じっと 我慢 の 子 で あっ た。 nekotama: じっと我慢の子

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じっと 我慢 の 子 で あっ た

娘さんの具合が悪かったんですか、それは心配でしたね。 やっと治ったと思ったら、次は息子さん? りぼんさん、病院通いでお疲れですね。 出かける前からのことを考えると、半日仕事ですね。 ホント病人なら弱っちゃいます。 1時間半も待って5分の診察ですか、う~ん、なんか悲しいですね。 もっとスムーズに行かないものでしょうかねー? で、ぴあすさんは大丈夫なのですか? >mayさん そうか本ね、病院慣れしてないから、持ち歩いてなかったわ。 で、病院内の雑誌を読もうかと思ったんだけど、なんだか読む気にもなれず、ボーッと待ってました。 ありゃ、どうしたんだっけ? この時期にインフルエンザにかかったら、また何を言われるかわからないもんね(笑) すぐに手洗い・うがいしておきました。 私も先日、病院行った時、受付の人の手違いで、3時間かかりました。 その病院は待合室ざ~っと数えても、いつも100人は待っているので、待つのは覚悟で行ってます。 曜日によって、先生の診察室が変わってるのを知らず、以前の診察室前で待ってたんです。 あんまり長いので、痺れを切らし、受付に聞いたら「その先生は月曜日は、その角を曲がって突き当たりです」だと・・・その部屋の看護師さん「何度もお呼びしたのですが」 それが同じ内科なのに遠く離れてるとは・・・聞こえる訳ないじゃな~い。 お返事ごめんなさい。 投稿: 2007年2月23日 金曜日 22時03分 >とぱーずさん 窓口で薬を受け取ってすぐに帰れると思っていたのに、とんだ時間を過ごしてしまいました。 おとなしく待ってた私がバカだったんだ! とぱーずさんも病院通いなんですね。 そりゃ、具合が悪くなっちゃいますよね。 予約だったら、せめて30分待ちぐらいにしてほしいですよね。 おお、とぱーずさん、詩人だわ。 具合悪い本人も大変だし、付き添って行くほうも妙な疲れが残りますよね。 お、今年花粉症デビューですか? 症状はどんな感じですか? 私も、徐々にスギにも反応し始めたみたいで、目が痛くてゴロゴロした感じです。 今病院に行ったら、絶対インフルエンザの人がいますよね。 だから、そーっとシャッターを切りました。 何も言わないから、こっちもムカッとくるわけで、向こうが事務的ではなく本気であやまってくれれば、「あ、いいんですよ」の一言も出るんですけどね。 私も気をつけなくちゃ。 >マーちゃんさん えーっ! 「100人も待ってる病院」にビックリ! それに内科でも診察場所が違うなんて、大きな病院なんですね。 それにしても、事務の方、ちゃんと説明してくれなきゃ困りますよねー。 3時間も待たされて、グッタリでしたね。 マーちゃんさん、なんと辛抱強いんでしょう。 薬で20分なんて、比べ物になりませんね。 恐れ入りました(笑) ココログフリーはずっと調子が悪いんですね。 全然改善されないなんて、どうなってるんでしょうね。 向こうが悪いんですから、気になさらず! 投稿: 2007年2月23日 金曜日 22時20分.

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じっと我慢の子!: key&myeおなかぺっこぺこ

じっと 我慢 の 子 で あっ た

人を育てるにはコツがあって、相手を信用してひととおりのことを任せてやらなければならない。 むろん仕事の能率は落ちるし、失敗も増える。 しかしそれを承知でやらせるのである。 育てる側は、必要なときに手を貸し、進路を示し、取返し不可能な大きな失敗が起らないように適切な時点で軌道修正させる。 ただしすべての場合において相手が主体的に取りくむことを妨げてはいけない。 一見冷たく見えるほどの放任がいい。 過保護にすると育つものも育たなくなる。 ただし相手の見えないところで進捗状況を細かに確認し、瑕瑾を微修正し、船が難破しないようにさり気なく導くのである。 すべて任せきりで船ごと沈没するのもバカだが、新船長を追出して自分で舵を握るのも阿呆である。 人間を成長させるのは(人格的にどうなのかは知らないが、すくなくとも仕事のできる人間に成長するうえで)、第一に信用であり、第二に信用に基く委任である。 ある程度の自由裁量とそれにともなう責任を実感するとき、人は時として器量以上の仕事ができる。 むろんそれには時期が大切であって、多少無理でも背伸びをすればできなくはないという仕事を与えられたときに人は発憤しやすい。 言いかえれば器量と仕事の微妙な不等号を見誤って仕事をおっつけると、相手は途中でへこたれてしまうわけである。 器量をやや仕事が上回るという微妙な関係さえうまくいっていれば、あとは放任していい。 ただし進捗状況の把握だけは必要で、これによって船が氷山にぶつかることを回避する必要がある。 よく腹の大きいところを見せようとして何でもかんでも「君に一任」したがる人がいるが、あれはすくなくとも人を育てるという意味ではあまりおもしろくないのであって、表向き「君に一任」しつつ、裏側で細かい気遣いができなければ人を育てたことにはならない。 注意を与えるときはかならず相手にだけ伝えるようにすること。 人前でこれを行うのは相手の心を無用に傷つけて、注意そのものよりも、注意されたこと自体に頭がはたらきがちであり、結局は意味がない。 特に成長過程の者をあえて使っている場合には萎縮してしまう。 もっとも何度注意されてもわからない相手にあえて人前で注意するというのはたしかに有効ではあるが、原則としてあまり多用しないほうがいいし、初手からこれを行うのは禁物である。 それから、相手がもうわかっていることについては深く注意しない。 時間のムダであるし、叱るほうも叱られるほうも単なるルーティン・ワークになって、注意することの真面目さが失われる。 注意するときには、具体的にどこがどうよくないかを理由を添えて言うこと。 「慣行」というのは理由ではなく状況である。 慣行にも、必要な慣行と、合理的な理由のない不必要な慣行があるのだから、慣行という言葉を前にして思考停止しているようではどうしようもない。 褒めるときは褒める。 これは基本。 相手を立てる。 これも基本。 新人と指導係で引継的な仕事をしていると、どうしても指導するほうが外部に対しては優位に見える。 しかしいったん仕事を任せた以上は、任された人間を立ててやらねばならない。 これはちょっとした心がけで可能なこと。 教える側は常に影の役目にすぎないことを肝に銘じておかなくてはならない。 高校野球は教育の一環であるということになっている。 あんなもので人格が涵養されるとは到底思えないが、ともかくも建前はそうなっている。 それならば、といつも思うのだが……。 四番バッターにバントをさせるのはいい加減やめるべきではないのか。 勝抜き方式だから一勝にこだわる気持はわからなくもないが、あれでは四番が四番に坐っている意味がない。 四番バッターというのは一々例を引くまでもなくチームの代表であり、看板である。 ふつうは野手のなかでもっとも打撃の才能があり、ホームラン型のバッティングをする選手が選ばれる。 先発のエース・ピッチャーとともに一種の象徴的存在にほかならない。 逆にいうならば、名実ともにそれだけチームの信用を得ている選手でなければ四番になることはできないのである。 四番は重圧であり、名誉である。 選手は成長したからこそ四番に坐り、四番に坐ることでさらに否応なく成長させられる。 むろんそれでもバントをさせたい場面はあるだろう。 それはわかる。 しかしそこでバントをさせれば、せっかくその選手を四番に選び、チームとしての信用を与えた意味はなくなる。 彼に科せられた負荷は急に軽くなり、その職掌は背伸びしなくても届く身の丈以下のものに堕落する。 そこに、おそらく成長はありえないだろう。 教育とはやせ我慢のことである。 四番にバントをさせたいという欲をぐっと我慢することで、四番の選手は多少なりとも成長する。 チャンスにバントに逃げられないというのは四番バッターにとってもつらいだろう。 しかしそのつらさのなかでバットを振り、ホームランを打ったり、併殺に倒れて責任を痛感したりすることで、彼は幾分か成長するのである。 人として、は無理にしろ、野球選手として。 我慢して得られる果実はあやふやで迂遠なものでしかないが、あやふやで迂遠なものこそは教育である。 確実な何かが欲しいと思うなら、教育なんかより博打でも打ったほうがまだましだ。 一度信用して四番に据えた以上は、何があってもそれを立ててやらなければならない。 信用して、まかせてやらなくてはならない。 監督と呼ばれる人ができるのはそれだけだ。 それ以上のことは本人に判断させ、本人にやらせる。 たとえそれが間違っていると思っても、選手の判断を聞く前にバントのサインを送るのは教育ではない。 それでは人は育たない。

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世の中騒然、デマが飛び交ってトイレットペーパーが不足しているとか。 そうとは知らずに、先日スーパーでトイレットペーパーとペーパータオルをまとめ買いしたばかり。 傍から見たら風評に負けて、買い漁っている頭の悪いおばさんと。 いつも買い物はなるべくまとめ買いをする。 仕事が忙しかった頃は、気がつくとそういうものが切れていたり、買い物に行く暇ないなんて事がしばしばあった。 だいたい1ヶ月先を見越して、暇なときに買っておく。 オイルショックを体験した人は、皆さんそうしているのではないかと思う。 オイルショックのときもすごかった。 コンサート会場のトイレからトイレットペーパーを持ち帰るという輩もいて、呆れ果てた。 少なくともコンサートを聴く人の中に、そういう人がいるとは思いたくない。 心を清らかにしてお帰りいただきたい。 今聴いたモーツァルトが嘆いていますよ。 でも目の前に自宅で不足しているトイレットペーパーがあったら、出来心でつい? 私は他人の目がなくても神様が見ていると、信仰心もないのに考える。 今朝のテレビで、トイレットペーパーにチェーンが巻かれている映像が出ていた。 情けない。 それでも出てくる悪知恵。 チェーンをしたってペーパーは巻き取れる。 カランカランとロールさせて、紙だけ持って帰ればいいじゃない。 災害が来たときのために、一ヶ月分くらいの備蓄は常にしておく。 水、缶詰類、インスタント食品、カセットコンロとボンベ、紙類、ラップ、懐中電灯数個、猫のトイレ用品、餌など。 いざとなれば猫のトイレ用品が人間用にも使える。 流石に猫缶は人が食べてはいけないらしいけれど、死に瀕したら助かるかもしれない。 こういう騒がしい事態のときに大騒ぎせずに落ち着いて考えよう。 昨日まであんなに潤沢にあったものが、急になくなるわけないじゃない。 いつかはコロナも収束すると思うし。 そうしたら、だぶついた商品は値下げされる。 それまで待ったらどうなの。 ケチケチと使って、ひっそりと暮らす。 ひっそりとはいいけれど、コンサートや勉強会の中止が続いてがっかり。 遠くから電車に乗ってレッスンに来てくれる生徒の健康も心配。 オーケストラのコンサートも軒並み中止が続いて先生のルースさんが暇になったので、英語のレッスンの回数が増えた。 いよいよ面白くなったハリー・ポッターは6巻終了間近。 最終巻の7巻をあと何年で読みきれるか・・・ 暇になったおかげで進んでいる。 作者のローレンス女史の類まれな才能に、尊敬の念は深まるばかり。 こういうときには外に出ず読書に勤しもう。 他にすることないからいいチャンス。 トーマス・マンの「魔の山」の下巻が読みきれていない。 それもこの機会に読めるかも。 久しぶりにチェスタートン「ブラウン神父」を買ってきた。 アラン・チューリングの伝記も半分読んで放置。 これも積ん読でなく、読んどくにしたい。 臨機応変という言葉がある。 ものが無いときは無いなりに、時間が余れば今までできなかったことをする。 状況に応じて生活を変化させればいい。 毎日決まったようにしなければならないということはない。 なにがなんでもいつもと同じにと思うから苦しくなる。 時々霞を食べて仙人になろう。 一日寝て過ごす猫になろう。 おあずけを言われた犬は辛いけれど、でも時には仕方がない。 152• 118• 148• 164• 243• 322• 304• 309• 342• 331•

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