が大きいかもしれないが。 こうした時間帯の一番厳しいのが、相変わらず愚や愚や汝の問題である。 なかなか静かに放っておいてはくれない。 次々と責めてくるから、何とか身を隠すことにせいを出さなければという事態は続く。 これも老後の宿命と諦めるしか手はなさそうだ。 こんな狭い家に二人で居るのだから。 なかなか主婦の論理には追いつかない。 イスラム教の学習も、ろくな本がなくて、無駄に読書を重ねるだけである。 やっぱり皮相な文化としか見えていない。 書く方も書く方で、みんな外見の描写しかないのが不思議だ。 それ以外に深まらないというのは、つまり、結局外面規範宗教でしかないという結論なのだろう。 これは追いかけても、余り実りのない学習にしかならなそうだ。 コンピューターの勉強の方がまだましかもしれない気がしてきている。 音楽の学習の方が楽しみが多いと見えて、だんだんそちらに傾倒していく日々である。 リズムとは何ぞやである。 この年でよくやるものだ。 感心、感心。 よいお正月を。 2006年 三年ぶりのお正月 平成18年1月1日(日) 久しぶりにお節料理をご馳走になった。 娘の作ったお節料理である。 妻のお節とはまた違う教室で習ったきれいなお節料理である。 お陰で、大晦日はてんやわんやで、ゆっくり紅白歌合戦も見ていられなかった。 長女と三女は、海外旅行に出て留守である。 妻のお母さんも呼んで、4人でほとんど真夜中、年が明ける時間になって、やっと夕食にありつけた。 たっぷり時間がありすぎて、ついついお酒を飲みすぎてしまった。 健康オタクとしては大失敗である。 今朝起きたら、ちょっとした二日酔いであった。 もう新年の朝を迎えても特に感動はない。 とうとう2006年までも生きてきたかという程度である。 一年の計画も特にない。 ただ、健康に気をつけて、行けるところまでいくという程度である。 一応近所の氷川神社に初詣には行ってみた。 ただ健康と無事を祈るばかりである。 ついでに受験の合格祈願までしてきた。 全くのご利益宗教である。 信心などないのだ。 ちょうど今法然、親鸞の宗教改革の話を読んでいるところだ。 さすがに日本の話だけに良く分かる。 一方でイスラム教研究は、余り進まない。 というより、余りに違いすぎる宗教ということが分かるにつれて、興味はどんどん減っていくというありさまである。 キリスト教に見てきたような視点は、どこからも得られない。 ただ外面規範宗教として嫌気を誘うだけである。 おおよそ、こちらの概念にある宗教とは異質なものだ。 余り学んでもご利益はありそうにないという結論である。 ひたすら趣味の探求と、健康管理の日々になるのだろう。 テレビのスポーツ観戦も、三年振りでし三昧である。 新年の駅伝のオンパレードだ。 二年間のブランクはあっても、余り情報不足とはなっていない。 歌や芸能番組は、全く情報不足でとんちんかんとなっているが、スポーツの方はそれほど変わっている訳ではなさそうだ。 話はだいたい通じる。 世間の普通の社会生活が大分縁遠くはなっている。 つまり、社会から引退しているという実感ではある。 これまでのような帰属感はもてない。 どこか遠くの生活のように見える。 こちら側は老後の被阻害者生活なのだろう。 なかなか環境というのは難しいものだ。 サラリーマン引退後というのは、男にとっては景色がすっかり変わってしまってまごつくが、妻の方はそうした急変がないだけに楽な様子である。 昨日までと変わらない台所生活を続けることができるのだ。 こちらは一日中家の中で暮らす生活様式にはなじんでない。 どうしても違和感が残る。 急変感がつきまとうのである。 やはり、何か活動することを見つけて外に出ることを続けるしかないのだろう。 なかなか難しい命題である。 とりあえず、後3週間はJICAの受験結果待ちの不安な日々を送っていくしかない。 その後のことは、今のところ何の予定も立たない。 良い結果報告を待つばかりである。 三年振りの新年も大分様子を変えつつあるのだ。 i-Pod 平成18年1月9日(月) 今日は成人の日で三連休の最後の日になる。 成人の日は一月十五日と馴染んで育った者には、あまりピンとこない成人の日ではある。 我が家も、もやは成人の日とは縁のない世界に移っているから、休めさえすればいいのだろうが。 そんな三連休は、再びパソコンのOS入れ替えに終始した。 長い道のりであった。 動機は、すでに何度も試しているとおり、これまで使ってきたMS Windows 2000 ProfessionalというOSがどうしてもエラーが出てうまく立ち上がらないし、うまく動作しないで、毎回エラーを引きずりながら作業をしていらいらが募っていたためである。 そろそろやけくそ気味になっていて、少し冒険してもいいという気になっていた。 これまでは、安全を先にと思って、このノートパソコンに付属しているリカバリーパックを使ってWindows 2000のリカバリーを優先してきたが、どうしてもエラーは消えない。 そして、今回挑戦していたのが、娘にもらったMac i-Podという新しい携帯音楽機器に音楽を取り込もうという作業であった。 ところが、この作業に必要なi-Tunesというソフトをインターネットからダウンロードする必要に迫られた。 この作業はWindows 2000というOSでは、どうしてもうまく動かないのである。 新しいサービスパックを使ってアップデートしてみたり、いろいろ試みたがどうにもうまくいかない。 とうとう業を煮やして、えいっ一気にWindows XPに変えてやろうという賭けに出た。 ヨルダンでもらったWindows XPのCDをいつか試してみようというのが、ついに実現したのである。 しかし、日本語版はうまく動かず。 英語版はうまく動いた。 Windows 2000に比べると、かなり安定がよさそうである。 ところが、うまくいったのはすべて英語版の入力である。 やっぱり、MS WordでもExcelでも日本語入力ができないとなんとも不便である。 そして最後に娘の日本語版Windows XPを借りて、漸く日本語XPのOSまで辿りつく。 この作業を繰り返すだけで、丸々二日間を要して、目も頭も肩もくたくたの態である。 疲れた疲れた。 しかし、これでもまだまだ問題は尽きない。 ひょっとしたら、このOS CDはWindows XPのお試し品で、一ヶ月の期間限定の恐れがあるのだ。 外付けのDVD装置がうまく動かない。 日記のフロッピーが蹴られてしまう。 何ひとつ思い通りには進まないのだ。 ただし、念願のi-Tunesのダウンロードには成功した。 いよいよi-Podが使えそうになったきたのである。 長い道のりである。 OSとしても大分安定しているように見える。 ただ、多少重くて遅くなるのは否めないが、Windows 2000でも決して速いとは言えないCPUだったので、この点は多分我慢できるのだろう。 ひとつの大きな革命を迎えたのかもしれない。 清水の舞台から飛び降りて成功したのかもしれない。 御節三昧のお正月気分も漸く終わりつつある。 また、普通の日常が戻ってきた。 それとともに、ひたすら待つ身の辛さも蘇っている。 もう後二週間の運命にまで辿りついてはいる。 ただ、蜘蛛の糸1本の命綱だから、まことに心細い。 もし駄目だったらの不安は消えない。 これも後数日の我慢ではある。 蓋が開いたら、そこからまた出直すしかない。 三年前のあの苦しみを思い出せば、何事もそう大変には思えない。 ただ、やっぱり同じ境遇にはあるのだから、同じテーマの恐れとおののきが再燃する可能性はいくらでもある。 開き直ったといっても、何からも解放されている訳でもない。 ただ、健康問題も進んできている分だけ、諦めは進んでいるのかもしれない。 少しは仏教改革の話も読んでみてはいるが、頭の知識集積でしかない。 心の安らぎにはつながらない。 心老が募るばかりである。 かなり急な速さで坂を駆け下りている感じになっている。 妻の方はそれほどでもないのだろう。 従来からの生活スタイルが特に変わったわけでもないところが強い。 旦那が働いていようが、いまいが、生活苦がない限りは同じような日常が続くのだ。 これは得である。 夫の代わりに子供たちが、毎朝働きに出る光景は、これまでと何も変わっていない日々を与えてくれる。 日々の時間割も変わらない。 旦那の方の失業状態とは大分違う。 老いのスピードの違いもこうした環境変化への適応力の違いとも関係するのだろう。 こちらは毎日の朝のテレビのつまらなさだけでも腹を立ててみる。 妻の方は、まったく逆だ。 自分が従来から慣れ親しんだテレビ番組で一日を組み立てられる。 なかなかこのギャップは埋まらない。 やはり用済みの粗大ごみという比喩は当たっているのだろうと思うしかない。 こうした馬鹿げた僻みだけが募る日々でもあるのだ。 早く結果が出て次の2年の過ごし方が決まらないことには。 健康問題、心老問題、みんな時間との競争になってきている。 内面探求難 平成18年1月18日(水) ひたすら待つ身の辛さ。 身の置き所の難しい身の上である。 三年前と同じような立場ではあるが、気分はまったくの楽勝である。 もしも駄目だったらの不安は多少あるが、この前とは大分違う。 絶望感は全然ない。 ただフランス語、イスラム教、パソコンの学習に終始するだけである。 依然として社会とのつながりがある前提での行動である。 もう世を捨てた身の上であるはずであるが、銀行問題だけではつながっているのだろう。 生きて死ぬという目標は、大分達成されているのだろうと思うが、なかなか回りは許してはくれない。 回りと言っても家族、あるいは妻だけであるが、放っておいてはくれない。 自分の時間潰しの相手が要るのだろうが、やはり少しは厄介に感じる。 これにいらだって日々を暮らすという情けない状態ではある。 ひたすら待つ間はしようがないのだろうが、その後どうするのかは難しい。 こんな生活苦でうろうろしているのは情けないが、それもこれも生活苦、飯を食わねば生きていけないという人間の業にさいなまれているのだろう。 その飯を握られている間は、なんとしても逃げられはしない。 本来なら、今こそ自分の内面の探求をしなければならないのだが、そんな方向にはまったく向かえないでいる。 というより、何も探求されるような内面がないかのような状態である。 これまでは生活苦から逃れるための内面逃避があっただけなのかもしれない。 こうして平和が達成されそうな環境ができつつあっても、実はそれを求める対象がないという話になると、まったくの漫画ということになる。 完全に内面が俗化されていると事実だろうか。 心の平和を求めてきたはずなのが、最後に悩まされるのが妻の老後だけという話になるのは何とも情けない。 まだまだ社会生活が続くという事態であろう。 或いは、老後にとってこの環境が一番悪いということを意味しているのかもしれない。 こんな狭い部屋にすることもなく向かい合っていると、どうしても性格のぶつかり合いしか残っていないのだ。 大人二人だけで暮らすのはいかに難しいかである。 結婚して、もし子供がいなかったらと思うとぞっとする事実だ。 そんなぞっとする時代が、いまや事実となって目の前にあるのかもしれない。 こんなに年とっても性格は変われないのだから、いつでも来るものは来るということなのだろう。 とにかく困ったものだ。 健康問題から信仰問題へが課題であるが、もっぱら健康問題の方である。 こちらは物理的な問題であるからタックルしやすい。 こちらの血圧問題は、少しずつ実態が掴めかかってはくる。 こうして毎日観察しているのだから、こちらは進むのだろう。 自分の体は、自分が一番分かるという訳であろう。 なんとか運動と食事療法で血圧を下げる対策である。 少しずつは成果が上がりつつあると見たい。 水泳が一番効果的な運動とみられるが、この寒さでなかなか実践できないでいる。 入れ歯の治療も水泳ができない理由になっている。 歯が一本もなくなって、接着剤だけで着ける入れ歯は、水の中では浮いて外れてしまうのだ。 これは問題である。 新しい入れ歯ができるまではほんとに泳げるようになるかどうか分からない。 次のテーマである。 こちらの物理的健康問題も、何とか社会的生き残り運動としての活動である。 健康問題の深刻化に伴って、信仰問題に移っていかなければならないのだが、ほとんど深刻化していかない。 もう用意ができているという前提なのだ。 もう少し、「生きとし生けるもの」の問題としての捉え方が足りないのだ。 自分の身の回りしかがテーマにならない狭さがある。 これもまた情けない話である。 なかなか思うようにはいかない。 ただただ待つ身の辛さのみである。 それもこれも、後一週間の命なのだ。 ストレス 平成18年1月23日(月) 待つ身もいよいよ後残すところ二日となった。 こう近づいてくると、本格的ストレスがかかってくる。 こんな風に目前に迫った危険におののいて感じるストレスは久しぶりである。 ストレスとはこんなものだったのか、という記憶再現である。 いてもたってもいられないという心境なのだ。 やはり「失敗」に対する備えがないという不安である。 駄目だったらどうしようという不安に苛まれるというストレスである。 どうしようもないとは分かっていても、不安は隠せない。 駄目だったらまた一から出直しだと分かっているはずでも、その時に狼狽を想像して悩むのである。 今更、なんでうろたえるのかという覚めた目もないではないが、まだまだどうしても先を約束されて生きたいという社会的欲求を捨てきれないということなのだろう。 やはり、社会に帰属していたい、家族の一員でいたいという欲求から離れられのだ。 というより、これまで生きてきたやり方、つまり自分のしたいことをする、或いは本当の自分の探求をしたければ、姿をくらますために社会に埋没するしかないという方法論の踏襲である。 身についた方法は、今更変えることができないという訳だ。 社会に帰属して、誰にも指刺されないような体制を整えないと安心して本当の自分にはなれないという前提である。 しかし、こうしてもうそれもせずに済むはずの時代が来ているはずであるが、やはり其処から抜け出せない。 逆に、本当に自分のしたいはずのこと、自分の探求なるもの、そんなものがもうどこにも無いのかもしれないという現象である。 ただただ自分が彼岸に渡る準備だけは整えたと思っているだけで、渡航時間をひたすら待つだけの身の上のように感じ始めているのだ。 例の「もういい、もう沢山だ」の感情が先行しているのだ。 その時が来るまでは、やはり最後まで社会に帰属して身を潜めるしか手がないかのようである。 つまり、自分の中にも他人の中にも、もはや何も隠されたものはないという諦めであろうか。 銀行、健康、信仰の三命題が、社会的な活動として残っているだけ、という今までの延長でしかないという次第である。 だから、土壇場に来て、やはりこれまでと同じストレスを感じているのだ。 全く社会生活から離れていない。 イスラム教を勉強してみたり、禅の学習をしてもたりしても、すべてはこの先の社会的生活を想定しての話である。 その前提となる社会的生活がないとしたら、という不安に苛まれるのだ。 やはり、不用の長物とみなされる不如意生活は耐えられないという事情があるのだろう。 周囲の目というやつである。 勿論、これまでよりはずっと簡単にはなっている。 明日成仏しても誰にも文句を言われないところまでは来ているはずである。 問題は、こちらの側にあるのだ。 まだまだ見られているという感情が残っているのであろう。 この自己の誤謬、これを心身正さないと、いつまでたってもこのストレスの犠牲にならなければならない。 半合格 平成18年1月25日(水) 来るべきものが来た。 もう待つ身の辛さからは解放された。 ただ結果は怖れていた方の内容だった。 シリアのコーディネーターで、派遣期間は1年間である。 すべてが中途半端の結果になった。 それでも落ちなかったことを喜ぶしかない。 妻も覚悟は出来ていたようである。 何とか納得しているようだ。 まずまずの結果として喜ぶべきだろう。 慣れによって、大分贅沢になっているようだ。 一回目の藁をも掴むような解放感とは少し違っている。 なんとかつないだかという感じである。 それでも、これでいよいよ老後の一年目の職は得たことになるのだから、まずまずとしよう。 ヨルダンからシリアへ、なんとも皮肉な流れではあるが、あまりいい思い出のないシリアだから、少々複雑な思いではある。 ひょっとしたら、シリアで命を終えるかもしれないと思ったこともあるのだから、そんな意味では因縁の場所になるのかもしれない。 今回は、初めから作戦の失敗の一言に尽きる。 コーディネーターなど選択したのが、すべての間違いの元である。 黙って普通の技術職にでも応募していればと、作戦ミスを悔やんでみる。 日本語教育の世界に飛び出して、そこの実態を見た時と似たような失敗感がある。 やはり分野や世界が違いすぎて、そこにはそこの激しい競争が待っていたということになるのだろう。 それでも、二本に一本の確率に残れたことは良しとするしかない。 本命のトルコの方は、またやっぱり70倍もの競争があったのだろう。 前回、三年前と全く同じ結果になったのである。 そしてその逃げ場がヨルダンからシリアに変わっただけである。 そして任期は一年、ほとんど同じような場所なのだから、こんなもので十分なのかもしれない。 とりあえず、ヨルダンからシリアへとアラブ圏を巡ってJICAは終わりなのかもしれない。 3年ほど頑張らせてもらったということになろうか。 国民事業としての機会配分の論理から言えば、こんなもので良しとするしかないのだろう。 これから団塊の世代の激しい競争が繰り返されるのだろうから。 なかなかうまい生き所などないのである。 姥捨ての道が残っているだけなのだから。 やはり、テーマは信仰への道ということになろうか。 銀行を卒業して信仰へという最後の道である。 少なくとも待つ身の不安が終わるのは大きい。 行き先はどこでも、この地を離れるのは、生きて死ぬの実現を続けていることになる。 鈴木大拙の禅の研究でも同じようなことを教えていそうだから、こうしてひとりで淡々と歩いていくしかないのだろう。 梵我一如の道である。 こうした都会にいるよりは、外国の田舎にでもいる方が、自然と交わる機会が多そうだからである。 静かにそんな道を歩くための一年が準備できたことに感謝しよう。 後一年は次を考える余裕が出来たことを喜ぼう。 当面の不安は去ったである。 なかなか試練の道は遠い。 鈴木大拙の文化周圏論 平成18年1月27日(金) 禅などは何とも難しい。 よくぞこんなものを考え出したものだと感心するばかりではある。 こういう方法論が、本当に可能かどうか理解できるとは思えない。 まあ、すべては解釈の仕方しだいではあるのだろうが。 つまりは梵我一如ということなのであろうが、それを具体的に実行するというのは、確かに難しいというか不可能なことなのだろうと思う。 既成概念のすべては邪魔物であるという所は、確かにその通りだろうと思う。 その既成概念のすべてを離れて、無一物の世界から再出発する。 つまりは赤子のように何もインプットされていない状態に立ち返れということなのだろう。 自然と一体になれる状態、つまり生まれたばかりの状態で、自然の只中に立つというか、自然という母の胸に懐かれる状態を作りだそうという試みであろう。 しかし、本当にそんなことが可能だろうか。 素朴さの獲得ということに近いのかもしれない。 誰かの言った最も素朴な農民が救われるというような話と似ている。 雑念、欲望、煩悩、そんな世間の汚れを身につけない人、それが望まれているだろう。 それが、人間の元々の姿としての「無」と言われるものだということなのか。 しかし、ひとたび穢れた凡人が、そうした汚れの全てを断ち切って無垢の状態に到れるのか、その道を示しているのが禅だというのだろう。 風のごとく、流れのごとく、静かな自然の一端として人生を駆け抜けてしまうこと、それが人生の極意で、極楽往生の秘訣というわけである。 でも、こうして考えたりしても何にもならない。 禅は実践でしかない。 原理が分かろうが分かるまいが、自分が梵我一如の境地を達成できなければなんにもならないのだろう。 以前考えたように、座禅の試みは、生きながらにして彼岸を経験しようとすることである、というのと似てもいる。 向こう岸をこの世で体験できれば、死を恐れることはなくなるという実践であると考えてみた。 結構近い原理である。 まあ、いくら本を読んでみてもよくは分からない。 ほとんどの本が、インドや中国の古い時代の教訓から成り立っているため、ほとんど身近に迫ってはこない。 つまり、現代人の生活では、相手とする自然、溶け込むべき自然が見当たらないのだから、なかなか実感をもって昔の人たちの悟りの境地が想像できない。 只の読書になってしまう。 鈴木大拙が、英語でこれを世界に伝達しようとしても伝わるのかどうかは疑問ではある。 確かに珍しさや異国情緒としては神秘的である。 多くの外国人が、これを神秘主義と呼ぶのもなんの不思議もない。 私たちにでさえそうしか感じられないというのが、本音なのだから。 まあ、その世界の人たちにとってどのくらい現実味をもって禅問答が交わされるのか実体験してみたい気もするが、とても時間がたりない。 今日のテーマは、こんな禅の話ではない。 鈴木大拙が、禅の研究の中で、日本の禅が、インドからの仏教伝道の道の最終駅になっているという自覚をしていたことがテーマである。 文化周圏論と同じような発想が、そこにあって、ここから先に行くところがない。 しかし、その先はアメリカ、つまり西洋があって、日本の役割は、この東洋の洗練されつくした文化を西洋に発信することだと自覚していた点である。 つまり、インドに発して、中国という一大文化圏で揉まれて十分に成熟した禅という文化をもらった日本が、さらにそれに日本的洗練を加えて、西洋に伝えていくという発想である。 そして、もうひとつ面白いのは、法然や親鸞の大乗が、この日本禅の精神と一致しているというから面白い。 天職 平成18年1月31日(火) 健康問題を身近に控えて、いよいよ究極のカウントダウンに入っているのだろう。 体調は一進一退で、もう元に戻ることはないだろう。 下り一方向であろう。 そうして残り少ない時間を抱えて、さあこれからどうしようかという迷いがある。 勿論銀行問題もあるが、もはやメーンテーマにはなりえない。 もう食っても食わなくてもではある。 ただ、実体としては日々三色食らうということが、いかに大変な業であるかは、身にしみて感じる。 健康問題も食うことと表裏一体である。 ただ、これはもうテーマではない。 食い欲は十分あるが、何を食うとかのこだわりはない。 もう歯は残っていないし、内臓だってもうへばっているのだろう。 残されたテーマは、最後の信仰問題だけと見ていい。 最後の仕事、或いは天職として信仰人、或いは詩人として活動するだけなのだろう。 詩人として目指すもの、それは「心の平和」である。 信仰問題の主題も同じである。 もう食う食わずを離れて、この最後の天職に一刻一刻向かわなければという気持ちだけだ。 社会生活としてのうわべとは別に、真の天職として、こちらのテーマに向かわなければならないのだろう。 何事も愚のせいにして逃げてきたことをご破算にして、いよいよ自分の内面の探求を始めなければならない。 とは感じるが、問題なのはその内面である。 社会から離脱して自由の身になってみると、肝心の内面も一緒に空になった感じなのだ。 これが、戸惑いである。 さあ、やっと待ちに待った時間が来た、と思った瞬間に、実はそこが終着駅同様に、この先線路がないという訳である。 つまり、あるはずと思っていたものが、実はないのだから、これからは道無き道に入っていくしかないのだろう。 ここから、一からの学習から始めなければならなそうなのだ。 外国語や音楽や絵やらなら、今すぐ始められる素材は揃えてきているのだろうが、肝心の天職、心の探求は、と問われると、すっかり呆然として立ち尽くすしか手がかりがない状態なのだ。 これは一大事である。 こうして禅の本や、イスラム教の本を読んだりしていても、少しの参考にはなるが、知識だけで何の実践にもつながらない。 心の平和など、どこ吹く風という感じにしかならない。 やはり、旅に出たり、孤独になったり、という修行が必要なのだろう。 こうした都会の日常から得られるものは、梵我一如でも、空の会得でもなく、ただ年取った社会のあぶれ者の憂き目だけなのだろう。 宇宙も風も空もここからは感じられないのだ。 花や蝶と遊ばない限り、梵我一如の悟りには達しないということなのだろう。 この大都市の一刻一刻が仏の技という感覚にはならないのだろう。 この狭い世界で、どんなに実験を試みても、あまり修業の効果にはつながりそうもない。 やはり、すこしずつ詩作、思索の習慣を取り戻すようにして、内面に沈潜していくしかないのだろう。 より深いブッダやキリストの理解を図っていくしかないのだろう。 ただし、もう頭の訓練は要らない。 心の訓練を残すのみなのだ。 天職への道、日々一刻一刻が急がれるはずなのだが。 幼な馴染み 平成18年2月7日(火) 35年振りに幼な馴染みと対面した。 子供の頃に一番良く一緒に遊んでいた友達である。 足立区の方で立派な焼き鳥屋を開業している。 会社を経営し、店を二軒も持っているという。 東京に集団就職してきた同窓生の中で最も成功した人だという。 もう孫も4人もいるという。 なかなか立派なものである。 ふらふらと雪の中を遊びに行って、ビールや料理をすっかりご馳走になってしまったものだ。 東京に出ている小学校、中学校の同窓生の世話係もやっているという。 立派なものだ。 こちとらは、まったくの無関心でやってきた世界である。 もうすべてが終わりになって、また子供の頃の話をしても始まらないと思っていたから、なんとも今更と思うしかない。 もうそれぞれが老後を歩み始めているばかりだから、お互い静かにしていたいと思うばかりである。 我々サラリーマンと違って、自家営業者は定年がないだけ、老後の生き方は楽であろう。 そのままの生き方が続けられるのだから、私たちの感じるような疎外感、喪失感は持たないで済む。 まあ職業の違いなのだから、それまでだ。 これまで、我々よりずっと苦労してきたことだろうから。 まあ、余り乱されないように相手していくしかないというところか。 そんな感想である。 研修開始 平成18年2月14日(火) 昨日から派遣前研修が始まった。 JICAのSV制度も過渡期に当たっていて、3年前の研修とは色々変わってきた。 これも、もう今年で最後になるらしく来年度からは、JOCVと一緒に駒ヶ根や二本松の合宿研修になるようだ。 大分、私が最初にイメージしていたような本格的ボランティアに変わっていくようであるが、応募者は減るどころか、どんどん増えていっているという。 これからいよいよベビーブーマー世代の登場になると、やはりこうした失業対策事業は栄えてくるのだろう。 前回、12名一緒にヨルダンに出かけた同僚も、また6人参加している。 半分がリピーターというわけである。 全体でも、200人中110人までがリピーターで占められているという。 今回一番変わったのは、前に比べると随伴家族の数が少し多いことだろうか。 私の妻も、その一人である。 そして、私以上に張り切っているのを見るのが、ひとつの楽しみではある。 これがいつも私の理解できないことなのであるが、3年前もそうだったのだが、私の方は、妻は母親や姉のそばにいるのが好きで、決して外国生活など望まないのだろうと思っているのだが、結果はいつもその反対に出ている点である。 結構、こうして私と一緒に外国生活するのを望んでいるようなのだ。 家にいて、子供の世話をしたり、親族の世話をしているより、研修会に出たりする方が楽しそうに振舞っているのには驚いている。 生来が内弁慶で、親族や家族といちゃついている方が得意なはずなのだが、結構外に出て人前に出るのも嫌がらずにやっている。 中でも好きなのはショッピング、いやウインドウ・ショッピングというべきだろうが、買い物の時間帯だけは、文句も言わないし、疲れも見せない。 ほんとに好きなのだろう。 それに付き合う私の方は、買い物は最も苦手ときているのだから、ほんとに性格の不一致か、趣味の不一致とでも言うのだろうか。 まあ、こんな話で、研修会が始まって任地への出発が近くなって、張り切っているのはむしろ妻の方であるというのが実態である。 もうすぐ、大好きな荷造りも始まるし。 一方、本人の方は、二回目ということもあって、余り新しさもないことや、健康問題が気になること、任地の選定に失敗したことなど、気に病むことはあっても、それほど楽しめることはない。 まあ、淡々とノルマをこなしていくだけである。 風邪でもひかないように気をつけなくては。 相変わらずパソコン整備、カラオケ体制作り、i-pod整備に追われてはいるが。 0歳宣言 平成18年2月19日(日) 今日は、我が家で一番大切な誕生日である。 長女と三女の合同誕生日である。 それぞれ31歳と23歳だという。 今日は、雪は降らなかったが、二人とも生まれた時には、雪の残っていた思い出のある日である。 そして、この頃はちょうどひな祭りの季節に当たっている。 つまり、私の誕生日の季節でもあるのだ。 つまり、娘たちの誕生日の二週間後には、私自身の誕生日もやってくる。 これが、大切な季節の理由になっている。 特に今年は、還暦の年に当たっており、この日を特別な気持ちで迎えようとしている。 つまり、すべてからの解放記念日にしたいと思って迎えるのだ。 これまでが、私の人生、十分に生きた人生の終わりとしようという意識である。 ここまで生きれば十分という感じで迎えるのだ。 そして、これからはおまけの人生、というより、全く新たな人生ということにしようということだ。 生まれ変わるのだ。 誰にも邪魔されない新たな幼年時代を向かえようというのである。 0歳宣言である。 これまで、やろうとしてやれなかったことを新たに始めても遅くはないという宣言である。 60歳にしての手習いを始めようということである。 すべてのやりたかった文芸、これをする余裕もなかったし、出来てこなかった。 一番遅れてしまったのは、絵である。 手が動かない。 ここまできてしまったが、これから赤子の手習いをしようということである。 音楽もこれからヤマハ音楽スクールに通おうという訳である。 ギターの弾き語りで笑われているが、これから本当のリズムを身につけるのだ。 本や理屈はもういい。 こちらは、何も仕組まなくても出来るくらいに熟練している。 これは、飯食うための手段として使っていくのはいい。 全くの時間潰しになるのだ。 本当の手習いは、0歳からの学習である。 指がどう動くのか、手がどう動くのか、この訓練である。 体を使っての学習である。 幼稚園のお絵かきから始めなくてはならない。 頭はいやというほど大きい。 こいつに文句を言わせずに、手を動かす訓練である。 なかなか素直に手を動かせない。 色んな大人の屁理屈で逃げ回ってしまう。 簡単な方へ簡単な方へと逃げ回ってしまう。 これをなんとか子供の好奇心に戻して手を動かしていかなくてはならない。 そこには「生きとし生けるもの」へつながる道も見えている。 子供の好奇心と自然の恵みと、そんなすっかり忘れてしまったものを一から始める時節がきているのである。 これを阻もうとするのは、年齢から来る健康問題だけである。 そんな嫌気におかまいなく、ただ、無邪気に始めるしかない。 覚悟 平成18年2月22日(水) 芭蕉の覚悟などを読んでいると、当時の素朴な生活の味が懐かしくなる。 自然と一体となって生きていられる時代のいいところなのだろう。 数寄こそ物の上手なれ、という覚悟が良く伝わってくる。 私の覚悟は、大学生の時代に読んだ日本の近代史から覚えた「戦争絶対反対論」である。 日本人は、よく戦争をしてきたものだと痛感した。 そして、自分の生きている間だけでも、一度も戦争に会わずに生涯を終えたいものだと誓った。 戦争をしそうになったら、体を張ってでも反対しようと覚悟を決めた。 でも、幸いそう覚悟したのは、私だけではなかったらしく、日本人は本当に戦争を嫌いになっていたのだ、いや戦争はこりごりだと思っていたようだ。 どうやら、私の覚悟も一度も発揮せずに人生を終えられそうな気配であるのは嬉しい限りだ。 そんな役に立たない覚悟の代わりに、何か数寄を育てていくしかない時代だったのだろう。 それはそれでいい時代に生まれ育った幸運と思うしかない。 ただ、これまでは数寄よりも生活優先で生きてきた分、芭蕉のような晩年は迎えられない。 いざこれから弟子入りの方である。 語学、音楽、絵画となるのだろうが、もはや60の手習いになってしまう。 それでも恥じも外聞もなくやっていくしかないのだ。 今度は本当のカウントダウンとの争いである。 このカウントダウンは、先が読めない。 いつでもサドンデスありの競争である。 健康問題破綻の兆候は、いくらでもある。 ちょっとした変化でも、これで終わりかなと思う日々である。 のんびりゆっくり、時間と戦っていく戦争の覚悟になるのだろう。 行く道も大分寂しくなってくる。 こころとの最後のふたり旅になるのだろうか。 JICAの事前研修もあと一日を残すところまで来た。 後一月で再び出発である。 今度は、出戻りの感が強くて、あまり新鮮さも決意もない。 研修終了 平成18年2月24日(金) 9日間の研修が終わった。 あっという間である。 特に目新しいこともなかったが、SVだけの研修のやり方がこれからJOCVと合体する方向に変わっていくという流れが、より鮮明に見えてきたことである。 つまり、少なくとも次に受ける時からは、こんな短い研修ではなく、駒ヶ根での35日間の合宿研修になるということである。 その後平成19年度以降は、JOCVと一緒になって75日間の合宿研修になるという。 まだ健康が許されるなら、一度参加してみたい気にもなっている。 こうした方向は、私の感じている援助方法に近いものであるから、きっとこれが正しい方向だと思う。 今のSV援助方法を見ていると、なんとなくまた年寄り派閥のようなものが出来上がってきて、普通の人は入れない雰囲気が出来つつあるような気がしている。 援助お仕着せ人間の集団のような気がしている。 目立ちたがり屋の冒険家集団とでもいうのだろうか。 何か異文化理解というよりも異文化進出という感じなのだろうか。 これは、昔の海外移住というのに少し近いかもしれないが、やはり九州や瀬戸内海あたりの人たちの海外移住指向の延長戦上にあるような雰囲気を感じる。 私の指向するような、知的海外援助や異文化理解というものとは、何か違った雰囲気を感じてしまうのである。 老後の健康誇示というか、若いものには負けないわよ指向なのだろうか。 特に女性隊員が「税金の無駄遣いよ」などと怒鳴り散らすのを聞いていると、外交政策とか日本の世界的地位などをどれだけ見て発言しているのかと、少々ぞっとする次第なのだ。 それに似た現象が、「愚や愚や、汝をいかんせん」の続編である。 これからひとりで、語学研修に出かけることになるが、たらたらと嫌味、愚痴の連続である。 相変わらず受身、受身の抵抗路線だけである。 ほんとに何を考えているのかと疑ってしまう。 甘く育ってきた我儘っ子というだけなのだろう。 しかし、ここへ来て感じるのは、これまで30年以上も一緒に暮らしてきているのだが、こうして身近に妻の性格を観察するのは、ここへ来て初めてであるという驚きである。 これまでは、子育てという唯一の絆の下で、それぞれが役割分担が出来ていて、お互いが余り干渉しあわずに自分の分担を果たしてきたので、お互いのことを余り観察したり、分析したりということはなかった。 そんな必要もなかった。 妻の方は、子供や親族にまかせておけばそれで済むような感じで、食事とかテニスとか共通にやる時に顔を合わせていただけで、相手の性格まで見る暇も手間もかけなかった。 それでやってこれたのだ。 それが、こうしてほとんどの時間を二人だけで過ごすようになって、それぞれ独立してやっていきたいとは思ってみるものの、妻の方にはそんなやり方がない。 いつでも傍にいる人を、馬鹿だちょんだといいながら自分のうさをはらしていく。 いつでも誰かにくっついているという前提がある。 こうして、英語研修のように一人で放り出されると、人が違ったような弱虫の性格が頭をもたげてくる。 知らない人の間で、自分の苦手なことをやらせられると、嫌で嫌で居ても立ってもいられないほど苛苛が募って、ノイローゼにでもなりそうである。 健康さえ損ないかねない。 こうした好き嫌いの部分が、激しくてそれが不眠や体の痛みになって現れてくるというのだから、やっかいである。 出来るだけ聞き流して、背中を押し出してやろうとは思ってみるが、少し可哀そうかなという気もする。 ずっと周りの人に寄食して、自分に都合のよいところだけをつまみ食いしてきた結果だろうが、なんとも扱いにくい性格ではある。 これを今から変えるというわけにも行かないのだろうが、当たらず触らずサポートしていくしかない。 残り少ないお付き合いと思うしかないのだろう。 自分のペースを乱されないようにぼちぼちと付き合っていくしかない。 昔の恋とか愛とかはどこへ行ってしまったのかと、つくづくと感じる今日この頃の悩ましさである。 最後の最後まで、決して一人で生きるわけではないという証である。 これから当分、こちらが家庭の主婦役を担わなければならない。 一月後の出発に向けて荷造りもしなければならない。 またまた慌しく社会参加しながらの余生となるのだろう。 過客 平成18年2月28日(火) 芭蕉は旅を家とする。 私の憧れでもある。 自分も今は旅を身の上とするような立場に立てている。 しかし、芭蕉の旅は生業そのもののような旅である。 俳諧を求める旅である。 こちらは生業はサラリーマンとして立てている。 芸の道は日陰の身である。 ほとんどお遊びでしかやってきていない。 だから、旅も嫌な生業からの逃避のような旅になっている。 人を避けたり、世を避けたりという旅になっているのだろう。 若い頃の出だしの旅は、まだ詩を求めての旅でもあった。 あれをそのまま続けるはずだったのが、いつの間にか挫折してしまったのだろう。 結婚して家族を持って、社会に帰属して人並みの幸せを求めたところが、その終点だったのだろう。 そして、それも終わりかけている今は、再びまたその頃を思い出してみようという旅の企てである。 芭蕉によって呼び覚まされるような旅への郷愁である。 しかし、今はもはや一人の旅ではない。 一人で彷徨う旅にはならない。 いつも傍に愚や愚やが付いている。 詩作など全く念頭にない旅になっている。 これが芭蕉との大きな違いである。 もう一度復古しなければならないのだろう。 脇紙と硯、筆がパソコンに変わっていようとも、旅の感懐は当時と同じものがあるはずだ。 芭蕉の旅は、かなり禅僧的であり、宗教追及型である。 私の問題も残りは信仰問題だけである。 そこに詩作がついていようがいまいが、心の平穏を求める旅には違いない。 当時は中華文明だけしか、身の回りにはなかった。 今は西欧文明まである。 物の見方の変化は激しい。 しかし、求める心は同じなのだろう。 最晩年の心の平穏、それを求めての旅路についてみるしかないのだろう。 芭蕉は自然に囲まれて、それを求めることができた。 しかし、今は自然のようにやさしい環境は身の回りにはない。 天候、風景や樹木を見て何かを感じていく世界、それはこれまでの東洋の文化の築いてきた真髄である。 今は回りに人工物しかない。 そこから何を感じるのか。 こちらの方がきっと難しい。 それでもそこに何か共通する心の平穏がなければいけないのだろう。 人間と人間の軋轢が激しくなって久しい。 江戸時代のような離れ小島の物語ではなくなっている。 旅も空を駆け巡るものである。 この間に共通点を見出すのもまた難しそうである。 でも「月日は百代の過客」はいつでもその通りである。 後一月で出発である。 新しい入れ歯はどんな風に出来上がるのか、持っていくパソコンの整備はどうするのか、予防注射は無事終われるのか、荷物をどの程度にするのか、現実の課題の方が悩ましい。 還暦前夜 平成18年3月2日(木) いよいよ還暦である。 十二支を5回も回ってしまったことになる。 ここ三年間の経緯を振り返ると、ここまで無事にたどり着いたというのは感慨深いものである。 社会を引退して、年金受給者になるまでの戦いの終わりであり、激動の期間だったと言える。 一時の不安はすっかり消えて、実に落ち着いた還暦になったことは感謝に耐えない。 やはり、捨てる神ありゃ、拾う神もあったことになる。 ここまでくれば、それも一段落といえよう。 昨日は、これからのサイボーグ健康の最初である立派な入れ歯が出来上がった。 三ヶ月もかけた大作である。 臨時の入れ歯に比べれば大分楽である。 これなら、水泳も安心して出来そうである。 常時着用が迫られているようで、また昔の歯に戻った錯覚を覚えてしまう。 汚れをどうやって掃除するのか、新たな課題が出てきた。 明日から年金の支払い請求も出来る。 老後環境の整備が整っていく。 三年前とは様変わりである。 あれほど、恐れられた愚妻のため口も終わりつつある。 それより、嬉々として英会話の研修に通っているのは、見ていても嬉しいしほっとする。 相変わらずな避けない弱音は吐いているが、その割には元気にがんばっている。 これも三年前と比べると変われば変わるものだ、という感想である。 いよいよ長女も、一人暮らしをしに引越しをするそうだ。 とはいっても目と鼻の先である恵比寿のマンションだから、三女の学生時代の一人住まいよりは気楽だろう。 事務所代わりということだから、いよいよ仕事の上でも一人立ちできているのかもしれない。 これはこれなりに楽しみだろう。 それぞれが独立してやる時代は、もう来ている。 私たちも月末には出発する。 後一年間の見通しはついた形だ。 これからはますます気楽になっていくはずである。 愚と自分の身の振り方を探っていくだけである。 まずまずほっとしている今日この頃である。 ノー天気が続く。 ようやく暖かくもなってきた。 還暦 平成18年3月4日(土) とうとう辿り着いた。 五順が廻って60年である。 この日も何事もなく過ぎていった。 このところ朝から血圧の高いのが気になっていたので、無理やりプールに行ってみた。 血圧を下げる運動には水泳が一番よさそうである。 プールで測る血圧は、いつでもやたらと低い。 家の血圧計が嘘のような数値が出る。 これまでは血圧を測るところがプールでくらいだったから、いつも110〜120程度で安心してきた。 時々健康診断で測る血圧が、それより高い130台であったので不思議に思っていたくらいである。 こうして常時血圧を測ってみるようになって、もう140〜150台まで上がっているのを見てびっくりというのが近況であるのだ。 平均はやはり140まで来ている。 限界値になっているのだ。 狭心症の方は、よく調べてみると、安定労作性狭心症と呼ぶものらしく、それほど危険なものではないと分かって、とりあえず一安心ではある。 慢性病となるのだろう。 一病息災として、気をつけていくしかない。 血圧の高い日に起こっているかどうかは、余り定かではない。 ただ、規則正しく朝食の後、1時間半から2時間の間に起こることはつかめている。 その辺りに準備をして迎えれば、なんとか軽く防げそうではある。 ただ、ここ数日間のように、全くその症状が出ない日もある。 こちらが、どうしてそうなるのかを解明しなくてはならないと思っている。 まさに、還暦を迎えて銀行問題におさらばして、健康問題にパラダイムシフトしていくのだろう。 厚生年金の受給申請も始めた。 まさに、あの苦しい1000日の父時代にお別れできる日が来たのだろう。 そういう意味では、この誕生日は少し嬉しい気持ちで迎えている。 もう子供達も育ったと言っていいのだろうと思う。 それぞれ、この先どうしていくのかは、これまで育てた結果として生きていくのであろうが、まあなんとも手の出しようはない。 子供教育の失敗は、責められてはいるが、まあ言われるほどの失敗ではないだろうと安心している。 性格なども、少し難しい部分もあるが、これも私一人の子供でもないし、半分位の責任で済まされるのだろう。 出来れば、もう少しおっとりとした子供であってくれればとは思うが、こうした生き馬の目を抜く大都会の生活では、とてもそんな性格は望めるものではないことは承知の上での願望である。 とりあえずいい伴侶でも見つけてくれればと願うだけである。 私たちだって、こんなに性格が違ってもやってこれたのだから、うまく子供にでも恵まれればなんとか普通にはやっていって欲しいものである。 もう、私たちの手に負えるものではない。 最大の努力は、何とか子供に手をかけないように老後を過ごしていくことに集中だけである。 そのためにも、何か手仕事に専念するようにしなくてはならない。 どうしても楽な方に楽な方に流されてしまうのだが。 こうして向かえた還暦も、後3週間後の出発に向けての準備に明け暮れることが出来るだけでも幸いとして捉えるべきであろう。 一日一日と向かっていくしかないのだろう。 健康の許す間だけである。 芭蕉日記はもうすぐ終わりである。 五巡り 腑に浸み込む 節句雨 還暦の 腑に浸み込む 雛嵐 雛嵐 腑に浸み込む 夜半雨 夜半雨 昼見た雛は 濡れ地蔵 夢追い人 平成18年3月10日(金) ふとしたことから思いがけない発見をする。 出かける前に一度読もうと思って、シンキェビッチの「クォ・ヴァデス」という本を探してあるいていたら、肝心の本はどこに行っても見つからないのに、他の本に行き当たってしまう。 今回は歌の本である。 前から少しは気にはかかっていたが、始めてみると相当にやりたがっていたのだなと気がつく。 実は、しばらく日本の歌のカラオケ作戦は準備万端に用意してきていたが、外国の歌にまでは手が回っていなかった。 というより、丁度都合のいい楽譜付の本は、なかなか見当たらない。 楽譜があれば歌詞のないピアノ演奏用の本であったり、歌詞があれば楽譜やコードのついていない本であったりした。 そのためほぼ諦めかけてはいた。 また例の如く、ピアノ演奏用の懐かしの外国の名曲楽譜があった。 中身の曲は、昔良く英語や仏語の勉強に使った歌ばかりがずらりである。 しかし、肝心の歌詞が見当たらないのである。 そんな中で、ふと思い当たる節があった。 そう言えば、昔作った「My Songs」のノートがあったっけと。 これが大発見なのだ。 思えば今から丁度三年前の今頃、会社を定年退職することが決まって、何もすることがない窓際の干され状態にあったあの苦痛の日々にやったこと。 実はこの「My Songs」をデジタル化してフロッピーに入れていたという事を。 期せずしてそのフロッピーが役に立ったのである。 そのフロッピーの中から歌詞をとりだして、そしてピアノ演奏本を見ながらコードを付けていくという作業である。 うまく楽譜が読めないので、どの部分がどの歌詞に当たるのかを見つけるのに苦労した。 しかし、これが好きこそ物の上手なれの道理で、この作業にぴったりはまってしまったのである。 初めは一曲でも二曲でも、これからの手慰みになんと思って始めたはずが、なんとつもりつもって十曲も写譜できたことになったから驚きである。 しかも、丸々三日もかかりきりになって、まさに一心不乱である。

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