ハンニバル 将軍。 世界史上最高の戦術家ハンニバル・バルカの生涯について

ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです

ハンニバル 将軍

リーダーシップ、戦術・戦略眼、実績など、どこに注目して評価するかで変わってくると思います。 征服した面積で言えばチンギスハーン、アレクサンドロス、ティムールが三強なのですが、人口密度の低い地域が相当程度を占めていたりして難しいところです。 もともと遊牧民が自分の活動領域で強いのはある意味当然なので、その点割り引いて考えるべきかもしれません。 戦術能力という意味ではアレクサンドロスやハンニバルが卓越しているように見えます。 また、二人とも長期の戦役を個人のリーダーシップだけで持続させており(アレクサンドロスは最後限界になりますが、まあギリシャからインドまで行ったら普通そうなるよなという感じですよね)、この点でもすごいです。 その他の候補としてはカエサルとかフリードリヒ大王とかナポレオンとかでしょうか。 ナポレオンが最終的に参謀本部に負けてしまうことで、「個人」でなんとかなる時代はここで終わったと考えるべきであり、以降は個人としての強さとは分離して考えるべきだという気もします。 まあ南北戦争時のネイサン・フォレスト(軍事教育受けてないのに自分で兵力を集めて戦い、常に最良の策を提出するが無能な上司に阻まれる。 それでも単独で活躍を続け、シャーマンをして「あの悪魔のフォレストは、10,000名の損失と国庫の破滅を招いても追い詰めて殺さねばならない」と言わしめた怪物)みたいなのが居るから困りますが。 個人的にはハンニバルを推します。 アレクサンドロスは父親が完成させたマケドニア流のファランクスを受け継ぎ、もともと王であり、ペルシアへの報復という理由でギリシャを束ねて遠征に出るという有利な点がありました。 これに対してハンニバルは国家からの援助をほとんど受けず、私兵とアテにならないガリアなどからの援兵だけで10年以上にわたって完全な敵地で戦役を遂行し、複数回、兵力に勝る敵野戦軍を撃滅しています。 相手がローマでなければ余裕で勝てていたと思います。

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世界史上最高の戦術家ハンニバル・バルカの生涯について

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リーダーシップ、戦術・戦略眼、実績など、どこに注目して評価するかで変わってくると思います。 征服した面積で言えばチンギスハーン、アレクサンドロス、ティムールが三強なのですが、人口密度の低い地域が相当程度を占めていたりして難しいところです。 もともと遊牧民が自分の活動領域で強いのはある意味当然なので、その点割り引いて考えるべきかもしれません。 戦術能力という意味ではアレクサンドロスやハンニバルが卓越しているように見えます。 また、二人とも長期の戦役を個人のリーダーシップだけで持続させており(アレクサンドロスは最後限界になりますが、まあギリシャからインドまで行ったら普通そうなるよなという感じですよね)、この点でもすごいです。 その他の候補としてはカエサルとかフリードリヒ大王とかナポレオンとかでしょうか。 ナポレオンが最終的に参謀本部に負けてしまうことで、「個人」でなんとかなる時代はここで終わったと考えるべきであり、以降は個人としての強さとは分離して考えるべきだという気もします。 まあ南北戦争時のネイサン・フォレスト(軍事教育受けてないのに自分で兵力を集めて戦い、常に最良の策を提出するが無能な上司に阻まれる。 それでも単独で活躍を続け、シャーマンをして「あの悪魔のフォレストは、10,000名の損失と国庫の破滅を招いても追い詰めて殺さねばならない」と言わしめた怪物)みたいなのが居るから困りますが。 個人的にはハンニバルを推します。 アレクサンドロスは父親が完成させたマケドニア流のファランクスを受け継ぎ、もともと王であり、ペルシアへの報復という理由でギリシャを束ねて遠征に出るという有利な点がありました。 これに対してハンニバルは国家からの援助をほとんど受けず、私兵とアテにならないガリアなどからの援兵だけで10年以上にわたって完全な敵地で戦役を遂行し、複数回、兵力に勝る敵野戦軍を撃滅しています。 相手がローマでなければ余裕で勝てていたと思います。

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ハンニバル・レクター博士のモデルとなった実在のシリアルキラー4人!

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・行軍の規模:歩兵3. 8万人、騎兵8千騎、象37頭 南フランス・アルル付近でローヌ川渡った時点 が、このアルプス越えの行軍で兵力半減。 ・行軍の概略ルート:カルタゴの領土だったスペインから、ピレネー山脈を越え、南フランス、ヨーロッパアルプスの峠を越え、イタリア平野に侵入し、カンナエ カンネー 、トラシメネス湖畔、ローマ周辺各地へ。 (結局ハンニバルは15年間もイタリアで戦い続けた) ・アルル付近から、「アルプスの登り道」まで248kmを10日で踏破した。 ・峠越え 頂上に着いた の時期は、10月の終わり頃、前年の残雪もまだかなり残っていた。 さらに高度の山のため、新雪が降り根雪になりはじめる頃だった。 セントバーナード峠 主要峠の11位の高さ でアルプスを越え、アオスタからイタリア平野に侵入するのは、あまりに北に遠まわりすぎ、通過の可能性は少ない。 < 多分ナポレオンは、ハンニバルの戦法を参考にしたと思われる。 途中の奇襲地点がなく、峠からのイタリア側の展望はよくない。 通過が容易な峠で、通過の可能性は少ない。 [解説]:峠からのイタリア側の遠望は? トリノまでは見えないのでは? 通過の可能性は?。 途中の奇襲地点がなく、峠からのイタリア側の展望はよくない。 通過が容易な峠で、通過の可能性は少ない。 峠からのイタリア側の展望はかなり良さそう。 イタリア側の下りは極めて厳しい峠。 しかし、途中の奇襲地点がない? 見つけるのが容易な、すぐ隣の小モンスニ峠、モンスニ峠になぜ行かないのか? など、通過の可能性は少ない。 標高2541m:登山のみの峠。 Bardonecchiaへ下る。 峠からのイタリア側の展望はよくない。 通過が容易な峠で、通過の可能性は少ない。 峠からのイタリア側の展望などは不明。 Visoモン・ヴィーゾ モンテ・ヴィーゾ 山 3841m の北1マイル 1. 登山家ジョン・プレヴァス氏も、候補峠をすべてルート・現地確認し、ここだろうとの見解を出している。 ギャヴィン・デ・ビーア、ジョン・プレヴァス両氏とも、このルートについて有力とはしていない。 [解説]:途中までトラヴェルセッテ峠と同じルートで、「渡った川、時間、風景、奇襲地点、峠の下り等の検証」は説得力あり、イタリア側の展望もよい。 Ville Vieilleヴィル・ヴィエイユの村で、 p85。 このことは今回の旅の記事をまとめる上でも嬉しくなります。 当時も峠探しは皆さんの興味の的だったのですね。 この村はサン・ヴランの村や、Agnelアニュエル峠への分岐の村です。 GR58の1週間ほどのトレッキング途中の大学生とハンニバルの話をし、・・・彼はと言っていました。 同じグループの男の子は「大昔の歴史で真実はわからない」などとクールなことを言っていましたが。 ジョン・プレヴァスは、「そこへのはいり口は見つけにくく、しかも待ち伏せ攻撃地点にごく近い・・」 p172 と対象から外しているが、「」は極めて目立つ標識です。 次にバルスロネット方面に入りこの峠に向かうが、2つ目の襲撃点は不明。 峠からのイタリア側の展望も不明。 しかし次が上の峠と同様バルスロネット経由で、峠までに2つめの襲撃地点はない?。 峠からのイタリア側の展望はよくない。 通過が容易な峠で、通過の可能性は少ない。

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